夜の街へ
「やばい、神田に呼ばれてたんだ。」焦りと面倒くささが同居した顔で光がぼやいた。
「あらら、光君、怒られちゃうね。」真司が嬉しそうに茶化している。
「うるさい。」と真司の頭を小突きながら光は弁当の残りを口にかき込んだ。頬をごはんで膨らませながら、右手を軽くあげ、足早に去っていった。
「せわしないやつだな。」頭をさすりながら真司がぼやいた。
「神田に呼ばれてるんじゃ、しょうがないだろ。」
「それもそうだな。」
神田は、この学校の古株の生徒指導の教師だ。まことしやかに伝えられる逸話がいくつも残っている。そんな神田に呼ばれるなんてよっぽどのことをしたのだろう。今更ながら、少し心配になった。だがそれもほんの少しのことで、僕たちは、目の前にある昼食と午後の授業のやり過ごし方に気持ちが向いていった。
午後の授業が始まっても、光は帰ってこなかった。いたずっら子のようなにやけ顔で「よっぽどしぼられてるんだろうなぁ、光君」と言っていた真司の顔にも少しずつ心配の表情が浮かび始めた。
光が神田に解放されたのは、下校時間が過ぎ、残っている生徒もまばらになったころだった。俯きながら戻ってきた光に「おつかれ」と声をかけた。光は、「おう。」と疲れをにじませた顔で笑った。そして、三人そろって帰路についた。
なんとなく気まずい空気を感じたのか、光は自分から口を開いた。
「まったくの誤解だったよ。」
「え?」
とぼけたように真司が答えた。それを気にも留めずに光はつづけた。
「神田に呼ばれたことだよ。」
「ああ。で、誤解って?」
「なんか、俺が酔っ払った女を連れて飲み屋から出てきたのを目撃した奴がいたらしいんだよ。それで、どういうつもりだって。健全な高校生のすることじゃないとかなんとか。」
「なんだよそれ、光が居酒屋なんかにいるわけないのにな。」
「うん。」僕は素直な同意を真司に、そして光に返した。
「いや、それが、居酒屋から女を連れて出てきたってのは事実なんだよ。」
「へ?」真司と僕は唖然として、互いの顔を見合わせた。光がモテるとは知っていた。しかし、彼女がいないのは、同年代を相手にせず、大人を相手にしていたからだとは驚きだった。僕と真司は言葉には出さずとも、表情でお互いの驚きを確認し合った。そんな僕らをよそに、光は話を続けた。
「でもさ、女って言っても、母ちゃんだから。酔っ払って動けなくなった母ちゃんを迎えに行ったってだけの話。」
とんだ笑い話だった。光は母子家庭で母親との二人暮らしである。そのため、母の帰りが遅くなり、迎えに行くことはよくあることらしい。しかし、それは僕らの間だから分かることである。神田の誤解を解くのにえらく苦労をしたことは想像に難くない。改めて、真司と僕は光に労いの言葉をかけた。