荒野の国・③
荒野の国を復活させた、リスタリアと名付けられた塔。
内部で生成されたエネルギーを大地に直接流し込み、活性化された大地は命を育んだ。
枯れ果てた草原が蘇った。
汚れた海が洗浄された。
草木が色めき立てば、次は草木を食べる動物が活力を取り戻す。
そして次は、その動物を喰らう肉食獣が。
食物連鎖は繋がっていき、やがて人類に恵みがもたらされた。
長い計画である。
だがそれでも、確実に救われる計画だ。
今では荒野の国は他の国に多少は劣るものの、完全な復興を果たしたと言っても差し支えない。
「この国の中心である塔に向かうためには、三つほど街を越えて首都に行かなくちゃならないのか」
「そうですね」
観光客用に作られた地図を眺めながら、春秋はソーセージにかぶりつく。
弾む肉汁に思わず舌が火傷してしまいそうだが、それすら気にすることなくマップを注視する。
サラーサもまたサンドイッチに小さな口でかぶりつく。
一先ずは休憩しよう、と疲れ切っているサラーサを見て春秋が判断したのだ。
先ほど酒場で水を飲んだ時もそうだったが、サラーサはよっぽど憔悴していたのだろう。
疲れ果てた身体には十分な休息が必要だ。
露店で食事を購入し、わざと多めに購入して一部をサラーサに押しつけた。
最初は申し訳なさそうに遠慮していたサラーサも、流石に身体からの訴えには逆らえない。
渋々とサンドイッチを受け取るが、流石に頬を緩ませた。
「どうかしましたか?」
サンドイッチをはむはむと食べ進めるサラーサを眺めていると、視線に気付いたのか春秋の方を向いてきた。
「小動物みたいで可愛いなって」
「か、かわ……! な、何を突然言うんですかぁ!?」
サラーサはその手の言葉に慣れていないのだろう。
顔を真っ赤にすると、否定するように両手を振り回す。
その仕草がまた可愛らしい、と春秋は褒め続ける。
「あ、うぅぅ……」
「はっはっは。女の子は褒められたら笑ってればいいんだよ。そういう笑顔を見れるのが一番嬉しいから」
「もう、炎宮様は意地悪です……」
小さく頬を膨らませながら、サラーサは精一杯抵抗する。
だがそこで春秋がピク、と身体を硬直させ、表情を引き締めた。
「違うぞサラーサ」
「はい?」
「春秋、だ。名前で呼んでくれ。そっちの方が慣れてる」
「え……っ」
突然の春秋の申し出にサラーサは戸惑う。
サラーサは年頃の娘だ。
都市部から離れた貧しい地域で生まれたサラーサには、同年代の友達なぞ存在しなかった。
年齢が近いのは唯一クロードだけ。
だが義兄であるクロードを不躾に名前で呼ぶことなど出来るわけがなく、サラーサは生まれて十七年の間、異性を名前で呼ぶことなど一切なかった。
だからこそ春秋の申し出はサラーサにとって予想外のものであり、余計に意識させてしまう。
「どうした? おーい」
だが春秋はそんなこと知ってか知らずか、戸惑い目を丸くするサラーサの頬をぺちぺちと優しく叩く。あまりにも慣れ親しんだ行動に、サラーサは正気を取り戻すと顔を真っ赤にして後退った。
「む、むむむ無理です! 炎宮様を名前で呼ぶなどそんな失礼なこと私には出来ません!」
「俺が許可してるのに?」
「あ、ううううう……!」
サラーサの混乱も仕方がない。
ただでさえ春秋はサラーサにとって、クロードをこの世界に連れてきてくれた大恩人なのだ。
クロード自身が春秋に深い感謝の念を抱いており、その気持ちを理解しているからこそ、春秋に失礼な態度が取れない。
ましてや春秋はサラーサと同じ存在ではない。
文字通り、次元の違う存在だ。
敬うことは当然。崇拝することこそ至上。
いくら本人が認めなくとも、サラーサにとって春秋は"神"そのものなのだ。
「……すまんな。困らせるつもりはなかったんだ。いいよ、好きに呼んでくれ」
「あ……っ」
春秋としては助け船を出したつもりだ。
だがその言葉こそが、逆にサラーサを戸惑わせてしまう。
寂しげな表情と共にそんな言葉を吐かれては、サラーサが断ることなど出来るわけがない。
「は……春秋、様……」
振り絞って出された名前。
「……ありがとな」
一瞬の間の後に、春秋は子供のようにニカっと笑った。
サラーサとしては最後の抵抗として様付けは譲れないようで、春秋もそこは譲歩したようだ。
サラーサは顔を真っ赤にしつつも微笑み、春秋も微笑を浮かべる。
見つめ合うのも束の間、春秋が突然表情を切り替えた。
サラーサがその表情に気付いた時には、すでに手遅れだった。
揺れる大地、震える空気。
聞こえてくるのは通行人の悲鳴。
サラーサは身体を身体をビクンと震わせると、すぐさま近くのテーブルの下に潜り込んだ。
大通りを通行人が走り抜ける。
まるで蜘蛛の子を散らすように、悲鳴を上げて地面を駆ける。
何かから逃げるように。
否、逃げているのだ。
春秋が視線を向けた先には、石造りの街には不釣り合いな物体が歩いていた。
陽の光を浴びて燦々と光沢を輝かせる銀の体躯。
鋼鉄の、細身の巨人だ。
数は十五。
十五の巨人。
三メートルはあるであろう鋼鉄の巨人たち。
その手に剣を握りしめていた。
あるいは槍を担いでいた。
巨人たちは、目標を探して大通りを走っていた。
思えば少し大通りの感覚が広いと思っていた。
それはきっと、この巨人たちが通ることを想定されていたのだろう。
「ま、マキナ!?」
テーブルの下から鋼鉄の巨人を見掛けたサラーサが叫ぶ。
その名前には、春秋も聞き覚えがあった。
機工兵士。
塔が建設されたこの世界において、新たな労働力として開発された、人工知能が搭載された鋼鉄の巨人。
数年前に配備が始まり、今では全ての国での労働を機工兵士が行っているとも噂されているほどだ。
機工兵士たちは明らかに武装しており、そして明確な敵意を持って周囲を警戒していた。
そして先頭に立つ一本角の機工兵士が、春秋に気付いた。
『オマエガ、炎宮春秋、ダナ?』
ぐりん、と光の単眼が春秋を見つめた。
機械音声の質問に、春秋は面倒くさそうに頭を掻きながら答える。
「そうだが?」
「見つけたぞ、この若造が!!!」
二体目の機工兵士の肩に乗っていた大柄の男が怒声を張り上げた。
その男は先ほど酒場で春秋に投げ飛ばされたグランガ・ゴードン。
憎々しげに春秋を睨むと、グランガは振り上げた片腕を勢いよく振り下ろす。
「行け機工兵士! 俺を虚仮にしたガキを殺しちまえ!」
「何だよ報復か。この街を牛耳ってるとか言うわりにやることが小さいな」
「うるせぇ!!! 俺を馬鹿にした奴は殺すってのがルールだ! いいからさっさと死んじまえ!」
グランガにとって酒場での出来事はよっぽど汚点だったのだろう。
投げ飛ばされた光景を見ていた人間は多い。
笑い者にされた耐えがたい屈辱にグランガは憤慨する。
そうして持ち出してきた機工兵士。
この街を牛耳っているグランガだからこそ動かせる、この街最大の武装兵力である。
グランガの命により動き出す機工兵士。
振り上げられた剣。
春秋の次の手に備えるために、さらに三機の機工兵士が追従する。
「死ねやぁっ!!!」
先陣を切る一本角の機工兵士が剣を振り下ろす。
けれども剣は振り下ろされなかった。
ズドン、と鋼鉄が地面に落下した。それは鋼鉄の剣。それは鋼鉄の腕。
機工兵士の、身体の一部だ。
『ガ、ガガガガガガガッ!?』
「な、な、なぁ――――!?」
「人じゃねえなら加減は要らないだろ?」
角付きマキナが悶えるような声を上げる。
角付きマキナは左の肩から先の全てを失っていた。
紫電を走らせる断面を抑えながら片膝を突く。
「機械のくせに、人間みたいな反応をするんだなー」
その声は笑っているが、表情は全く笑っていない。
春秋の手には、有り得ない光景が広がっていた。
その手には炎が握られている。
黄金色に輝く炎を、春秋はさも平然と掴んでいる。
まるで、剣のように。
「我が命、燃やして高まれ――ブレイズ・ギア」
炎を振り払う。
巨人の腕を切り落とした炎の中から、黄金の剣が姿を現した。
刀身が一メートルほどの、燦々と煌めく機械仕掛けの片手剣。
「来いよグランガ・ゴードン。この世界には関わってはいけない奴がいるってことを、教えてやるよ」
剣の切っ先を向けながら、春秋はグランガを睨め付けた。