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ー13ー

「あのハゲ親父、大っ嫌い! すっごいムカつく!」


 怒りが収まりきらない木村さんが、憎々しげにストローをかじっている。食後のチーズケーキを頬張りながら、白石さんもウンウンと頷いた。


「酒井さんってさ、きっと仕事したくない人なのよね。すぐに簡単でしょ? そっちでやって! っていうんだもん」

「そうそう、先にやってから持ってきてとかさぁ……人の仕事、なんだと思ってるんだろ?」

「仕方ないわよ。私たちの仕事は、彼らの仕事に比べたら簡単だと思われてるから」


 私たちの仕事は、それぞれの得意分野の知識・技術を持ち寄って一つのものを作り上げる。それなのに、なぜか自分だけが難しいことをしていて、他の人は簡単で楽な仕事をしていると思い込んでいる頭の固い技術者が多い。また、そういう人に限って、人とコミュニケーションを取るのが嫌いだったりするから、始末が悪い。


「自分の思い通りにならなかったからって、あんなこと言わなくてもいいのに」

「うん。あの親父、何かあるとすぐ女は生意気って言うのよ。自分がモテないからって、八つ当たりもいいとこだわ」

「それにしても、河原さんのアレ! 痛快だったわね」

「酒井さんって、親の躾が悪いんですね!」


 二人が声を揃えた。


「それに、あの目配せ! 最高!」

「うんうん。私も次に酒井さんに何か言われたら、頭を見ることにするー」


 目配せを再現しながら、あははと大きな声を出して三人で笑った。


「ねえ、木村さん、酒井さんのこと天敵って言ってたけど、どうして?」

「それはねえ……木村さんはいつも酒井さんと一緒のプロジェクトだから」

「そうなんだ? それはまた……」

「運がないのよ、私。ああまた一緒かって思う度に、会社辞めたくなっちゃう」


 同情の視線を受けた彼女は、一つ大きなため息をついて、氷が溶けて薄くなったオレンジジュースを啜った。


「あ、そういえばさ、知ってる? あの人、コネ入社だって」

「え? そうなの?」


 三人の視線が、白石さんに注目する。声を小さくして彼女は話を続けた。


「なんかね、専務の親戚らしいわよ。以前は他の会社にいたんだけどそこ辞めてから行き先なくて、専務が無理やり頼まれて、それでうちに入ったんだって。きっと前のところで何かやったのよ」

「絶対そうでしょ! 人なんて変わらないもん。あのハゲ親父、絶対何かやってるに決まってる!」

「ああ、うちの会社って、どうして変な男ばっかりなんだろう?」

「どこも一緒よ。この業界の男はねぇ、オタクか結婚できないオヤジばっかり」

「そうなのよねぇ、男はいっぱいいるけど、ロクなのがいない」

「うん。うちは御三家だけだもんね。それ以外は……」

「ごさんけ?」

「やだ河原さん、御三家ってトップスリーのことよ。うちのトップスリーは、本田さんと松本さん。あと、関根さん。でも、本田さんはもう結婚してるし、松本さんと関根さんは手が届かない遠い存在って感じだし……」

「同業他社とか別の業界の人って言っても、出会いの場所もなければ、そんな暇もないしねぇ」

「ホント、ため息しか出ないわ」

「河原さんの会社は? あ、そうだ! 初日の会議に来てた人、格好良いよね。あの人誰? 歳はいくつ? 独身?」

「初日? ああ、あの人はうちの社長。歳は、三十。まだ独身よ」

「へぇー、三十歳で社長なの? すごーい! でも社長さんは……ちょっと敷居高いかな? ね、ね、他の人はどう?」

「他? うーん、うちはみんな若いわよ? 二十五歳以下」

「年下かあー。可愛ければ、アリかな」

「うん。アリ! ねえ、今度、合コンしない? あ、合コンは聞こえが悪いか。じゃあ、親睦会なんてどう? 一緒に仕事してるんだし名目立つでしょ?」


 白石さんと木村さんは、グループ唯一の男の子である佐藤くんの存在を忘れて、話に夢中になっている。佐藤くんは当然のこと、女同士ならではのこの話題に入れるわけもなく、複雑そうな笑いを浮かべ俯いていた。


「あ、そうだ! 関根さんで思い出した。この噂、知ってる?」

「関根さん?」

「河原さんはまだ関根さんと会ったことないんじゃない?」

「ああ、そっか。関根さんってね、前にうちの会社にいた人で、今はフリーでうちの仕事請け負ってる人なの。松本さんと仲がいいのよ」

「うん。それで、噂って?」


 木村さんが内緒話をするように口元に手を当てながら身を乗り出したので、私たちも身を乗り出し、顔を突き合わせた。


「噂っているのはね、実は、関根さん、ハゲてるらしいって話」

「えー!! 嘘っ! 信じられない! どこで聞いたの? その噂」

「ちょっと、白石さん。声大き過ぎ」


 顔の前でゴメンと手を合わせる白石さんを少し睨んだかと思うと、木村さんはまたコソコソと話を続けた。


「あのね、関根さんのあの髪の毛、実はカツラらしいって」


 あの髪がカツラなのは本当だが、ハゲ疑惑とは。内心おかしくてたまらないが、必死で笑いをこらえながら話を聞いていた。


「木村さん、それホントなの? いったい誰から聞いたの?」

「だから噂だってば。誰かは知らないけど、見た人もいるらしいわよ?」

「うそー、ありえない。だって、関根さんってまだ三十五くらいでしょ? 若いのに」

「え? 三十五?」


 驚きのあまりうっかり声を上げてしまった。関根さんが三十五歳ということはつまり、松本亮も三十五歳。八歳も年上だったとは、なるほど、それでいつも私を子供扱いするのか。


「そうよ、二人とも三十五歳。私も初めて聞いた時はびっくりしちゃった」

「うん。私も信じられなかったもん。二人とも若いし。格好良いし」

「本当にハゲてるのかな……あんなに格好良いのに」

「きっとただの噂よ。白石さん、元気出して」

「うん。大丈夫! 髪の毛のあるなしなんて、私、気にしないから」


 慰められ、白石さんはにっこりと笑った。なるほど。彼女は関根さんの信望者なわけだ。


「そうそう、松本さんって言えばさ、あ、ごめんなさい」


 木村さんは一瞬、私がいるのを思い出し、言いかけた言葉を引っ込めた。二人とも少し困った様子で顔を見合わせている。ちょっぴり気まずい空気が漂った。


「なに? また私の噂?」

「え? またって……何か聞いたの?」

「うん。偶然給湯室で話ししてるのを聞いちゃったの。私が色仕掛けで松本さんに迫ってるって」


 あははと声を出して笑う私の顔を見て、彼女たちは安堵の表情を浮かべた。


「それそれ、その噂。私、何日か前に総務の子から聞いたのよ」

「うん。それ、私も聞いた。色仕掛けなんて幾ら何でも酷過ぎよ」

「ホントよね。でも、なんでそんな変な噂が広まってるのかしら?」

「そうよね、なんでだろ? 変よねー」


 変と言えば、変かもしれない。彼とランチに行かなくなって、もう暫く時間が経つ。この二人ですら、すでに忘れているくらいだ。万が一、あれが発端だったとしても、今頃になってここまで尾ひれがついて広まっているのは、少々不自然な気もする。だからといって、誰かが意図的に広めていると仮定しても、そんなことをする理由もない。誰かに恨まれる覚えもないし、いったいどういうことなのだろう。





 オフィスに戻ると、珍しく松本亮がデスクに座り、資料をめくっていた。


 目も合わせずデスクに戻り、午後の段取りをしようとマシンを起動したところで呼ばれた。


「河原さん、ちょっと来てくれるかな」


 喜怒哀楽のまったく感じられない口調。その声色に三人が一斉に顔を上げ、不安そうな顔をしてこちらを見ている。


 私は彼のデスクの正面に立った。


「何かご用でしょうか?」

「さっきの会議の件なんだが」

「はい」

「酒井の方から苦情が来てる。なんの話だかわかるね?」


 早速上司に告げ口とは、いい根性していらっしゃる。


「はい」


 彼は椅子を引き、両手を膝の上で組み、眉間に皺を寄せて厳しい顔をし、冷たい口調で話し始めた。


 彼の声はオフィス内の全員に聞こえている。酒井さんを攻撃したのは、決して褒められたことではないし、チーム内を収めるには外部の私を悪者にして叱責するこのやり方が、正しいのは私にもわかる。


 でも、この人は一方の話だけを聞き、みんなの前でこんなに冷たい顔をして平然と私を叱れるのだなと思うと、公私を分けているとはいえ、やはり少し悲しくなった。


「僕は直接聞いていたわけではないから、この件自体についてはどうこう言うつもりはないが、君はどう? 何か言うことはありますか?」

「いいえ、ありません」

「そう、わかった。君も立場があるだろうから、今後はそこのところをわきまえて、言動に注意するようにしなさい」

「はい。ご迷惑をおかけして、申しわけありませんでした」


 頭を下げようとしたところで、彼の膝の上で組まれている右手の親指が、私に向けて揺れているのが目に入った。この親指は、私にグッドジョブと言っている。その気遣いに気づき、嬉しくてつい笑顔になりそうになった。しかし、ぐっとこらえて神妙な面持ちのまま、丁寧に頭を下げた。


「話はそれだけだから。仕事に戻りなさい」

「はい」


 デスクに戻ろうと振り向くと、少し離れた場所から視線を感じた。やはり酒井さんだ。その顔は、勝ち誇ったように私を嘲笑している。私のグループの三人は、言いたいことがあるのだろう。怒りと同情の目でこちらを見ている。これも仕事のうち、人がなにを思おうが人の勝手だ。大きく一つ息をして、仕事に戻った。





 仕事を終え、オフィスを出てロビーへ降りたところで電話が鳴った。亮だ。


「何がいい?」


 私を叱った詫びのつもりか、それともうまく芝居を続けたご褒美か。いずれにせよ仕事帰りに何か買って来てくれるらしい。


「アイスクリーム!」

「ダメ。お腹が冷える」

「ケチ!」


 そのままブチっと乱暴に通話を切って携帯をバッグに放り込み、あれもこれもと禁止事項ばかりではたまらないと、一人でブツブツ文句を言いながら帰途についた。

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