0、消息不明
「おはよう。驚いたよね?僕もビックリだよ!フローレが……」
金属製のノブが回りきらないうちに声を出し、僕ら兄妹の部屋を出る。
力強く出した僕の声は、思い切り開け放たれたドアの失速と同じように力を失っていった。
僕の家族が、そこにはいなかったからだ。
「お父さん?」
まず、机の下を見てみる。気が動転しているのだろう。家族三人が全員で下に潜れるような大きさじゃない。それでも、確かめずにはいられなかった。
いない。
汗が出てくる。違う。違う違う。一瞬だけ頭をよぎった考えを頭を大げさに振って掻き消す。
けれども、僕の不安は頭の隅にこびり付いて、決して離れてくれなかった。
「お母さん?」
お父さんとお母さんの部屋をノックしてみる。二人はいつも一緒に寝ているから、部屋は一つだ。『イビキが煩くて寝られない』といつもお母さんが言っていたけれど、一緒に寝ない日はなかった。返事が無い。呼吸が早くなる。
頭の墨で叫ぶ不安を押し殺して、ノブを回す。
いない。
「フローレ!いるんだろ!返事をしてくれ!」
部屋を、文字どおり飛ぶように出てトイレへと向かう。僕の家で、まだ見ていない所はもうそこしかない。
不安で、僕の胸が押しつぶされる。苦しい。足がフラフラと真っ直ぐ歩いてくれない。僕の体から血という血がなくなってしまったかのように。僕の体が、まるで僕のものじゃない感覚だ。
手に汗が滝のように流れているのが分かる。
トイレの前に来る。手をズボンで擦り、汗をふき取る。
冷たいノブに手を当て、祈りながら扉を開ける。いなくなってなんかいない。きっと、フローレが漏らしてしまったんだ。
それで、それで皆ここにいるんだ。そうに決まってる!!まだまだ子供なんだから、それくらい大目に見てやろう。
力を込める。子供の力でも簡単に開くように出来ている扉はこの時だけやけに重く感じた。
見るなと、この先にお前の期待しているような物は無いのだ。と言いたげな、ギィギギギと甲高い音を立てて開いた扉の向こうに見える景色は、当然のごとく期待していた姿はなかった。
いない。
僕の家族はこの家にいなかった。
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「うわっ!どうしたんだよイライオ。まだ寝巻きじゃないか」
家族がいない事を確かめた僕は、隣の家の友達に泣きついた。僕の家とは近く、走って一分もかからない。
こんな時に頼れるのはコイツしかいない。
「大変なんだ、僕の家族が、いない。いないんだ!」
僕の声を聞いたコイツ――マーカスは意地の悪い顔をしながら諭すように口を開いた。
「へぇー、珍しい事もあるもんだ。ついにお留守番初体験か?お前の家は過保護だから。初めては怖いだろうけど、大丈夫。先輩からのお知らせだ。お前が思ってるようなハラハラドキドキの大冒険はない。夕方になって何のお土産も無く帰ってくるよ。ガッカリするぜ?」
「違う!そうじゃない、そうじゃないんだ!昨日の夜もお父さんが『明日も農作業があるんだから、早く寝なさい』って言ったんだ。いつもと同じのはずじゃなきゃおかしい!」
「そんなもんなのか?俺の親はいつもふらっと行って、帰ってくるんだけどな」
「君の家と僕の家は違う。農家と猟師って事もあるけど、そういう事を言ってるんじゃない。君のご両親と僕の親は違うんだ。僕のお父さんとお母さんは何か用事がある時は必ず一言、僕達に言う。僕が覚えている限り、それを破った事はない!」
「じゃあ……何かあったんじゃないか?あれ、家族って事はお前の妹もいねえの?」
「だから、最初から大変だって言ってるじゃないか!」
「そりゃあ大変だな。よし、一緒に探すのを手伝うよ。俺も準備するからお前も着替えろ。そうだな……五分後にお前の家に行くよ」
マーカスの家を飛び出して、自分の家へと戻る。マーカスはとてもいい奴だ。友達の為に予定をキャンセルしてまで付き合ってくれるなんて、僕の知る限りコイツしかいない。
マーカスの親は猟師で、夫婦そろって中々の腕前だって聞いてる。
ご両親が狩りに行っている間、マーカスは家の事一切を任されている。家事は勿論だし、日が昇っているうちに来た仕事の相談なんかを聞いてるらしい。
僕の頼みを聞くために、それらの仕事を後回しにしてくれている。僕の家族を見つけたら、うんとお礼をしよう。マーカスの家に食べきれない程の麦を届けると心に誓った。
タンスをひっくり返す勢いで物をかきだす。何処に行ったのか分からないんだ。山に入る事もあるかもしれない。厚手の皮手袋、ブーツは必須だろう。麻で出来た長い袖の服。丈の長いズボン。それと腰にロープ、ナイフ、針と糸を仕舞ったポーチを下げる。
蛇に噛まれたり、虫にさされないように丈の長い服を着るのは当然だった。暑いと言っている場合じゃない。帽子を被ったのと、マーカスが家に来るのは同時だった。五分と言ったが、三分も経っていなかった。本当にいい奴だ。
◇
「それで、最初は何処から探そうか」
「『変わり種』だな。お前の親と妹を見てないか聞いてみるついでに、朝ごはんを食べよう。俺もお前も食べてないだろ?あと、昼飯も買っておこう」
朝ごはんを食べている暇なんてない、と言いたい所だった。
だけど山に入るかもしれない事を考えると力をつけておくのは当然の考えだったので、ぐっと言葉を飲み込んだ。山を甘く見てはいけない。遊びに入って、猪に追い立てられて死ぬヤツもいる。山に入るという事は、彼らの家に土足で入る事なのだから。
「歩きながら整理しよう。おじさんは『明日も農作業がある』って言ったんだよな?」
「うん。間違いなくね。だから、今日も朝から作業をするつもりだったんだ。僕の家にいないっていうのはおかしい」
「じゃあいなくなったのは、お前が寝てから朝起きるまでか。寝たのと起きたのは何時だ?」
「僕が寝たのが二十四時。起きたのが八時だ」
「お前農家だろ?そんな遅く起きていいのか?」
「お父さんはもっと早くに起きて仕事をしてるよ。僕はまだその仕事が出来ないから、まだ寝てていいってさ」
「ふぅん。じゃあいなくなったのは八時間の間か……。朝に家から出てったなら誰か見てると思うけど、深夜だったら厄介だな。目撃者、零って事が十分にある」
「まるで自分から家を出たような言い方じゃないか」
「いや、だって誘拐だとしたらまず子供が狙われるんじゃないか?こういうのって。だからお前とフローレがいなくなるはずだと思う。でも、いなくなったのはお前の親と、フローレの3人だ。なら誘拐とかじゃないと思うぞ。お前、普段なら頭がもう少し回るのにな。落ち着けよ」
確かに。それに、僕の家族を誘拐する理由も無い。お金が沢山あるわけじゃないし、ごく普通の家だ。
それに見た限りでは争った形跡だとかはなかった。野生の動物が来たわけでもない。来ていたら僕はここにいない。
「じゃあなんだろう……?」
「さぁな。もしかすると、お前のおじさん達は怪しいヤツを見つけて追った。そして、フローレはおじさん達を追っていったのかもしれない。変わり種に来たのは正解かもしれないぜ」
「え?どうして?」
「見てみろよ。怪しい奴がいるぞ」
マーカスの顔が引きつっている。その視線の先へと僕も目をやると、この辺りでは見ない色があった。
『変わり種』は軽食と飲み物を提供してくれるお店だ。この村一番の発展したお店で、町ではこんな物をカフェというらしい。
変わり種は店の外に机と椅子を置いて、そこでご飯を食べる事ができる。お店の中で食べる事は出来ないのだ。
一番日当たりが良くて風通しの良い南側の席で、見た事の無いヤツがそこで不機嫌そうな顔をしながらパンを齧っていた。
女性だろう。男であのしなやかさは無いと思う。少しだけウェーブがかった髪の毛は燃えるように真っ赤な色をしていた。“触ったら火傷をしてしまいそうだ”と思う程に、燃えるような色合いだった。
この髪の毛の色はまずこの近くの住民じゃない証拠だ。
長い睫から覗く瞳の色は黒。ここからだとよく見えないが、カップとパンを交互に眺めているようだった。
カップを一口。不機嫌そうな顔から辛そうな顔へと変わった。凄く表情豊かな人だ。
賭けてもいい。あの女の人は今にも怒り出す。正直に言って、話しかけたくはない。声をかければ不満をぶちまけられそうで怖い。
でも、それでも声をかけにいかなくちゃいけない。もしマーカスの言った通りだとすると、僕の家族を見てる可能性があるからだ。
◇
「……すまない。店員さん」
注文を取ってくれた店員さんを呼ぶ。そんなに困った顔をしないでくれ、困ってるのはアタシだ。
「はい、何でしょうか?」
おそるおそる声をかけてくる。そんなに怯えなくてもいい。ただの確認なんだから。
「気を悪くするだろうから、先に謝る。申し訳ないが、不味い。アタシァパンが好きだ。どんなパンだろうと、美味しくいただける自信がある。少なくとも今まではそうだった。パンと良好な関係を築いていたんだ。これまでは」
皿の上にあるパンを手に取る。
「アタシはパンを愛し、パンもアタシを愛していた。相思相愛だ。けれどどうだ?このパンは硬くて……硬いだけだ。初めてだよ、ゴリッとしたパンは。何の為に生まれてきたのか興味が湧く程度には驚いている。教えてくれないか?このパンをメニューに並べた奴は……その、頭がどうにかなっちまっているのか?」
皿をパンで小突いてみる。『コツッコツッ!』と音を立てる。
ワォ。アタシがこの音を聞くのはブーツでレンガを踏みつける時くらいだ。まさか食事を取るテーブルの上で聞くとは思わなかった。旅は驚きをくれるよ、いつもね。
「そもそも、だ。アタシァ『この店で一番オススメのパンとそれに合う飲み物』を持ってきてくれと、そう注文した。で、店員さんが素敵なスマイルで持っ来た盆の上にあったのがこのパンとコーヒーだ。一口齧って、思ったんだ。不味いとね。でも、“もしかするとコーヒーと一緒に食べると美味しいのかもしれない”そう思いなおした」
あくまでも優しく。優しくだ。
順序立てて、子供に諭すように優しくだ。見ればまだ若い。十五、六といったところだろう。
別にアタシはこの子にトラウマを植えつけるような事をしたいわけじゃない。
「試したさ。オススメなんだろ?ゴリッとした感触の後に飲んださ、コーヒー。だが!」
手を挙げて一呼吸置く。残酷な現実を突きつけるのだ。多少大げさに言ってもいいだろう。
それに、その方が楽しい。
「ただただ硬いパンと、苦い汁だった。何のハーモニーも生まれやしない」
これは正直予想外だった。
今までだと、『合う』物を注文した時に出てくる食べ合わせには、納得する理由が確かにあった。
このパンとコーヒーには何もない。共通するものといったら『口にしたら不愉快になる』事だ。
「そこで考えた。もしかするとアタシが注文を言い間違えたんじゃないか?
頭で考えた事と、口に出した言葉が違うなんて事は・・・・・・まぁアタシに限っては無いと思うんだが。
そこで聞きたい。アタシァ『店一番のオススメのパンと、それに合う飲み物を』って言ったか?」
「はい」
「ありがとう。アタシが間違えてないようでほっとしたよ。なら可能性は一つだ。このパンを考えた奴の頭がどうかしてる。追い出した方がいいぞ」
本気で心配して忠告する。オススメでこのパンが出てくるのならばメニューを考えてるヤツは相当やばい。
その辺りに転がってる石を見て閃いたパンなんだろう。メニューを考えるのも真面目にやれよ。
「あの、このパンがこの村の名産品でして」
「おいおいおい、本当か!?このパンが名産品だって?パンのような石だぞこれは。あそこの木陰にある小石と味が同じだと思う。舐めれば!」
「まぁお客様、その通りでございます。このパンの名前は『石パン』と申しまして。石のような硬さを持つパンとして好評なんですよ」
「――好評?今、このパンを好評っていったのか?何処の誰に好評なんだ?参考までに教えてくれ」
「硬い物が好きな方に大変ご好評です。それに、硬いので顎が鍛えられるらしく、このパンが好きなお客様は皆丈夫な顎をしていらっしゃいますよ」
「……なるほど。名産品だもんな。確かに一番のオススメだろう。怒って悪かった、謝罪させてくれ。今後は注文にに気をつけるとしよう。お詫びというか、もう一品この店に貢献させてもらうよ。この店で一番甘いデザートを頼む。顔が歪む程甘ぁいヤツだ」
何て事だ。この石のようなパンが名産品だなんて誰が思う。『美味しい物』じゃなくて、『オススメ』と注文されたら名産品を出すだろう。見たところ、この村には世界に誇れるようなものは無い。どこにでもある普通の村だ。恐らくだが、このパンを広めてこの村を有名にしたいと考えているのだろう。
……改めて言うが、美味しいパンじゃない。これを広めてもこの村の汚名が広がるだけかもしれんぞ。
硬貨が流通しているから、そこまでの田舎ではないようだけれどね。
さて、これからどうするかな。
「あの、すみません」
「ん?」
十二、三くらいの男の子がアタシに向かって話しかけてきた。
今から遠出をします!と全身で物語っている子――それにしては荷物が少ないか。
後ろにいる同じ年頃の男の子は……なんだその顔は。困ったような、笑っているような。難しい表情をしてるな。チラッチラ、アタシの顔と皿の上の――あぁ、ようするにコイツは『えぇ?このパン注文したんですか?危篤な人ですね』っていう笑いを堪えているんだろう。知ってたら注文しなかったぞコノヤロウ。