第三話
拝啓 寒さ厳しき折から、お風邪など召しませぬようお気を付けください。どこかおかしいような。すみません「寒さ厳しき折から、お風邪など召しませぬよう」のような読み手の健康を祈る言葉は結語でした。
一月の中旬に差し掛かりましたが、お正月気分は抜けましたか。私は正月気分を感じずにおえてしまいました。
さて、あれから私たちは電車を降り、何事もなく花咲ホールへ辿り着きました。後は演技をして帰るだけなのです。しかし事件は起こりました。
私は聖人君子ではないため、苦手な人がおり、それが目前の監督です。どのように振る舞えば、ストレスなく付き合えるのでしょうか。人生の先輩方に教えていただきたいものです。
暦上では春でありますが、まだまだ寒さが厳しい季節です。くれぐれもご自愛ください。
敬具
監督、彼はメガネをかけている。彼は常に私を見下している。彼は年の割に痩せている。彼は私を見るたび台本を強く握る。彼は青みがかったドレスシャツで仕事をこなす。そして彼の右目上は他の部の生え際と比べ不自然に肌色が目立っている。
つまり、今回の監督は前回の桃太郎でお世話になった人です。
彼は自身の髪の毛事情を私の責任にしたり、気に食わないが起こると長時間の正座を強いたりする人です。そのような人を好意的にみることは難しいものですよね。
「おはようございます。誉田監督。」
「おはよう。鬼塚君。今日は足を引っ張らないように頼むよ。」
心地よい朝でも、梅雨のように長く、肌にべっとりとくる、言い回しは健在なのですね。早くここから離れたいものです。
「善処します。では、私は準備がありますので楽屋の方へ。」
「待ちなさい。」
きちゃいましたか。こんな短時間で角を立てるようなことをした覚え、ありませんよ。
「はい。どうかされましたか。」
「監督へのあいさつを忘れている人がいると思うのだが、私の勘違いかな。」
これは予想していませんでした。いつも元気な挨拶をしている犬養さんが、挨拶を忘れるなんて。
「すみません。私の後輩が。」
「ほう。ミスの常習犯が後輩を。」
「はい。犬養さん挨拶。」
「おはようございます。本日はよろしくお願いします。」
「君の後輩ならこんなものか。くれぐれも私の作品を邪魔しないように頼むよ。」
一言嫌味を残してメガネが去っていきました。今回の嵐は短く済みました。下手をすると「私の時代は」から始まり、永遠と過去の話をされますので。
彼は昔、主人公役を務めていました。今日のように供給過多の時代ではないものの、彼の演技には光るものがあり、主人公の座を常に勝ち取っていたとかなんとか。そして、彼が出演する舞台の広告には名前が大々的に書かれ、彼を目的に来場する客もいたそうです。
全て本人談であるため本当かは知りません。多くの監督は役者上がりのため、他の監督を通せば事実確認ができますが、彼に興味がないのでするつもりもありません。
そんなことよりも、です。私は犬養さんが挨拶をしなかったことが気になります。そうです。挨拶を忘れたのではありません。しなかったのです。
それに、彼女の挨拶も引っ掛かります。なんと申しましょうか、感情がないというか、形式的というかなんというか。とにかく気になったんです。
「先輩。」
「はい。なんでしょうか。」
挨拶の件もあってか、返事が上ずってしまいました。
「おやすみなさい。」
彼女は言葉の終わりとともに足元から崩れ落ち…
「何しているんですか。舞台です。起きてください。」
皆さん申し訳ありません。私の勘違いだったようです。