三十一話 トラック
どこにも、いない。
三時間以上走り回っても、ゼクスの姿を発見出来ていない。
最初に行ったのは、もちろんゼクスの自宅。何度インターホンを鳴らそうと扉を叩こうと、返事はなかった。後で怒られるのを覚悟で電気メーターを調べてみたが、人がいる動き方じゃない。家に一度帰ったのか、それともまだ帰っていないのかまではわからないが、家にいないことだけは確かだ。
それから、あちこちを駆けずり回った。何回も道に迷いかけて、その度に迷惑を承知で人に訊きまくった。そのお蔭か致命的な迷子にはならずに済んだが、ゼクスが見つからないんじゃ意味はない。
「どこに行ったんだよ……!!」
前に言っていた、気配を殺せるってのも真実だったのだろう。まったく、どうしてこうも厄介なスキルばかり熟練度を上げているんだあの子は。しかも主人公のスキルって言うより、ピッキングだの声マネだの気配を殺すだの、泥棒とか詐欺師向きのスキルだし!!
もしもゼクスが異世界になんて行ったら、職業は盗賊だろう。
そんな益体も無いことを頭の片隅で考えながらも、ひたすら走る。体力のあまりない僕はとっくのとうにへばってフラフラになっていたが、だからって探すのをやめることなんて出来ない。
それに、嫌な予感がする。
背中を走る悪寒に後押しされるように、僕は必死に足を動かし続けた。
そうこうするうちに、ただでさえ暗かった曇り空は更に暗くなっていた。時刻は、およそ三時半。晴れていればまだ明るい時間なのに、分厚い雲のせいですでに陽が沈んだような薄暗さだ。
「くそっ……!!」
大通りにあったバス停のベンチに、崩れるように倒れ込んでしまう。膝ががくがくと笑って、言うことを聞かない。動きたくても、足が動かないのだ。
「どこに、行ったんだよ、ゼクス……!!」
考えてみれば、僕はゼクスのことを何も知らない。精々、二次元が大好きな女の子ってくらいだ。行きそうな場所だって、本屋くらいしか本気で思いつかない。無いとは思いつつもゼクスのお父さんが経営しているという病院にも行ってみたが、収穫はなかった。
ゼクスが真面目に隠れようと思えば、いくらでも隠れることが出来る。
「あんなに、話す時間はたくさんあったのにっ……!!」
重要だと思っていなかったから。わざわざ踏み込む理由がなかったから。どうせ一年でいなくなるのに、仲良くなる必要なんてなかったから。
言い訳なら、いくらでも出て来た。適当に楽しい話が出来れば、それだけでよかったから。だから僕は、ゼクスを知ろうとしなかった。あの子が好きな食べ物すらわからない。ドクペだって好きで飲んでいるのか、二次元っぽいから飲んでいるのかもわからないのだ。
泣きそうになるのを必死で堪え、立ち上がる。まだ足に力がちゃんと入らないが、歩くことくらいなら出来る。
早く、見つけないと。今度こそ、ちゃんとゼクスと話すために。
そう決意し、一歩を踏み出した時。視界の端に、何かが引っかかった。
淡く光る、薄いグリーンの物体。
辺りが暗いせいで、その光は目立っていた。立ち止まってその光る物体の方をよく見てみれば、どうやら鞄に付いたマスコットか何かが光っているようだ。
鞄を持っているのは、踵の高い白のサンダルを履き、大人っぽい紅のワンピースを着た高校生くらいの少女だ。長い黒髪は丁寧に編み込みにされ、バッチリとメイクをしている。だが、野暮ったい黒縁メガネがそれを台無しにしていた。
少女は、五十メートルくらい先の歩道の真ん中でぼんやりと右の方を眺めていた。僕とその少女がいるのは左車線なので、車の来る方角だ。一瞬だけこちらに顔を向けたが、僕に気付いた様子はない。このバス停は小屋のようになっているタイプなので、向こうからはよく見えないのだろう。
見たこともない、女子だ。だが、妙に引っかかる。何かが、おかしい。
最初に視界に引っかかった、マスコットを注視してみる。斜めがけにされた鞄がこちらを向いているので、ちゃんと見ればなんだかわかるはずだ。
猫……? いや、耳が長いからウサギかな? 光っているせいで、色はわかんないか。けどあのマスコット、どこかで見たような……?
喉元まで出ているのに出て来ない。イライラしながら思い出そうとしていると、遠くの方から大きなトラックが結構なスピードを出して迫って来るのが見えた。
それを見た瞬間、パチリと頭の中でパズルのピースが嵌った音が聞こえた気がしたのだ。
その音を徒競走のピストル代わりに、僕は全速力で駆け出した。
たった五十メートルが、やけに遠く感じる。足が重い。呼吸が辛い。これまで体力を無視して駆け回って来た代償が、最悪のタイミングでやって来た。
もう、トラックはすぐそこだ。あと少し。あと少しでっ……!!
トラックが、目の前を通過するのと。
僕の手が、少女の長い黒髪を引っ掴んで手前に引き寄せたのと。
タッチの差で、僕の方が早かった。
砂埃を巻き上げて去って行くトラックをすでに視界から締め出した僕が見ていたのは、突然髪を後ろに引っ張られたせいで首を押さえ、こちらを恨めし気に睨む少女だけだった。




