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織り姫は願いたい【凛】

 それは、もう十年以上昔の話。私が彼に出会ったときの話。

『ほら、こっちに来いよ』

 引っ込みがちであった私は、周りから距離を取って自分の世界の壁に閉じこもっていた。

 彼は、そんな私を。そんな私の作っていた壁を、たったその一言で全てぶち破った。きっと、私の中にこの感情が生まれたのはこのときだったのだろう。しかし、バカだった私はこのときにはその感情に気づくことができていなかった。

 その感情にハッキリとした自覚を持つことができたのは中学生の頃だったと思う。中学の時に起きた一つの事件がきっかけで、何気ない彼の言動一つ一つがとても愛おしく感じてしまい、そしていつの間にかその感情を自覚をしていた。それからというもの、彼の行こうとしている高校に一緒に入学するために猛勉強もした。他人には見つからないような場所で。

 そうして入学したこの高校。そして、彼と。そして、彼と同じく幼なじみの暖乃香ちゃんとともに天文部へと入部した。

 進級してからというもの、天文部はたった三人の部活となり、毎日の活動と言えば、その多くは雑談だった。

 そんな雑談の中で、彼から聞かれたその言葉。

『好きな人っている?』

 その短絡過ぎる質問に、私の体内の血液は異常な速度で走り巡ったことだろう。自分では確認できないはずの顔が真っ赤になっていることを確認できるほどに。

『うん……いるよ……』


 その日を境にして、光輝くんの態度が大きく変わった。言葉にするならば、距離が生まれた気がする。なんというか、物理的な壁の他に心理的な壁が生まれているような気がする。しかし、その原因の一端は私にもある。というか、あの日以来、光輝くんの態度が変わったのは、「あの質問で私の気持ちに気づいてしまったからではないか」と思ってしまうと、妙に意識してしまって、少し気まずい気分になってしまう。

 今まで意識しないようにしていたのに、それができなくなってしまった。いつもなら、このクーラーの効いた部屋で雑談をしている頃なのに、各自、黙々とメンテナンスをしたりしている。なんだか寂しい気もする。


 それといった会話のない日々が過ぎていった。

 季節も夏が近づいてきたこの頃、学校は湧いていた。七夕の日に行われる七夕祭のためだ。締め切った窓から外の活気がわずかに流れ込んでくる。

 話しかけたいとは思うものの、やはり気まずく思い、話しかけられないでいたとき、声が聞こえた。

「なあ」

 光輝くんの声だった。私はすぐに反応した。少し離れたところで暖乃香ちゃんも反応している。それを見た光輝くんは、一瞬困ったような顔をして、でも言葉を続けた。

「二人とも、クラスで何をやるの?」

 彼はそう聞いて、なぜかほっとしていた。その事に多少違和感は感じたものの、私は記憶の中にあったクラスの出し物の名前を引っ張り出してきた。

「私はお化け屋敷をやるんだー」

 私はこの気まずい雰囲気を払拭しようと、出せる限りの元気な声でそう答えた。すると、それに続いて暖乃香ちゃんも答える。

「私は喫茶店をやるとか言っていたな。余り関心を持って聞いていなかったから、どのような喫茶店かは知らないが、食品取り扱いの申請は出していたから、飲食店をすることは確実だな」

 彼女がそう答えて、話すことが思いつかなくなってしまった。部室にはまたもや沈黙が流れる。またもややってきた気まずい空気に私は何も言うことができなかった。

「そういえば」

 暖乃香ちゃんが静寂を切り裂いた。思い出したように言ったその言葉は光輝くんに向かって飛んでいった。

「光輝は何をやるの?」

 その質問に一瞬顔をしかめた光輝くんだったが、すぐに元に戻って言った。

「劇だ。舞台発表で演劇をする」

 その回答に、私は思わず「すごーい!」と反応してしまう。演劇か。そう思うと、私は一つ気になることができた。

「何の役をするの? 主役? 主役?」

 少し興奮気味た口調で私はそう聞いた。彼は、少し困ったように「ただの脇役だよ……」といった。少し期待が外れて私は「そっかー」といった。なぜか光輝くんは私から目をそらしていた。

「本当に脇役なの? 私、見に行って脇役じゃなかったら何をしてくれる?」

 目をそらした言い方に違和感を覚えたのか、暖乃香ちゃんが質問に追求を重ねた。その言葉に困ってしまった様子の光輝くんは俯きながら小さな声で「主役です。はい」と言った。


〈頑張ってね!見に行くから!〉

 SNSを操作して、私はそうメッセージを送った。一分もしないうちに既読がついた。返信が来る様子はない。

「あと一時間くらいか」

 張り切りすぎて、少し早く来すぎてしまった。

 きっとそろそろ準備を始める頃なんだろうな。

「ついに、七夕祭当日かー」

 しばらくの間、呆けた方にそこに座りながら私はそう呟いてみた。既読がついてから暖乃香ちゃんからのメッセージも届き、三十分が経過した。時刻は八時二十分。確か開演が八時五十分だからあと三十分の余裕はある。

「凛ー!」

 後ろから私を呼ぶ声がした。彼女は、「おはよう!」と飛びかからんとする勢いでこちらへと来た。

「おはよう。暖乃香ちゃん。三十分前だけど、入場する?」

 私がそう提案すると、彼女は大きく首を縦に振った。


 体育館の中にはたくさんの人々がいた。一番始めは光輝くんたちのクラス。私や暖乃香ちゃんは、クラスの子に頼み込んで、この時間のシフトを入れないで貰ってきた。

「どんな劇なんだろうね」

 私は小さな声で隣に座る暖乃香ちゃんに聞いた。彼女は「さあ?」と首をかしげて言った。

 開演十分前を知らせるブザーが鳴った。アナウンスが流れて、撮影の禁止などを注意していく。しばらくして、本格的に体育館中に闇が広がっていった。緞帳が上がっていき、その隙間から明るい光が漏れてきた。劇が始まったようだった。


「ねえ」

 私は小さな声で隣にいる暖乃香ちゃんに話しかけた。

「主人公役……なんだよね?」

 そう言うと、彼女は小さく頷いた。「どう見ても…違う人だよね?」私がそう言うと、再び彼女は頷いた。

 今、舞台の上に立っている主人公と思われる王子を演じているのは、どう見ても光輝くんではない。そこにはどう見ても別の人物が演じている王子がいた。でも、どちらかというと、先程出てきていた衛兵が光輝くんに見えた。


「どうして! どうしてなのですっ!」

 疑問が解決したのはこの頃だった。王子が。それまで主人公だと思われていた彼が実は魔女と手を組んでいたのだ。「せいぜい叫ぶがいい。そして私を楽しませてくれ」と、王子は余裕綽々の表情で、地下牢の出入口から退出する。牢に入れられた少女は牢の中に座り込み、一人で静かに泣き始めた。

 そんなとき、一人の衛兵が、牢に近づいてきた。

「大丈夫ですか?」

 その衛兵は、泣いている少女のことが気がかりで話しかけたのだった。「あなたは?」と、少女は泣くのをやめ、衛兵に聞いた。


「それじゃあ、私はシフト入ってるから行ってくるね」

 演劇が終わり、私は暖乃香ちゃんに別れを告げる。「また後でね」と、暖乃香ちゃんが言った。

 私は教室付近に行くと、クラスメートの女子に手招きされた。裏方へと入っていき、メイク係の人にメイクをして貰う。

「こんな感じかしら?」

 メイク係の人が鏡を私に向けた。生気のない顔面蒼白という文字がぴったり合いそうな顔がそこにはあった。

「うん。いいと思う。行ってくるね」

 私がそう言うと、彼女は「いい悲鳴を期待してるよ」と笑って言ってくれた。

 しばらく続けていると、次第に目が暗闇になれてきた。脅かすと、人が悲鳴を上げて慌てているのが滑稽で、見ていると少し愉快な気分になる。

 今のところ、光輝くんと暖乃香ちゃんらしき人影は見ていない。時計がない今、この中に入ってからどのくらいの時間がたったのかは分からないが、かなりの時間はたっていると思う。

「凛ちゃーん。シフト交代だよー」

 裏方からそう呼ばれ、私は返事をすると近くのスタップ用の出入口から裏方へと出る。暗いとは言え、先程いた場所と比べれば随分と明るくなったその場所に、思わず目が眩みそうになる。

「ほら、こっち。メイク落とそう」

 私は腕を引っ張られ、メイク係の子に誘導された。顔についた化粧をメイク係の子が落としてくれた。

 水のひんやりした温度に、メイク係の子の体温が交わり、少し不思議な感覚になる。くすぐったくも感じた。

「うーん、水じゃ限界があるなー。あんまり無理するのもあれだし、ごめんね、後はお風呂でやってくれる?」

 彼女のその言葉に私は頷くと、スタップの皆に手を振って退出した。


「元気出せっつーんだよ」

 扉を開くとそこには光輝くんと暖乃香ちゃんがいた。私のことに気づいていない様子の光輝くんは、そう言いながら、俯いている彼女の頭に手のひらをおいていた。そして、その手のひらを上下に動かし、ポンポンと頭を軽く撫でる。その様子を見て、きっとお化け屋敷に入ったのだと察した私は未だ気づいていない彼らに向かって言った。

「あ、二人とも来てたの?」

 そう言うと、今までの俯いていたときの調子を疑わせるような勢いで顔を上げ、その瞳にしっかりと私を収めた彼女が行動を起こした。

「りーんーーー!」

 暖乃香ちゃんは、泣きじゃくる子供の声量にも対抗できるくらいの大きな声でそう言いながら、私に向かって飛んで来る。まだ顔がわずかに白い色のまま、私は飛んできた暖乃香ちゃんに押し倒される。

「なんでいなかったのよおおおおおお!」

 もはや暖乃香ちゃんは泣きじゃくっていた。どう対応すればいいのが理解できずに私はあたふたとしていた。

「えっと、ごめんね。たぶんそのとき、丁度入れ替えで着替えてたんだと思う」

 状況を理解できていないまま、私はとりあえずそう言った。「ごめん、とりあえずどいてくれない?」と、付け足すように私が言うと、彼女がすっとどいてくれた。さすがに廊下でこの体勢にはいろいろと問題がある。

 パンパンと服についた埃を払いながら私は言った。

「私が上がったんだから、そろそろ暖乃香ちゃんのシフトじゃないかな?」

 私がそう言うと、「うん。そう」と、暖乃香ちゃんが言った。彼女は教室へと向かおうとした。そのとき、思い出したように「あ、絶対に見に来ちゃダメだからね」と、彼女は付け足した。

 そう言って彼女はいなくなり、私たち二人が廊下に残される状況になった。

「格好良かったよ……演劇」

「そうか。ありがとう」

 とりあえず言ってみたものの、なんとなく。いや、とても気まずい。そんな雰囲気の中、彼は呟いた。

「行くか? 暖乃香のクラス」


「大盛況だな」

 暖乃香ちゃんのクラスである二年E組につくと、そこには、たくさんの人が並んでいた。立て看板には、メイド喫茶と書かれていた。文化祭でなんとなくありそうなものだった。

「とりあえず並ぶか」

 光輝くんがそう言い、長蛇とまでは言わないが、相当に並んだその列の最後尾に私たちは並んぶ。しばらくの時間が経って、列は少しずつ、少しずつと前進していき、並び始めて一時間も経たないうちに列の残りは少しになっていた。

 前の組が呼ばれ、遂に次となった。「どんなのなんだろうね」と、隣にいる光輝くんに聞いてみる。彼は「わからない」と返してくれた。

「次のご主人さ……まっ!?」

 扉がガラリと開き、やる気のない声が一瞬したと思えば、次の瞬間にはその声が驚きを含んだ声に変わっていた。

「ちょっと、見に来ないでって言ったじゃない!」

 扉から出てきたのは、メイド服を着た暖乃香ちゃんだった。それほど恥ずかしかったのか、それとも見られたくなかったのか、彼女は顔を赤らめて少し慌てていた。しかしすぐに、息をふうっとついて言った。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 我慢しているのだろう。とても棒読みに聞こえるその言い方に、私たちはその表情に思わず笑いそうになる。扉の中に入るように促されると、そこには暖乃香ちゃんと同じような服装の女子がたくさんいた。教室には、机を二つ向かい合わせに並べ、その上から白い布を被せただけのテーブルがたくさんあった。私たちは誘導されるままにテーブルへと向かい、座ると、暖乃香から手渡されたメニューを見る。

「なんか……頼みにくいものが多いな……」

 彼がそう言った。たしかにメニューには、注文することをどうしても遠慮したいような名前の物がたくさんあった。しかし、そんな料理のがたくさんある中、光輝くんは名前が普通のメニューを見つけ、彼はそれを頼んだ。

「珈琲を頼む。あ、アイスで」

「あっ、わ、私もっ!」

 光輝くんに賛同するようにして、私と光輝くんがそう伝えると、暖乃香ちゃんは「畏まりました」と、機械的にそう言って、オーダーを裏方へと持っていった。

「なんとなく、想像以上だな」

 彼がそう呟くと、私も「うん」と答えた。しばらくすると、珈琲が入った紙コップが二つ乗ったお盆を持った暖乃香ちゃんがこちらへと歩いてくるのが見えた。そのお盆がプルプルと震えているのもよく見えた。


 メイド喫茶から出るときは暖乃香ちゃんによる見送りがあった。そのときの暖乃香ちゃんの表情はとても疲れているようだった。メイド喫茶からでた後も私は光輝くんについて行っていた。別に強制をされたわけでもないのだが、だからといって暖乃香ちゃんのいない今、これといって、七夕祭をともに過ごそうと思える人はいなかった。それに、気まずいと言うことはたしかなのだが、それでも一緒にいられるということは、とても嬉しいことだったということもある。私は、彼の動く通りに動いていった。光輝くんは、次第に人気の少ない場所へと移動していった。そのうちに、私は彼がどこに向かっているのかに気づくことができた。

 彼が向かっていたのは部室だった。クーラーの音はやはり目立っていた。独特なその音をかき立てながら、それは私と光輝くんの間にある気まずさを表現しているようにも思えた。

 しばらくたち、わずかに日も傾きだしたそのとき、ただ座っているだけだった私たちによって、静寂だけが訪れていたこの部屋に、それを破るものが現れた。

「ちょっと! 来ないでって言ったのに!」

 顔を真っ赤にして怒りながら彼女は扉を勢いよく開けた。

「かわいかったよ。暖乃香」

「うん」

 光輝くんの率直過ぎるその感想に、私は同意する。「ちょっと!」といいながら、暖乃香ちゃんはさらに顔を赤らめていた。

 顔が真っ赤な暖乃香のことを一旦置いておいて、光輝くんは話題を変える。

「三人揃ったことだし、そろそろ準備するか」

 彼はそう言いながら近くに置いておいた天体望遠鏡の入った鞄を持って立ち上がる。窓から差し込む光がとても幻想的な世界を作り上げている。


「うわーー! 綺麗!」

 階段の先にある扉を開き、外にある景色を見た私はそう言った。

 頭上では、何百、何千という星々が輝いている。私が見とれていると、すぐ近くから声がした。

「確かに、綺麗だな」

 彼は、天体望遠鏡を組み立てる手を止め、頭上の星々を見てそう言った。しばらくすると、思い出したように再び作業を始める。

「これでよし」

 しばらくして、彼は組み上がった望遠鏡をみてそう言った。私は「見せてー!」駆け寄り、望遠鏡を覗かさせてもらう。

 望遠鏡を覗けば、そこには先程まで見ていた景色が拡大された世界があった。「綺麗ー」と、私は思わず漏らす。光輝くんも暖乃香ちゃんも、私のその様子を見て、少し笑っていた。

「ねえねえ、二人も見てみなよ……あっ!」

 私は望遠鏡から目を離し、二人にも見ることを促そうとしたそのとき、私の瞳にキラリと光って流れる物が映った。

「流れ星っ!」

 私は咄嗟にそう言った。俺たちは思わず反応する。二人は急いで振り向いてはみるが、振り向いたと同時に消えてしまった。

「消えちゃったー」

 私は少し悲しげな声でそう言った。そう言ったと同時に、少し前、小耳に挟んだ噂を思いだした。七夕祭に一緒に流れ星を見れば付き合えるという噂を。

 光輝くんは流れ星を見ることができたのかな? もし見れていたのなら……。そんなことを思ってしまった。

 蒔かぬ種は生えぬ。神頼み、噂頼みだけじゃダメなのは分かってるけど、動かなきゃいけないのはわかっているけど。

 だけどどうか、どうか。せめて今だけは、今だけは願わせてほしい。

 この気持ちが報われることを。この想いが叶うことを願いたい。

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