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「瑞稀!」
「小夜、ごめん。心配かけて」
「何言ってるのよ? あんたのせいじゃないじゃない!」
「とにかく座って」
小夜は体からむしり取るようにコートを脱いで椅子の背にかけ、振り向いて勢いよく手招きをする。
「啓司さん、こっち!」
小夜だけではなく啓も、ことのあらましを聞き、心配して駆けつけてくれたのだった。
「林さん、そちらにまでご迷惑をおかけしてしまって、申しわけありません」
隣に座っている亮が立ち上がり、頭を下げた。
「とんでもない。こちらこそ河原のことで御社にご迷惑をおかけしてしまって、本当に申しわけありません」
「いえ、これはうちの内部で起きた問題ですから。こちらこそ、河原さんに嫌な思いをさせてしまって、本当に申しわけないです。この件は、うちの方で調査が終了次第、上と相談してきちんと対処させていただきます。それから、うちと御社との関係に影響が出ることはありえませんので、ご心配には及びません」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「ねえ、他人行儀な挨拶はもう良いでしょ。で、どうなったの? 何かわかったの?」
「青木! おまえはいつもそうやってーー」
「わっ! 小夜ちゃん。遅かったね! 待ってたんだよー」
焼酎のボトルとグラスを持ってやってきた関根さんが、小夜を見つけて嬉しそうに顔をほころばせた。
「え? ハゲ?」
「俺の頭はハゲじゃない! これは天然じゃなくて人工だって、何度言ったらわかるのよ?」
「だって、ハゲはハゲでしょ! 他になんだって言うの?」
まるで天敵と遭遇したような小夜の態度と、突然始まった二人の激しいやり取りに度肝を抜かれた。
「瑞稀ちゃん、助けて! 小夜ちゃんが俺を虐めるー」
今にも泣きそうな声を出して関根さんが私の首に抱きついてきた。何がどうなっているのかさっぱりわからない。啓も目の前で繰り広げられる予期せぬ展開に、目を白黒させている。
「関根! いい加減にしろ」
「関根さん、大丈夫。小夜は怖くないから」
亮に睨まれながら、首に巻きついた関根さんの腕をポンポンと軽く叩いて慰めた。
「何よ瑞稀、このハゲの肩持つの? だいたいさ、何でこのハゲがここにいるわけ?」
「だって、ここ、俺の店だもん」
「あんたの店?」
「そ、俺の店。どう? 格好良いでしょう?」
やっと首が楽になって、これでまともに話ができるとホッとしたのもつかの間、私を不思議そうに見つめる啓の目に気づいた。啓は親友だから、やはり私たちのことは、ちゃんと説明しなければならない。
「関根さんはね、セキュリティ専門なの。今回のことも調べてくれてるの」
「へえ、あんたにそんな取り柄があったんだ? じゃあいいわ、今は休戦にしてあげる。それで調べたんでしょ? なにかわかったことあった?」
「まあそう急がないでさ、腹も減ってることだし、少し飲んで食べながら話そうよ」
関根さんが手際よく順番に焼酎のお湯わりを作っていく一方で、料理が次々運ばれて来た。
「へえ、意外とまともそうなもの出せるんじゃない」
「小夜ちゃん、意見があったら、食べてから言って! とりあえず乾杯しようよ」
「何に?」
「俺と小夜ちゃんの再会を祝して、かな?」
「私はちっとも嬉しくないんだけど?」
「傷つくなぁー、じゃあ、あれだ。こいつらの結婚を祝してだ!」
「ええ? あんたたち、もうそこまで話が進んじゃってるわけ?」
「ちょっと! それはちが……」
「いいじゃないの、隠さなくたって。さっき、本田さんの前でさ、亮の、俺たちは結婚を前提に付き合ってますって宣言、格好良かったよ。小夜ちゃんにも見せたかったな」
「へー、そーなんだー? で、式はいつ? 新婚旅行はどこ行くの? 家は? あ、家は瑞稀が引っ越せばいいだけだわ。いつ引っ越すの? 手伝いの都合があるから早く言ってね! あと、あ、婚姻届はこれから? それとももう出したの?」
「小夜!」
「あ、林さん。すみませんね、びっくりしたでしょ? 俺たちっていつもこんな感じなんで」
「いえ、あの……」
「俺たちって何よ? 私たちとあんたを一緒にしないでよ!」
事情をわかっていない啓が、何か言いたそうにしているが、すぐに遮られてしまい言葉が続かない。私だって同じだ。この二人のペースには口を挟む余地もない。その上、小夜の気の早さだ。このまま話をしていたら、きっと明日には子供まで生まれているに違いない。もうどうにでもなれという気分で、焼酎をちびちびと舐めるように飲んでいた。
「お酒は後にして、先にこれを食べなさい」
横から手が伸びてきたと思ったら、グラスを取り上げられ、代わりに箸を持たされた。目の前の小皿には、取り分けられた料理が数種類、どれも好きなものばかりだ。昼に食事をしたきり、お菓子すら口に入れていないことを思い出し、おとなしく箸を動かし始めた。
「行き渡ったところで、本題なんだけど」
それまでとは打って変わって、低い声で話し始めた関根さんの真面目な様子に、全員注目した。
「調べついたの?」
「うん。瑞稀ちゃん、三浦理恵って知ってるよね?」
「三浦さん? 知ってる、あの綺麗な人ね。一度、二人でお茶したことある」
「メール送信したの、三浦理恵のマシンだった」
「え? まさか……」
「そう。多分下書きに使ったんだろう。Wordにも形跡があって、破棄されてた原文も復元できた。
三浦理恵の名前を聞いたその瞬間、まさか彼女がと驚きながらも、霧がかかったようにモヤモヤとしていた頭の中がスッキリと晴れ、仄かに光る点でしかなかった一つ一つの事柄が、一つの線で繋がれた。
「とりあえず、マシンは特定できた。あとは三浦理恵なのか、ほかの誰かが彼女のマシンを使ったかだな」
「私、それ、十中八九、本人だと思う」
「瑞稀?」
「亮、私、昼間、白石さんたちに呼ばれたでしょ? あの時、彼女たちの話を聞いてて漠然と気になったことがあったんだけど、今、はっきりわかったの。あのね、白石さんたちは、会社の上の人たちは頭がいいから簡単じゃないって言ったの。それって、噂を信じたり、目に見える現象だけで簡単に結論を出さずにちゃんと調べるよって意味でしょ? 彼女たちが言うくらいだから、社内の大半の人はそう考えるはずよね? そうだとすれば、あのメールを出した人はそれを知らない人、つまり、入社して日が浅い、または、外部の人ってことになる」
「うん。それで?」
「それからね、あの噂。ほら、関根さんも一緒に聞いたでしょ? 私が色仕掛けでーってやつ。あれもね、噂の出所がどこだかわからないって彼女たちが言ってたの。さっき、三浦さんとお茶したって言ったでしょ? あれは、三浦さんに噂話のことで呼び出されたの。その噂は三浦さんが偶然人が話してるのを聞いた話で、要約すると、私が亮に一目惚れして、口実を作っては迫りまくって、私の厚かましさに我慢できなくなった亮が、私をプロジェクトから外して欲しいって本田さんに相談したって話だった。それで、三浦さんがそれとなく探ったら、自分を除く社内の人全員がこの噂知ってたんですって。白石さんと木村さんは、私にまつわる噂は信じてないから、何かあるとすぐに教えてくれるのね。でも、私、ここまで具体的な話は、彼女たちから一度も聞いたことがないし、彼女たちも知らないみたい。噂話の内容は彼女たちの方がよっぽど詳しく知ってるはずなのに、不思議じゃない? あ、それから、社内の噂は、会社の人ほとんどが使ってる裏SNSで広まってるって言ってたから、もし登録してたら、関根さんだって亮だって知ってなきゃおかしいし、今だって見れるはずよ」
「あ、俺、それ登録してるわ。亮、おまえは?」
「うん。俺も。ずっと以前におまえに誘われて登録した覚えがある。でも、それっきりだけど」
「二人とも登録してるの? だったら探してみてよ。あ、SNSで思い出したけど、もう一つ、これこそ単なる噂話かもしれないけど、三浦さん、酒井さんと付き合ってるらしいわ。で、これもSNSで回ってて、写真もあるって白石さんが言ってた」
「酒井? おまえが論破したあの酒井?」
「論破……ってまあ……うん。あの酒井さん」
一瞬の沈黙。お互い言葉はなくとも、見つめ合うだけで心が通じ合っているのがわかる。怒りの色を浮かべる亮の瞳は、私と同じことを考えているのだ。
「瑞稀ちゃん、酒井シメたの?」
「シメたなんて人聞きの悪い、ちょっと目配せしただけよ」
意味ありげな目配せを再現してみせると、関根さんは大笑いし、すぐに真顔になった。
「酒井か。あいつならやりかねないな。わかった。そっちも調べてみるよ」
「さて、これでとりあえず解決でしょ? お酒のお代わりちょうだい」
小夜の満面の笑みに、関根さんがさも嬉しそうに、白い歯を見せ顔をほころばせた。
「あ、そういえば、本田さんは? 夜も来るんじゃなかったっけ?」
今頃になって、彼の存在を思い出す。
「ああ、本田さんはねぇ、奥さんに呼ばれて早々に帰ったよ。なんたって恐妻家だからねー、ハハハハハ」
この問題は、とりあえずこれで解決に向かうだろう。三浦理恵がなぜあんな浅はかなことをしたのか、それはわからない。しかし、亮との関係がなければ、事実無根とも言い切れずに、もしかしたら、私やうちの会社も巻き添えで責任を取らされていたかもしれない。そう考えると、後味が悪く、噂の破壊力に恐ろしさを感じた。




