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荒野の国・①




 さあ、終わりを始めよう。

 これこそは、終わる世界の終幕(エピローグ)だ。




 瞳を閉じれば、その光景はすぐにでも浮かんでくる。

 胸を過ぎる情景は、なんでもない穏やかな夢。

 それは金色の夢だった。

 眩しくて、そして、彼が求めた全てが詰まっている(セカイ)


 愛しい人がいた。

 手を伸ばせば、手を掴んでくれる。

 抱きしめれば、抱きしめ返してくれる。

 求めれば、支えてくれる。

 彼を理解してくれる――彼が守ると決めた人。


 手を繋ぐと、笑ってくれて。

 抱き寄せると、少し恥ずかしそうに、けど拒むことは決してない。

 彼を理解しているからこそ、少女は愛する彼を抱き締める。


 当たり前の光景で。だけどもう、当たり前ではない光景で。


 そっと、彼は少女を引き離す。

 彼は寂しげに微笑んで、悲しそうな表情を浮かべる少女と唇を重ねる。

 何度も口づけを交わし、名残惜しそうに二人は離れる。

 少女の目尻に浮かんでいる涙を、彼は敢えて見逃して。


 少女の伸ばした手は空を切った。

 少女の手の届く所に、彼はもういない。

 振り返ることなく呟かれる言葉に、少女は涙を堪えきれなかった。

 涙を溢れさせながら、必死に必死に伸ばされた手。

 二度と愛しい人を掴むことの出来ない手。

 最期は愛しい人の温もりを思い出しながら――。


「さようなら。愛しい人」


 右手に剣を。

 左手に本を。

 これは、命を奪う暴力である。

 これは、運命(さだめ)を奪う支配である。


 覚悟を決めろ。

 たった一人の人間(バケモノ)が、世界の全てを終わらせる。

 全てを奪う、覚悟を。


 決意をしろ。

 終わらせた世界の、全てを、思いを受け止める。

 全てを背負う、決意を。




   *




 熱々の鉄板の上に立派な一枚肉が寝かされた。

 ジュウジュウと肉の焼ける音が耳を喜ばせる。

 香る脂が鼻腔を歓喜させる。

 通っていく熱に目が興奮を抑えきれない。

 早く食わせろと身体が訴え、口内に涎が溜まっていく。

 恐る恐る銀のナイフとフォークを手に取り、スッ、と肉の上で滑らせる。

 驚くほど滑らかに、ナイフが入る。しっかり火が通っているというのに、霜降り肉のように赤身肉が切られていく。

 箸でつまんでも切れそうなほど柔らかい肉を、一口大に切り分け、口に運ぶ。

 口内でしっかりと感じるあまりの柔らかさに、青年は舌鼓を打つ。

 それでいて重厚な牛の味が口の中に広がっていく。同時に感じる脂の甘さが舌を感極まらせる。

 青年はまるで少年のように目を輝かせ、一口、また一口と肉を食べていく。

 お冷やとして出された水を一口飲んで、水の美味さにも表情を驚かせた。

 半分を食べ終えたところで、酒場の店主がカウンターに座る青年に嬉しそうに声を掛けた。


「美味そうに食うね、兄ちゃん」


「ああ。ここまで美味い肉を食ったのは久々だ。水も美味いし、荒野を抜けてきた甲斐があった」


「ほー。兄ちゃん旅人かい。何の用でこの荒野の国に来たんだい?」


「この国に興味があってさ」


 青年の言葉に店主も嬉しそうにしている。自分が住んでいる国に興味を持って貰えるのがよっぽど嬉しいのだろう。青年が求める以上に饒舌に店主は語り出す。


「そうかいそうかい! この国は他の国と違ってまだ『塔』が建設されて日が浅いから、どうしても遅れを取っているんだけどねえ。でも少しずつゆっくり、大地に力は戻ってきている。この国は救われたんだ!」


「……塔、か」


 店主の言葉の中に出てきた言葉に、青年は苦々しい表情を浮かべた。

 カウンター越しに青年を観察していた店主は、めざとくその表情に気付いていた。

 だが店主は青年が『塔』を知らないものだと勘違いしたようで、嬉しそうに窓から外へ視線を向けた。

 青年も釣られるように視線を窓の外へ向ける。

 するとそこには、否が応でも視界に入る巨大な建造物が存在していた。


「なんだい兄ちゃん知らないのか? この国の中心にある『リスタリア』って塔だよ」


 それはあまりにも巨大な塔だ。

 直径だけでも恐らく数百メートルはあるだろう。

 この街から大分離れているはずなのに、威風堂々とその塔は自らの存在を主張していた。


 雲を突き抜けるほど高い塔はどこまで伸びているかもわからない。


「いや、知ってはいるよ。あの塔の機能も、役割も」


 青年が忌々しげに塔を睨んでいることに、店主は気付いていない。


「済まない。嫌なことを思い出して食欲が失せてしまった。……もったいないが、この肉は捨てておいてくれ」


 すっかり食欲を失ってしまった青年は、惜しみつつもステーキを処分してもらうように頼む。

 意外にも店主はその頼みを笑いながら受け入れた。

 相当このやり取りに慣れているのだろう、と青年は感じた。


「いいってことよ。今時このくらいの肉なんて溢れかえってるしな! いやー大司教様のおかげでほんっと豊かになったぜ!」


「……溢れてるから、捨てていい理由にはならないんだがな」


 店主の言葉に青年は苦笑いを浮かべながら、座席に掛けていた分厚いローブを羽織る。

 幸いなことに、ぽつりと漏らした言葉は誰にも届かなかった。

 気分を悪くした青年は足早に去ろうと歩き出す。


 それと同時に、酒場に来訪を告げる鐘がなった。

 カランコロン、と金属が軽く小突き合う音が響く。

 思わず青年は視線を向けた。

 酒場に入ってきたのは、ぼろぼろな布きれを衣服代わりに少女だった。

 全身に土埃を付けた少女は力なくよろめきながら、ふらふらな足取りでカウンターにしがみつく。


 ボサボサの金の髪は明らかに傷んでいる。

 けれども碧色の瞳はまるで浅瀬のように鮮やかな色合いだ。

 見た目で判別が難しかったが、汚れを落とせばきっと非常に美しい少女なのだろう。


「水を。水を……くれませんか?」


「あ、ああ。構わないが……」


 店主も少女を訝しげに見ながらも、出された銅貨を受け取ってコップに水を注ぐ。少女は頬を緩め、待ちわびたとばかりにコップに手を伸ばした。


「んぐ、んぐ、ん、ん……!」


 少女はずっと水に飢えていたのだろう。

 すがりつく亡者のようにコップを傾け、青年をも喜ばせた水を一気に飲み干す。


「あ、っはぁ……!」


 少しむせながら少女はコップをカウンターに置く。

 店主は少女のあまりの様子に圧倒されながらも、返されたコップを片付ける。


「ありがとう、ございます……」


 よろよろと力のない足取りで少女は背を向けて歩き出す。店内で酒を楽しんでいる男たちまでもが少女の様子に呆気に取られつつも、その美しさから目を離せないでいた。

 だがその中で一人だけが、呆気に取られていなかった。


「おい、待てよ」


「きゃっ!?」


 ずい、と身を乗り出し来た大男が少女の腕を掴んだ。頬に傷のある大男は少女の顔を覗き込むと、にんまりと下卑た笑顔を浮かべた。ひっ、と怯む少女の顔を大男は舐めるように見つめている。


「水だけだなんてこの時代にあまりにもわびしいだろ? 俺に酌をしろよ。そうしたらもっと美味い肉やジュースをご馳走してやるぞ」


 大男はこの街で幅を利かせている名の知れたゴロツキだった。

 少女の容姿に見とれていた男たちも大男の登場にさっと顔を逸らす。

 よほど関わりたくないのだろう。

 大男はバラバラに抜けた歯を見せながら、少女の腕を引っ張る。

 必死に抵抗する少女だが、小柄な少女の力で大男に敵うわけがない。


「は、はなして。はなして、ください……っ」


「あぁ? 俺に酌が出来ねえのか!?」


 嫌がる少女の態度が気にくわないのだろう。大男は掴む腕に力を込める。

 少女の細い腕は大男の力には非常に脆い。手先が痺れ、掴まれた場所がうっ血していく。


「い、た」


「ストップ」


「つっ――!?」


 少女が涙を浮かべて痛みを訴えたところで、青年が声を掛けた。

 少女に歩み寄りながら、大男の腕をこつん、と軽く小突く。

 大男は少女から手を離すと、小突かれた箇所を擦りながら立ち上がった。


 ギロリと血走った目が青年に向けられると、標的は少女から青年に移される。

 不満の感情が爆発する。

 大男はテーブルを蹴り飛ばし、青年にグイ、と一歩詰め寄った。

 ガラスジョッキが割れる音と同時に、店内に緊張が走る。


「俺が誰だかわからねえのか。あぁ?」


「すまんな。今日この街を訪れたばかりで知らないんだ」


 大男の言葉を青年は薄ら笑いを浮かべてひらひらと躱す。

 その態度が寄り一層大男を憤慨させる。

 ついにはもう一つのテーブルが殴打によって真っ二つに壊され、少女は怯えながら青年の後ろに隠れるように回り込んだ。

 青年はそっと手を伸ばし少女を庇うように立ち塞がる。

 大男は青年よりも一回りは大きい。おそらくは二メートルを超えている大男を前にしても、青年は目を細めてうっすらと微笑んでいる。


「なにが気にくわない! 俺はこの街を牛耳ってるグランガ・ゴードンだぞ!」


「知らんよ。女の子を悲しませるような奴の名前なんていちいち覚えてられるか」


「あぁ!? 俺になびかない女なんて女ですらねえんだよ! いいか、俺はグランガ・ゴードンだぞ!」


 再三の恫喝にも青年は怯まない。

 一つも表情を変えることなく、グランガと対峙する。


「知らねえって。ゴリラは森に帰ってろ」


「ご、ゴリ!? てめぇ!!」


 罵倒の言葉にグランガが拳を振り下ろす。

 思わず怯みしゃがみ込む少女だが、青年は平然とその拳を右手の平で受け止めた。

 あまりにも違いすぎる二人の体躯に、男たちがざわめき立つ。

 グランガの悪名と腕っ節を知っている男たちは、あっけらかんとしている青年に視線を集中させた。


「ほら、単調」


「なぁ!?」


 グランガが必死に青年の手を振り払おうとしている間に、青年はグランガの足を払う。

 不意を突かれ床に転倒してしまうグランガ。

 普段からずっと幅を利かせていたグランガがまるで子供のようにあしらわれた事実に、酒場の誰かがクスリ、と笑いを零した。

 すぐに笑いは波及していく。

 吹き出してしまう者も、必死に口元を隠して抑えている者もいる。

 グランガはわなわなと怒りに身体を震わせると、憎々しげに青年を睨んだ。


「クソガキがぁ!」


「ガキじゃねえよ」


 立ち上がったグランガが再び青年に拳を向ける。

 今度は青年も容赦するつもりがない。

 拳を手の平で受け止めた瞬間に身体を回転させ、グランガの胸元に潜り込む。

 勢いを殺すことなく、逆に利用して、腕を取り、一気に引っ張る。


「な――」


 グランガの巨体が持ち上げられる。青年は一歩を踏み込む。

 グランガを背負うように投げ飛ばす。

 宙を舞うグランガは、そのまま店の外まで投げ飛ばされた。


「い、つつ……」


 投げ出されたグランガは膝に手を突きながら立ち上がる。

 忌々しげに青年を睨みつつも、堂々としている青年を前にグランガはすっかり怖じ気づいていた。

 店内を後にする青年を逆光が塗りつぶす。その表情は見えなくとも、グランガの目には青年の冷ややかな眼差しが嫌が応にも映し出されている。


「春秋だ。炎宮春秋(ほむらみやはるあき)。名乗るほどじゃないが。ガキじゃねえ。少なくともお前よりは長生きしているよ」


 肩口まで伸ばした茶色の髪を踊らせながら、深紅の瞳の青年は退屈げに名乗りをあげた。


「ち、畜生! 覚えてやがれ!」


 なんとも三流の逃げ口上を吐いてグランガは逃げ出した。

 青年・春秋は埃を払うと、気まずそうに振り返る。


「騒がせて済まない」


「あ、ああ」


 ぺこり、と頭を下げる春秋に店主も言葉を失っている。

 壊れたテーブルの代金にと幾ばくかの金貨を渡すと、春秋もまたフードを被って背中を向け、歩き出す。

 食事を終えて、つい割って入ったいざこざも解決された。

 春秋がこれ以上酒場に留まる理由はないのだろう。

 店にいた客は皆、春秋の姿が消えるまでその背中を見送っていた。


「…………」


 少女は引き寄せられるように、一歩ずつ、一歩ずつゆっくりと春秋の後ろ姿を追って歩き出す。

 少女の碧色の瞳に光が差し込んだ。

 その光はまるで、希望を見つけた明るい色。

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