第3話 白の魔導士
俺は家の前に停めてある馬車に昨日のうちに荷造りした荷物を次々と運び込んでいた。一つ一つの荷物はとても7歳が持ち上げられるような軽いものではない。
「ほう、フランの強化魔法もかなり板についてきたようだな」
「母さんと父さんの子供だからね」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれる」
母さんはそう言って笑みを零す。
母さんはかつて「冷血魔女」と呼ばれる高名な水の魔道士だった。この世界では魔法の能力が高いことは出世争いでは有利に扱われる。かつての母も教会内での出世を目指して、多くのライバルとしのぎを削りあっていたそうだ。
出世のためには手段を選ばない氷のような女。それが周囲の人間の母さんに対する印象だった。実際には水の魔法が得意だったため気がつけば出世コースに乗っていて、とりあえず自分に降りかかる火の粉を払っていただけだったのだが、感情表現に乏しい母さんは周りからあらぬ誤解を受けていた。
そんな時に出会ったのが父アルフォンスだった。サラマンディア帝国の帝都へ仕事で赴いた際に、母さんを見かけた父さんが一目惚れ。それから、父さんの猛烈なアピールが始まったそうだ。しかし、母さんはこういったことに慣れていなかったようで、戸惑うばかり。傍から見れば全く相手にされていないように見えたそうだが、母さんの内心は困惑しどうしだったらしい。
そして、何度も何度も足しげく母さんのもとへと通う父さんの人好きのする笑顔を見ているうちに母さんも気持ちを動かされ、ついには交際の申し出を承諾したそうだ。周囲の人間は、冷血魔女の絶対零度の心をどうやって溶かしたのかと驚愕したらしい。
そして、ついには結婚するに至り、父さんは帝国を飛び出し、ウンディネス皇国へと帰化したのだ。父さんに言わせれば、母さんと一緒にいられるなら国を飛び出すなんて安いものらしい。一見すると優しそうなのんびりした男に見えるが、その行動力は侮れないものがある。
「気をつけて行ってくるんだよ?君なら何があっても打ち払えるだろうけど用心するに越したことはない」
「ふふ、ありがとう。気をつけて行ってこよう。アルもフランのこと、私が留守の間、頼んだよ」
「任せておいてよ。君にしばらく会えないのが辛いところだ」
そういって、父さんは母さんを抱きしめる。
「…馬鹿」
母さんはその白い肌を朱に染めると、父さんを抱きしめ返していた。俺は空気を読んで回れ右をする。二人の衣擦れの音がする。
「聖都までは5日ほどの道のりだ。多分戻るのは半月後くらいになるだろう」
「そうだね、せっかくの聖都だ。少しばかりゆっくりしてくるといいよ」
「馬鹿だな、二人がいないのに観光しても面白くないでなはいか」
「そっか…じゃあ、いつか家族3人で行こうか?」
「ああ。お土産はたくさん買ってくるから期待していてくれ」
そう言って母さんは馬車に乗り込むと、馬車は聖都に向かって街道を進んでいく。
母さんは聖都で開かれる教皇の即位式に司祭として参列する予定だ。前教皇は老齢による体力の低下から公務に支障を生じるようになったために、この度退位することになった。そこで、あらたにそのご息女であられるルナマリア様が教皇の地位に即位することになったのだ。
ちなみに、ウンディアナ教の教皇は世襲制をとっている。これは、教皇の一族が主神ウンディアナの血筋を引くとされているからである。そして、主神が女性であることから教皇には女性が即位するのが慣わしだ。
また、教皇にはこの国の一切を決める権限が与えられているが、これは形式的なものに過ぎない。ウンディアナ教では主神の化身たる四柱の神々が主神に命じられて人間界を統治したとされている。これに従い、皇国では四人の枢機卿が選ばれ、教皇を諮問するという形で政治を動かしている。教皇は単なる国家統治の権威に過ぎないのだ。
ちなみに、四柱の神々の名はヴァルナ、ネイト、イシュ、ルカとされる。これに対応して皇国は4つの州に分けられ、それぞれをさらに約10の司教区に分割している。例えば、ここメディナ村はヴァルナ州第5司教区にあたる。
信徒たる国民が自分達の司教区の司教を選挙により選出。選出された司教たちが各州の代表である枢機卿を自分達の中から選定するという段階を経て、4人の枢機卿は教皇に任命されるのだ。
そのため、今回のルナマリア様の教皇即位式の後には、従前の枢機卿たちの任命式も予定されている。
ウンディネス皇国がこうした近代的な民主的な統治システムを一部採用しているのは、かつて教会内で賄賂などが横行し、政治の腐敗を招いたために宗教革命が起きたという経緯があるらしい。そのため、宗教国家としての体面を維持しながらも、教会による独善的な政治を防止するためにこのような政治形態が採用されているそうだ。
俺は母さんの乗った馬車を見送りながら、教会の書庫にあった文献を読んで知ったこの国の歴史と政治体制について思いを馳せていた。
魔法で身体能力を強化したミスティが俺の周りを旋回するように走り回ると、俺の背後で急激に方向転換を行い、猛烈な速さで突進してきた。
「今度こそ…捕まえました!!」
「おしい!」
そういって俺は足にだけ身体強化を施すと、その場から一瞬で離脱した。ミスティから見れば消えたように見えただろう。俺がいたその場所には俺の足型が深々と刻まれている。
「うぅ…また逃げられました」
ミスティはまた捕まえられなかったと俺がいたその場所でうな垂れている。
強化魔法を習ってから毎日、俺とミスティは二人で鬼ごっこを繰り返していた。麻袋による強化魔法の練習の基本を終えると、父は俺たちに鬼ごっこをするように言いつけた。父が言うには強化魔法のいい練習になるそうだ。
加速、減速、方向転換。その際に必要な分だけの身体強化を行う必要がある。これは身体強化のコントロールのいい練習になる。それを遊びながら練習できるこの訓練方法は子供が身体強化の練習を行うには非常に合理的と言えた。
「フラン…あなたのその異常な速度はなんなのですか?」
「俺を捕まえられたら教えてあげよう」
「その言葉、忘れないでくださいね?」
ミスティが再び身体強化をおこなってから、俺に向かって走り出す。俺を撹乱しようと左右へジグザグへと走りながら接近してくる。
(足の骨、関節、筋肉に200くらいかな?)
生後3ヶ月で魔孔の開いた俺は、それ以来密かに魔力のコントロールを練習し続けた。そのため、7年近くかけて極めて精密な魔力のコントロール技術を身につけることができた。
一般人は身体強化をおこなう場合、全身を魔力で包み、全身の身体強化を行う。しかし、俺は前世の知識を使い、必要な部分にだけ魔力を集中させている。例えば、脚力を強化する場合には足の筋肉、骨、関節を重点的に強化する。これにより同じ魔力消費で、はるかに強力な身体強化を行うことが出来るのだ。
確かに、強化魔法に慣れた魔導士であれば身体を部分的に強化することも可能だ。しかし、その場合であっても身体の構造についてあまり詳しく知られていないこの世界では、せいぜい足全体、腕全体の強化に留まるのでどうしても魔力のロスが出てしまう。
俺は再び足に魔力を集めると、一瞬で後方に飛びずさりミスティの接近を寸前でかわす。
「もう!」
いつもはツンとすましたミスティの顔が少し涙目になっている。
(少しいじめすぎたかな?)
俺は少しばかり大人気なかったかなと自省すると、ミスティに近づき、ごめんごめんと謝りながら頭を撫でてやる。
「そうやって、頭を撫でればいつでも機嫌を直すと思ったら大違いですよ」
ミスティはそんな言葉をつぶやきながら顔をそむける。しかし、その雰囲気が明らかに穏やかなものへと変化したことを確認した俺はそんな彼女のいじらしさを愛おしく思っていた。
「二人ともかなり身体強化の魔法をものにしたみたいだね?それでは今日は次のステップに進もうか」
強化魔法を習ってから一月。俺たちの強化魔法がかなり上達したことを確認した父さんは、そんな言葉を口にした。父さんの傍には母さんもいる。先日、聖都から戻った母さんはこの村を離れている間に溜まりに溜まった仕事を片付けると、さすがに疲れたのだろう今日は休みをとったらしい。
「今日は『放出』の練習をしよう。そのために魔力球を作るんだ」
「魔力球ですか?」
俺の隣にいるミスティが、父に質問をしていた。
「うん。強化魔法は魔力を体の外へと出す必要がなかったけど、今日は魔力を体の外へ『放出』して、それを集めて魔力の玉を作るんだ。見ててね?」
父が手のひらを上に向けるとそこには燃えるような赤い色の玉が現れる。
「これが魔力球だよ。僕の魔力光の属性色は『赤』。髪の色と同じだね。赤は火の属性色だから僕は火の魔導士になるわけだ」
「私は治癒魔法を得意とする水の魔導師だから、私の属性色は『青』になる。やはり私の髪の色と同じだな。色髪の色は属性色に対応しているから当然だが」
傍で見ていた母が同じように手のひら上に向けると、そこには深海のように深い深い青い色の玉が現れる。
「さて、二人とも。僕とミネルヴァの魔力球を比べてみて?色以外の違いに気がつくかな?」
俺とミスティは二人の魔力球を見比べてみる。
「母さんの魔力球の色の方が少し濃い気がする…」
「その通り!よく気がついたね。魔力が洗練されているほど魔力の色は濃く深くなっていくんだ。これが魔導士の力量を測る目安の一つになるんだよ。色の濃さによって第一級から第五級に分類されるんだ。ちなみに、僕は第二級魔導士だよ」
「そして私は第一級魔導士だ」
確か、母の教会で読んだ文献にそういった記述があったのを覚えている。この世界の人間の魔力は赤、青、緑、黄の4つの色のうちいずれかに分かれる。そして、その魔力光の色の濃度によって五段階のレベルに区分される。
ほとんどの人間は第五級かそれにも満たないのが普通で、むしろ魔力球を作れない人間の方がはるかに多い。これができるか否かが一般人と魔導士の境目とされている。
そして、熟練した一流の魔導士でも第二級がせいぜいで、第一級ともなると宮廷魔導士などの超一流の魔導士しかなりえない。その数も国ごとに10人程度といったところだろう。ちなみに、第一級の上には特級という位があるのだが、これは国に一人いるかいないかのレベルだ。まずお目にかかれない。
そう考えると母さんは本来こんな片田舎で司祭をやっているような人間ではないのだ。しかし、父さんと結婚してからはのんびり暮らしたいと、無理を言ってこのような田舎の司祭にしてもらったらしい。
かつて母さんに後悔していないのか聞いたことがあるが、出世競争なんかに勝つよりもこうして家族と一緒にのんびり暮らしながら、患者の顔を見て治療活動に従事できるこの生活の方が魅力的なんだそうだ。
「じゃあ、実際にやってみようか?二人とも、強化魔法の練習をするうちに魔力の操作にはかなり慣れただろうから魔力球は作れるはずだよ」
「では、私からやってみますね」
そういうとミスティは俺の前に出た。俺に異論はない。
「わかった。じゃあ、手を前に出して上を向けてごらん。この姿勢が一番魔力球を作りやすいからね。慣れれば体の周辺のどこにでも魔力球を作れるようになるよ。こんな感じでね」
そう言うと父は右肩の上辺りに魔力球を作り出した。
「そして慣れてくれば一度に複数の魔力球を作ることも可能だよ」
父は左右の手を前に出して上を向けると同じように魔力球を作り出す。続けて左肩、頭上と順に魔力球を浮かべていき、合計で5つの魔力球を作り出した。
「こんな感じだね。ミネルヴァクラスの魔導士になれば一度に何十個もの魔力球を作ることもできるようになるよ」
そう言って父さんは母さんを見た。母さんは父さんのそんな視線を受けて少しだけ笑みを浮かべる。
「こんな感じだな」
そう言葉を続ける母さんの周囲には20個ほどの魔力球が現れる。
「おお!」「すごい…」
俺とミスティはそんな光景に思わず声をあげていた。
「少しわき道にそれたけど実際にやってみようか?じゃあミスティ、手を前に出してみて」
ミスティは父の言葉に従って右手を前に出す。
「イメージは身体強化の延長だよ。まず、右手を強化するつもりで魔力を右手に集めるんだ。そしてその魔力を右手の手のひらから外へと押し出して、手のひらの上で魔力を球の形に固めるイメージだよ」
ミスティは目をつぶって、精神を集中させる。今、必死で頭の中でイメージを作り上げ、魔力を繰っているところだろう。部分的な魔力強化自体は俺がすでに教えてあげたので問題はないはずだ。
しばらくすると、ミスティの右の手のひらにうっすらと水色の玉が現れる。
「よくできたね!これが魔力球だよ。ミスティの属性色はやっぱり青みたいだね」
「ふむ、やはりネスティアの娘だな」
母さんはそんな感想をもらす。ネスティアさんは母さんの職場で働くミスティの母親だ。治癒魔法を使う教会の神官で、母さんと同じ水の魔導士なのだ。
魔法の属性色は遺伝的要素と環境的要素により決まるというのが一般的な理解だ。水の魔導士のネスティアさんの娘であるミスティは同じように水の魔導士である可能性が高い。また、水の国として国土に多くの水源を持つこのウンディネス皇国には水の魔素が溢れている。そのため、この国で暮らす者は自然と水の魔導士への適性が高くなる傾向があるのだ。
だから、ミスティの魔力光が青になるのも自然といえる。それに、ミスティは青色の色髪持ちなので魔力光を見る間でもなくその属性色が青であることは一目瞭然なのだ。
「それにこの濃さなら第五級でも上位だね…やっぱりミスティはかなりの魔法の素質を持っていると言っていいよ」
父さんは嬉しそうな笑顔を浮かべながらそう話す。母さんもどこか嬉しそうだ。
「さすがだね、ミスティ」
「ありがとう。これもフランが強化魔法のコツを教えてくれたおかげです」
「どういたしまして。でも、俺はコツを教えただけ。これはミスティの実力だよ」
俺がそう言うとミスティは顔色が見えないように顔を背ける。喜んでいるのかな?
「じゃあ次はフランだ。今度はあまり驚かせないでくれよ?」
そう言って父さんは苦笑いを浮かべる。
「大丈夫だよ。魔力球はまだ俺も作ったことがないから」
これは本当だ。身体強化と違って見られたら言い訳の聞かない『放出』の魔法はまだ練習したことがなかった。一応、ミスティが来るまで魔法の練習をしないと約束したという事情もあったからだ。
(さて、母さんの青色になるか、父さんの赤色になるか…)
俺は色髪持ちではないので魔力光を見るまで自分の属性色は分からない。そういう意味でも俺は少し緊張していた。
「じゃあ、始めるね?」
俺は右手を突き出して手のひらを上に向けると、右の手に魔力を集中させる。魔力の操作はお手の物だ。そしてそれを手のひらから放出し、一気に球の形を作り上げる。そして、そこには輝かしい光を放つ魔力球が姿を現した。
「「はっ!?」」
俺を含めた全員が素っ頓狂な声をあげた。それも当然だ。そこに現れた魔力球の色は赤でも青でもない。ましてや、緑でも黄色でもなかった。
「白?」
そんな間抜けな声を出す俺の目の前には白色の魔力球が眩い限りの光を放ちながら浮いていたのだった。