彦星にはなれないけれど【光輝】
凛に好きな人がいると言う事実を知ってから早数日。凹んだ気持ちなど露知らず、もうまもなく天文部が天文部らしい行事を行う日になる。年に一度、夏季のこの日限定で行われる年中行事。七夕。
この学校では、七夕の日には七夕祭と称して文化祭が行われる。昼間は一般の人が入ってくることができ、夜は生徒だけになる。生徒だけになってからは、ビンゴ大会やら、ベストカップル大会など、様々な催しが用意されている。
人々が喧騒にも負けないくらいに騒いでいる中、天文部は毎年静かに屋上で天体観測をするという。当たりくじなのか、貧乏くじなのか。
とにかく、現在は天体観測のための望遠鏡などを手入れしている。それも黙々と。
いつもなら何か他愛もない会話が飛びそうなものではあるが、一切声が聞こえない。ただ、原因はハッキリとしている。俺のせいだ。
『好きな人っている?』
なんの考慮もせず、そんなことを聞いてしまった俺のせいである。
それからというもの、どこか近寄りがたくなってしまった。今日もまた、話しかける勇気も出ず、仮に勇気があったとしても話題など見つかりそうにもなく、とにかく黙々と作業を続けていく。
効き始めたクーラーが、やけに涼しく感じるのは気のせいだろう。
七夕祭が近づいてくるにつれ、校内の活気が二乗に比例するかのように沸き出していた。活気だけでもヒートアイランド現象が起こりそうに思えるその元気さなどどこ吹く風と言わんばかりの空気が天文部の部室には流れていた。
誰も口火を切ろうとしない。ただ、暖乃香からの憐れみの視線が刺さってきていることはハッキリと感じされる。
「なあ」
何もしないのはどうかと思ってしまった俺は、とりあえずそう言ってみた。二人の視線が集まる。集まって、困ってしまう。口を開いたは良いが、何か言いたいことがあったわけではない。とりあえず何か取り繕おうと言葉を無理やりに探した。
「二人とも、クラスで何をやるの?」
それっぽいことを言って何とか誤魔化して心の中で胸をなで下ろす。暖乃香からはどこかしら疑っているような視線を感じなかったわけではないが、気のせいだと信じたい。
「私はお化け屋敷をやるんだー」
とても健康的な。しかしどこか躊躇いがないわけではなさそうなその声色に、少し罪悪感を感じてしまう。やはり、あんなことを聞くべきではなかった。
「私は喫茶店をやるとか言っていたな。余り関心を持って聞いていなかったから、どのような喫茶店かは知らないが、食品取り扱いの申請は出していたから、飲食店をすることは確実だな」
そう言って、彼女は答えた。しばらく全員が黙っていたそのとき、思い出したかのように「そういえば」と暖乃香が言う。
「光輝は何をやるの?」
暖乃香のその質問に一瞬戸惑う。しかし、答えて貰った以上、ここで言わないのは不公平だろうと思い、俺は答える。
「劇だ。舞台発表で演劇をする」
簡潔にそう伝えると、「すごーい!」と、凛が感激の声を上げる。凛はそれだけでは止まらず、「何の役をするの? 主役? 主役?」と、機関銃のように立て続けに質問の鉛玉を浴びせてくる。
「ただの脇役だよ……」
そう答えると、彼女は「そっかー。」と、少し期待が外れて残念そうな声を出した。その回答に罪悪感がなかったわけではない。しかし、そう言っておきたかったということも事実ではある。なぜなから、
「本当に脇役なの?私、見に行って脇役じゃなかったら何をしてくれる?」
そういうことだ。せっかく凛は信じてくれたというのに…。
「主役です。はい」
暖乃香の観察眼にはいつまで経っても勝てる気がしない。
遂に七夕祭の当日となった。SNSで、二人から応援メッセージが来ていた。メッセージには、鑑賞に来ると旨の文も含まれていた。
「おはよう」
クラスメートに軽く挨拶をする。まだ集まりきっていないその人の中に俺は身を投じる。台本は頭の中に入っている。でも、念のために復習する。あの二人が来るからと言って、緊張で台詞が言えなくなるなんて迷惑が掛かることのないように……。
台本を読んでいると、時刻は九時の十五分前になっていた。開演は八時五十分。残りわずかの時間となった時刻を見て、俺は緊張をほぐす。肩の力を抜いて、楽に。
「まもなく、七夕祭、舞台発表となります」
体育館の中にアナウンスがこだまする。しばらくすると、ブザーの音と共に緞帳が上がっていくのが見えた。
上演、開始だ。
「どうしてなのですっ! どうして!」
それまで主人公だと思われていた。しかし、魔女と結託した王子に騙されて、地下の牢獄に閉じ込められた国一番の美少女がそう言う。鉄格子の反対側では、余裕ぶった王子が鼻にかけたような笑い方で高笑いする。「せいぜい叫ぶがいい。そして私を楽しませてくれ」ど、余裕綽々の様子で地下牢から退散していく。
少女がその場に座り込み、涙を流す……という、演技。距離で涙程度は見えないのだから、泣かなくても良いという話だったのに、相当感情移入しているのだろう。本当に泣いていて、正に迫真の演技だ。
「次、出番だよ。五秒前、三、二…Cue!」
指示と共に、俺は舞台へと上がっていく。ここから、本当の主人公が登場だ。
「大丈夫ですか?」
俺は牢の中にいる彼女に向かって話しかける。
もともと、ただの衛兵役。しかし、ここからは。
「あなたは?」
この衛兵が、主人公だ。
「お疲れさまー」
舞台が終わり、先生がそう言って軽く締める。ここからは各自自由行動に変わる。
着替えを済ませ、俺は普段の服装に戻る。更衣室では他の男子たちが話していた。
「なあなあ、知ってるか?」
「なんだ?」
俺は少し気になって、衣装を畳む手を止めて聞き耳を立てた。
「七夕祭で一緒に流れ星を見ると、付き合えるんだってよ」
「あー、本当にそんなことで付き合えるのならいいよなー」
なんだ、その程度か。と、俺はその会話を聞きおわると、再び衣装を畳みはじめた。
荷物を全て持って、俺はその部屋の前まで来た。
天文部。そう書かれた小さな部屋に来た。俺は一瞬扉を開けることを躊躇った。しかし、考えたって何にもならないと思い、意を決して扉を開ける。それと同時に声が聞こえた。
「お疲れさま。随分とドアを開けるのに時間がかかったのね」
そこには一人の女子がいた。的確すぎるその台詞と口調に、少し胸を穿たれたら気もしなくはないが、とりあえず、返答を返す。
「暖乃香。どうしたんだ? 喫茶店だっけ? 店は良いのか?」
俺は机の上に荷物を置きながらそう聞いた。「今はシフト外なの。」彼女はそう言うと、立ち上がってこちらへ来た。
「格好良かったわよ。衛兵さん」
胸を人差し指で突っつきながら彼女はそう言う。言い切ると、俺に背を向けて扉の方へ二、三歩進んでいった。
やはり見ていたか。と、心の中で呟きながら俺は軽く苦笑いする。
「ねえ、お化け屋敷だっけ?」
彼女はそう言うと、くるりとその身を翻してこちらを向いた。
「凛の様子、見に行かない?丁度私と凛のシフト、劇の時以外は食い違っちゃっててさ」
どこか見透かしたような目で、俺を見ながらそう言った。
「ここか」
二年C組、お化け屋敷と書かれた立て看板が教室のドアの横に取り付けられていた。
「そうみたいね。凛はいるかしら?」
入り口の前に立って、俺たちは少しの間呆然としていた。おそらく暖乃香は、別に入ってもいいが、凛がお化け役で出ているかどうかを確認し忘れて、もしお化け役でいなかったらただの時間の無駄になるのではないか。などと思っているのではないだろうか。
「とりあえず、入るか」
このままでは営業妨害にしかならないと感じてしまった俺はそう言って暖乃香を触発する。二人分の入場料を払い、受付を済ませると入り口から教室の中へと入っていった。「あ、お金」という、暖乃香の声が聞こえた気もしたが気にしないことにした。
中はそれなりに薄暗く、注意して周りを見てみないと、段ボールで作られた壁に当たってしまいそうではある。そう、目をこらしていないと。
俺は唐突に立ち止まる。後ろからついてきていた暖乃香が俺の背中にぶつかって、「ちょっと、いきなり止まらないでよ」と文句を言ってきた。
「ここに雑巾が吊されてるから、気をつけろよ」
俺は後ろの暖乃香にそう告げた。本当に目をこらしていないと顔にぶつかるところだった。彼女が小さく「ありがとう」とだけ告げたのを聞くと再び歩き出した。先程から服の裾を掴まれている気がしなくもないが、まあ、気にしないでおこう。きっと暖乃香の名誉に関わることだから。
進んでいって突き当たりの角にさしかかろうとしたそのとき。ピチャリ、という水音がして服にかかっていた力が増した。「ひっ」という、いつもの強気の声とは全く違った声が聞こえて、少し不思議な感じがした。
ぬっと、何かが出てきた。案の定、後ろからは悲鳴が聞こえた。
「大丈夫か?」
放心状態に近い、どう考えても大丈夫ではない彼女にそう聞いてみる。どう見ても大丈夫ではないのだが、「うん。」と、首を縦に振っていた。
「凛……いなかったな」
「うん」
そう答える彼女の瞳には、軽く雫が溜まっていた。きっと、こういう施設は余り得意ではないのだろう。それに頑張って挑戦したのに、目当ての人がいなかった。
「元気出せっつーんだよ」
俺はそう言いながら彼女の頭に手のひらをおく。その手のひらを上下に動かし、頭を軽く撫でる。いつもならば取って食うかのごとくこの行為を制止し、怒りそうなものではあるが、何も言ってこないというものも、少し調子が狂いそうだ。
「あ、二人とも来てたの?」
聞き覚えのある声がした。俺よりも早くその声に反応した暖乃香は俯いていたその顔を即座に上げ、声の主を見た。
「りーんーーー!」
暖乃香は、泣きじゃくる子供の声量にも対抗できるくらいの大きな声でこの女子に向かって飛んでいく。まだ顔がわずかに白い色のまま、その女子、凛は暖乃香に押し倒される。
「なんでいなかったのよおおおおおお!」
もはや暖乃香は泣きじゃくっていた。どう対応すればいいのが理解できていない様子の凛が戸惑う。
「えっと、ごめんね。たぶんそのとき、丁度入れ替えで着替えてたんだと思う」
状況を理解できていないまま、彼女はそう言った。「ごめん、とりあえずどいてくれない?」と、付け足すように彼女が言った。さすがに廊下でこの体勢にはいろいろと問題がある。
パンパンと服についた埃を払いながら凛が言う。
「私が上がったんだから、そろそろ暖乃香ちゃんのシフトじゃないかな?」
確かにそんなことを言っていたな。「うん。そう」と、彼女は言うと、教室へと向かおうとした。そのとき、「あ、絶対に見に来ちゃダメだからね」と、付け足された。
そう言って彼女はいなくなり、俺たち二人がその場に取り残された。
「格好良かったよ……演劇」
「そうか。ありがとう」
話が全く続かず、なんとなく気まずい雰囲気の中、何とか言葉をひねり出す。
「行くか?暖乃香のクラス」
「大盛況だな」
暖乃香のクラスである二年E組の前には、かなりの量の人が並んでいた。立て看板には、メイド喫茶。文化祭の定番だ。
「とりあえず並ぶか」
長蛇とまでは言わないが、相当に並んだその列の最後尾に俺たちは並んだ。時間が経つにつれ、列は少し、また少しと前進していき、一時間も経たないうちに列は後もう少しになっていた。
そして、遂に次となった。「どんなのなんだろうね」と、隣で凛が聞いてくる。俺はわからないとだけ返す。
「次のご主人さ……まっ!?」
少しけだるそうな声が一瞬したと思えば、次の瞬間にはその声が驚きを含んだ声に変わっていた。
なるほど、頭にはホワイトブリム、黒いワンピースの上からフリルをあしらったエプロン。俗に言うメイド服だ。そして、出てきたのは、
「ちょっと、見に来ないでって言ったじゃない!」
メイド服に身を包んだ暖乃香だった。彼女は顔を赤らめて少し慌てていた。しかしすぐに、息をふうっとつき、冷静になって言った。
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
酷く棒読みなその声に、俺たちは笑いをこらえるので必死だった。扉の中に入るように促されると、そこには暖乃香と同じような服装の女子がたくさんいた。机を二つ向かい合わせに並べ、その上から白い布を被せただけの簡素な作りの机に座り、暖乃香から手渡されたメニューを見る。
「なんか……頼みにくいものが多いな……」
メニューには、ふわとろ! まごころオムライスやら愛情果汁百パーセント! 健康オレンジジュースやら、少し頼むのに勇気が要りそうなものがたくさん並んでいた。そんな料理の並ぶ中、見つけた名前が普通の数少ないメニューから俺は頼んだ。
「珈琲を頼む。あ、アイスで」
「あっ、わ、私もっ!」
そう伝えると、暖乃香は「畏まりました」と、棒読みで台詞を読むようにして言い、オーダーを裏方へと持っていった。
「なんとなく、想像以上だな」
俺がそう呟くと、彼女も「うん」と答えた。しばらくすると、珈琲が入った紙コップが二つ乗ったお盆を持った暖乃香がこちらへと歩いてくるのが見えた。
メイド喫茶からでた後、どこに行くでもなく、でもただ歩いているだけというのもどうかと思い、とりあえず天文部の部室に来た。しかし、やはり気まずく、ただひたすらに静かなこの部屋には、クーラーの音だけが目立って聞こえていた。
ただ座っているだけで、静寂だけがあったこの部屋に、それを破るものが現れるのは唐突だった。
「ちょっと! 来ないでって言ったのに!」
顔を真っ赤にして怒りながら彼女は扉を勢いよく開けた。
「かわいかったよ。暖乃香」
「うん」
率直な感想を言うと、凛がそれに同意する。「ちょっと!」といいながら、暖乃香はさらに顔を赤らめる。
そんな彼女を一旦置いておいて、俺は話題を変える。
「三人揃ったことだし、そろそろ準備するか」
近くに置いておいた天体望遠鏡の入った鞄を持って立ち上がる。日がわずかに傾きだしていることが窓の外からうかがえた。
「うわーー! 綺麗!」
子供が騒ぐようにして彼女は喜んだ。太陽も完全に落ち、下からは騒ぎ声が聞こえる。屋上には、俺たちしかいない。
少し山を登った所にあるこの高校では、周りの明かりが、都会と比べて少しばかり弱いことから星がよく見える。天体観測には持ってこいとまでは言えないが、それなりに向いているのは確かではある。空を見上げてみれば、そこには星々が煌めいていた。
「確かに、綺麗だな」
天体望遠鏡を組み立てる手を止め、俺はそう答えた。三人して、空に魅了される。しばらく見つめていて、ふと気づいたかのようにして俺は望遠鏡の組み立てを再開する。
「これでよし」
俺は組み上がった望遠鏡をみてそう言った。「見せてー!」と、凛が駆け寄ってきて望遠鏡を覗く。
改めて空を見てみると、空には雲一つなく、とても星がよく見える。「綺麗ー」と、望遠鏡を覗きながら彼女は言った。暖乃香もその様子を見て、子供っぽい彼女に少し笑っていた。
「ねえねえ、二人も見てみなよ……あっ!」
望遠鏡から目を離した彼女が驚いたような声を出した。
「流れ星っ!」
彼女から発せられたその言葉に、俺たちは思わず反応する。急いで振り向いてはみるが、なんとなく見えた気もすれば、全く見えなかったようにも思えた。
「消えちゃったー」
残念そうに呟く凛を見て、俺は噂を思い出す。
『七夕祭で一緒に流れ星を見ると、付き合えるんだってよ』
その噂を思い出し、見えていないことを願う。凛には、好きな人がいるのだから。その人と幸せになってほしい。
だけど。俺は凛の彦星にはなれないけれど。凛が好意をよせる相手と幸せになるその人と。その人と一緒になるそのときまで、
その隣に立つことを赦してほしい。




