episode 9
「あんた、酒、弱いんだからそのぐらいにしておきなさい」
声の主は乱暴にハルジの横に座った。
先程まで磯崎が座っていた所だ。そして、ハルジの手からタンブラーをもぎ取ると、中身を自分の胃に流しこんでしまった。
「何があったか知らないけどね、仮にもデートの前にべろべろに酔うんじゃないわよ。ま、遅く来たあたしも、少しは悪いんだけど」
彼女は顔色一つ変えることはない。
「カレリア」
「何?」
ハルジが名を呼ぶと彼の恋人は、輝くような笑顔を浮かべた。
「頼みがあるんだ」
「みなまで言うな。判ってるから。ね、『枚方くん』」
この懐かしい響きはカレリアとハルジが友人同士だった頃の、カレリアのハルジの呼び方だった。それを使うのは、カレリアが恋人ではなく友人としてハルジに接するという意味であり、まさにハルジが望んでいることだった。
カレリアが頬杖の上からハルジを目で促す。ハルジは言葉を選びながら口を開いた。
「俺にとってサンドラって何なんだろう」
事情を聞いていたカレリアは、その一言で全てが判ったのだろう、唇から小さなため息をもらす。
「彼女を追っかけてエンジェル・フィールドに行くつもり? そりゃあんな所でも故郷には違いないけどさ。あそこの人たちは確かに自分たちの生き方に誇りを持ってる。立派だとも思う。でも、自分たちと違う人間を疎んじる。それが彼らの自分自身の生き方を肯定することだっていうのも、そうしなきゃ潰れてしまいそうになるほど、あの人たちが抱えているものは重いんだって、今は判るけど」
さばけているのか、ぶっきらぼうなのか。ハルジには判断のつかない強い口調でカレリアは吐き捨てる。
「あたし、あそこに帰る気なんてないから、あなたがサンドラを追いかけて行ってもね。あなたが望むことをあたしは止めない。あなたがしたいようにしなさい」
そして、カレリアはハルジの目を見すえて言った。
「……サンドラと一緒に行くの?」
ハルジの求めていた答えはカレリアの瞳の中にあった。
自分を本当に必要としているのは、誰なのか。考えるまでもなかった。
「悪かった。俺、いつもカレリアに甘えている。君が年上だからって酷いよね」
するとカレリアは、ぷっ、と頬を膨らませた。
「年上って言っても、一つだけでしょ。年のこと言わないでよ。気にしてるんだから」
そして小さく笑う。ハルジは自分が禁句を口にしてしまったのを知った。
カレリアが年を気にしているのは一般的な女性の傾向としてでもあったが、もっと深刻な理由もあった。
彼女は自分の才能の限界を決めていた。
25歳までシンガーとしてデビューできなければ、その道を諦める。
それが彼女の「自分自身の生き方を肯定すること」だった。
カレリアは今、24歳。時は待ってくれる筈もない。
そんなハルジの不注意な一言を、カレリアは笑い飛ばす。はにかみなどはなく、自虐でもなく、純粋に楽しんでいる笑い。
この笑顔に何度も救われたのを、ハルジは今さらのように思い出す。
全11回完結の予定。
次回更新予定は1週間後の1月29日です。