荒野の国・⑦
「おはよう兄ちゃん、お嬢ちゃん。ゆっくり休めたかい?」
「ああ、世話になった」
「お洋服まで頂いて……本当に、ありがとうございます」
サラーサは昨日まで着ていたぼろぼろの布きれから、小綺麗な洋服に着替えていた。
春秋が店主に掛け合い、古着を譲ってもらったのだ。
なんでも店主の親戚が置いていったものらしく、必要がなかったのか店主も気前よく無償で譲ってくれた。
「姪っ子もいらないってぼやいてたしな。しかしもう捨てる奴だぜ。本当にいいのかい?」
「はい。まだまだ着れますし。こんないいお洋服、もったいないです」
「……」
くるりと一回転して喜びを表現するサラーサを見て、春秋も頬を緩ませる。
どちらかというと、サラーサの言動に喜んでいた。
春秋はくしゃ、とサラーサの頭を撫でると、サラーサは困惑しながら頭を抑えた。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、なんとなく」
そんな二人のやり取りを眺めている店主もまた、頬を緩ませる。
春秋とサラーサの関係に詳しくない店主も、二人が親子に似たような関係であることを見抜いていた。
だからこそ春秋のサラーサへの気遣いもすぐに対応したし、サラーサに気付かれないように一人分の家賃を安くしたりもしている。
気が利く店主だ、と春秋も感謝している。
「で、兄ちゃんたちは式典を観に行くのかい?」
「そのつもりだ」
「……はい」
「あっちはいろんな出店も出るとか言ってたし、かなり盛大にやるはずだ。絶対楽しいぞ」
にこやかに笑う店主に見送られながら、二人は宿屋を後にする。
アッシェンレードの街を歩きながら、春秋は街の至る所に貼られているポスターに視線を向けている。
宿屋にも貼られていた、式典のポスターだ。
「塔に入る手段を、考えてるんですか?」
「ああ。手っ取り早いのは入れる資格のある、有力者に取り入ることだが」
サラーサが眠ってから春秋はいくつかシミュレーションを行っていた。
その中で出た結論として、有力者に取り入ることは不可能、だ。
理由はいくつかあるが、答えにすれば簡単だ。
「有力者に取り入るには、時間が足りない」
式典までは残り六日。
塔が存在する、この荒野の国の中心に着くまでに三日は掛かる。
恐らくだが、入ることを許されている有力者はその街にしかいない。
残り三日でその有力者に取り入って、塔の中に同行する。
正直に言えば、春秋だけでなら余裕で出来る。
世界の管理者としての力を行使すれば、その程度造作もないことだ。
だがサラーサは違う。
「時間が……そう、ですね」
「中心の街リスタリア。塔と同じ名前の街。有力者――貴族みたいな奴らが多いんだよな?」
「はい。リスタリアの街は商業などではなく、塔を維持、管理する組織が多い街です。労働者も多いです。街は基本的に、労働者と有力者に二分されています」
「……ふむ。労働者、か」
「兄さんも、内部で働いているのでしょうか」
「そうだろ。塔の内部って事は機密が多いだろうし、だから中々外と接触出来ないんだろう」
「……ですよねっ。そう、ですよね」
サラーサは精一杯気丈に振る舞っている。春秋の言葉だから、振る舞えたのだろう。
自分では何を信じれば良いかわからない。
サラーサの根底にある人間不信の感情は、クロードのことさえ信じられなくなってきている。
だからこそ、春秋はサラーサを支える。
その果てにある未来を理解しつつも、春秋はサラーサを気遣う。
「……お? なあなあ見てみろよ」
「あん? あのガキ……」
「やっぱそうだよなー! こんな上玉忘れねえよ」
暗い雰囲気になっていた春秋とサラーサの前に、白銀の鎧を着込んだ男たちが立ち塞がった。
男はバイザーを上げてサラーサを見つめると、やっぱりだ、と指差す。
「あれだ! 兄貴を探してるって美少女!」
「っ……!」
恐らく彼らは、サラーサが訪れた時に門前払いした護衛兵団だ。
表情を曇らせたサラーサを庇うように、春秋は前に出る。
「おいおい逃げるなよ~。おじさんたちちょっとだけ暇なんだよ」
「ちょっとでいいからよー。俺たちと遊んでくれよ?」
「い、いやです」
絡もうとする兵士たちを前に、サラーサは怯えつつも明確に拒絶する。
だがそれが兵士たちには気にくわないのだろう。
声を荒げながら、春秋を無視してサラーサに詰め寄ろうとする。
「あぁ!? 俺たちは護衛兵団だぞ!」
「この国を守ってる最高戦力だぞ!」
「そんな俺たちの逆らうのか、あぁん!?」
「ひっ……」
通り過ぎる人々を一瞥しながら、春秋はサラーサを背中に隠す。
そうすれば兵士たちは一斉に春秋に牙を向ける。
だがいくら凄んだところで怯まない春秋を見ていても、兵士たちはつまらない。
それどころか、春秋は逆に彼らを挑発する。
「機工兵士がいるのに兵士がいる必要があるのか?」
「当たり前だ! 機工兵士じゃ判断出来ないこと、理解しきれないこと。それこそが俺たち護衛兵団の役割よ!」
「なるほど。機工兵士の思考が育つまでの捨て駒みたいなものか」
「んだとこらぁっ!」
正直に言って、春秋は兵士たちの気持ちが理解出来ないでいた。
機工兵士の配備が済んでいる以上、人の手で武力を行使する必要はないと理解しているからだ。
圧倒的な力で機工兵士を破壊した春秋だが、その有用性はしっかりと把握できていた。
機工兵士に任せておけば、護衛もなにも全て万事上手くいく。
逆に人を介在させれば、それこそ私利私欲のために利用する者も現れる。
目の前にいる兵士たちのように、権力を笠に着て迷惑を掛けてしまうこともない。
機工兵士はそれだけ優秀な、この世界の特徴だとも考えている。
人の仕事の全てを機工兵士がこなせるようになれば、それは素晴らしいことだと春秋は思っているほどに。
それほど、機工兵士の完成度を認めている。
「お前たちはどうせ、仕事も満足にこなせないから雇ってもらった傭兵崩れだろう?」
「うっ……」
春秋の言葉に兵士の一人が言葉を詰まらせた。
それを悟られないように必死に誤魔化そうとする別の兵士だが、春秋を納得させるだけの話術を持っていない。
「こ、この野郎っ! 黙ってれば好き放題言いやがって!」
「俺は自分の考えを述べただけだが?」
図星を突かれては兵士たちも黙ってはいられない。
何しろ春秋の言葉は的を射ていたからだ。
護衛兵団に所属している。それはハッキリいって名誉であり、権力だ。
塔が完成したこの世界で、やがては働かなくてよくなるかもしれない。
けれども人には欲がある。
人よりも優れていたいと、上にいたいと、優越感に浸りたい浅ましい欲望が。
護衛兵団は、わかりやすくその欲望を満たせる組織だ。
何しろ国家が後ろ盾の組織だ。
護衛兵団に逆らえば、国に逆らうのも同じなのだ。
それを自分の力とはき違えている兵士たちが、春秋は気にくわない。
男たちは怒りに駆られ剣を抜く。
サラーサの悲鳴が聞こえる中、春秋は冷ややかな眼で兵士たちを睨む。
「ぶっ殺してやる!!!」
目を血走らせた兵士が、春秋に襲いかかる。けれども春秋は抵抗すらしようとしない。
春秋の眼には既に未来が見えていた。
それはその場にいた誰もがすぐに理解出来るほど、わかりやすい未来。
「お前たち、何をしているかっ!」
凜とした声が聞こえると、兵士たちは身体を硬直させた。
声の主は、別の護衛兵団だった。
だが目の前の兵士たちとは違い、兜に薔薇の紋章が描かれている。
一目見ただけで、その兵士がただ者ではないことが窺える。
「一般人に剣を向けるとは、それでも誇り高き護衛兵団の一員かっ!」
「だ、団長……!」
兵士たちの言葉通りなら、この人物が護衛兵団のトップなのだろう。
団長と呼ばれた男は兵士たちを下がらせると、春秋の前に割って入る。
「すまない。うちの兵士たちが迷惑を掛けたようだが――怪我はないか?」
「ああ、大丈夫だ」
「だ、大丈夫、です」
「おや、君は」
春秋の背中に隠れていたサラーサに団長は気付いた。そしてすぐに後ろの兵士たちに視線を向けると、兵士たちは気まずそうに口笛を吹いてそっぽを向く。
どうやらこのような悶着は以前にもあったのだろう。
団長は兜を脱ぐと、見られていることも構わずに頭を下げた。
「すまない。サラーサ・レギオン、だったかな。何度もうちの兵士が……本当に、すまない!」
「だ、大丈夫です。春秋様が守ってくれましたので……」
頭を上げた団長はキリっとした瞳で春秋を見つめた。清廉とした顔立ちは、品定めをするかのように春秋を見つめている。
短く揃えられた金髪の青年は、「うん」と頷くと春秋に手を出した。
「アーク・コロッセオだ。護衛兵団の団長をしている」
「炎宮春秋。旅人だ」
差し出された手を掴んで握手を交わす。
ぐっ、と込められた力に、春秋は団長――アークの力強さを実感する。
(……なるほど。強いな。少なくとも、こいつ一人でもマキナ数体は破壊できるくらいに)