episode 6
「ね?ハルは技術者だしエンジェル・フィールド生まれなんだから志願すれば行けるよ、きっと。ね、あたしと一緒に行こう」
先程まで漂っていた切迫感は一瞬にして消え去った。エンジェル・フィールドに行く、とすっかり決めているらしいサンドラの話しぶりにハルジは疑問を覚えはするが、サンドラに合わせて明るい調子で言う。
「サンドラ、判ってて言ってるよね? 出来ないんだ。カレリアが……売れないシンガーのカレリアには、エンジェル・フィールドに住む資格がない」
「お見通しなのね。もちろん、そんなの判ってるってば。原因がカレリアさんにあるだろうってことぐらい。冗談よ、冗談。本気で取らないで」
ハルジとサンドラはフォン越しに微笑みあった。
サンドラに必要だったのはこれだったのだ、とハルジはしみじみと思う。
確かにこの役は磯崎には無理だ。他の誰にだって無理だ。
ハルジにしか出来ない。
磯崎なら恋人という間柄にあるが故に、こんなことを言われたらサンドラと共に行くしかない。縛られる自由もあるのだ。
それが磯崎とサンドラにとっては当然だ。
しかし、例えそれが磯崎の本心であっても、彼がついてきてくれることにどんなにサンドラが嬉しさを感じたとしても、彼女の中の磯崎を巻き込んでしまったのではないかという重みは消せない。
その重みを背負うよりサンドラは磯崎から離れていくことを選んだ。
友人であるハルジなら、そこに縛られない。
ましてやハルジには彼を縛るべき人が他にいる。
サンドラが欲しかったのは、彼女を本当に心配していながら自分の生き方を曲げること無く、深刻さを承知しながら同情なしに冗談をかわせる相手だったのだ。
彼女がその相手に自分を選んでくれ、様々な偶然の働きがあり、ここまで意識しないで役割を果たせたことをハルジはただ、良かった、と思った。
考えてみれば、ハルジはサンドラにこういう役をふってくれることを最初から望んでいたのかもしれない。
そしていつか二人が離れた時に、お互いの存在ではなく、共有した時間で交わした言葉や抱いた感情が、胸に宿る想いが、時間も距離も超えて萎えてしまいそうになる、互いの生きていこうとする力を支えていけるように、と。
笑いの漣が収まると、ハルジはそっと囁くように問う。
「……磯崎氏のことは?」
「ん……プロポーズは断っとく。それから『自分を見つめ直すため』旅に出ることにする。いつ帰って来られる旅か判らないから、新しい人をみつけておいてねって言っておく」
「プロポーズを断るにはずいぶん曖昧な理由だね。彼が納得するかどうか」
「納得も何も来週には私、エンジェル・フィールドに旅立つのよ。手続きはとっくに終わってるもの」
ハルジは目眩を感じた。
サンドラは相談はするが、その時にはとっくに心を決めていたり行動した後だったりすることが度々あった。
おそらく磯崎だったら、彼女が今回のように意図的に秘密にしようとしない限りは、彼女のちょっとした仕草から敏感に察知して、彼女を止めようとするし、止められるだろう。
ハルジでは感じ取るのも上手いとは言い難いし、サンドラを止められない。
そこまで彼女に踏み込んでしまうのに抵抗を覚えるし、自分ではサンドラの心を急には変えられないと思う。
サンドラもハルジの言動で自分の行動を急に変える気はないだろう。
だからこそ、ハルジとサンドラは判り合えながらも友人どまりの関係なのだし、感情表現の大部分を会話に頼るからこそ、誰よりも近い所にいるという確信を互いに持てるのだ。
「また突然な……考える時間ぐらい取っておかないと」
「言っても無駄だって、判ってるよね?」
「もちろん」
そろそろ話が終わりに近づいてきているのをハルジは感じていた。
自分から話を切り出すと、大した話題もないのに引き止めてしまいそうになる。それが怖くて自然とハルジの沈黙が増えていく。
ふいに、何を思ったかサンドラが話を切り換えた。
「あたしねー、映像切ったフォンって好き」
「え?」
あまりの唐突さにハルジはついていけなかった。
サンドラは突然、話の核心をぶつけるような、こんな話し方をよくする。そんなところも、ハルジはとても好ましく思っていた。
「昔のフォンって音声だけだったんだってね。それって正解。顔が見えると駄目よ。相手のこと判った、って変に安心しちゃうもん。直接会わない限り判りっこないのに。賢い人にとってはね、声だけだったら色々想像できるし、その分相手のことも思いやれるし、強がるのも顔が見える時より楽だし、いいことづくめだと思う。TVフォンを作った人には申し訳ないけど」
「そうだね」
短いが、サンドラのユニークな着眼点と鋭い洞察力に感じ入った、それは最高の賛辞のあいづちだ。
話がまた一転する。それこそ話題が尽きてきた証拠なのだが。
「ハル、カレリアさんからのフォン待ちだったでしょ?」
「あ?……そう言えば」
ハルジ自身も忘れていたことをサンドラは言い当てる。
軽い驚きの声を上げるハルジに、サンドラは名探偵よろしく解説を始めた。
「こんな変な時間にフォンしてすぐ取ってもらえるなんて理由、恋人からのフォン待ちぐらいしかないじゃない。それともなあに、たまたま通話ユニットの上に手を乗せていたとでも言うつもり?」
「言わないけど」
ハルジにしては珍しく拗ねた口調で返す。
表面的には決して甘えではなく、ふざけているのを装って。
「ずいぶん不満そうだこと。はいはい、いい加減判ってくれていると思ったけど、あたしは知っててやってるの。それぐらい判るでしょ?」
「まあね」
「だから、そろそろ切るね」
今まで幾度となく繰り返されたいつもの軽口は、今日はサンドラの一言で終わらせられてしまう。
そしてこの時間は、永久に失われるのだ。
「うん」
ハルジの返事はいつになく短い。
「それじゃ……」
と言いかけて、サンドラは付け加えるように言う。
「そうそう。本当は見送りに来てもらおうと思ったんだけど、地球に来る連絡船、いつ出るか教えてもらえなかったの。指示があるまでお待ち下さい、だって。来週の今日、あ、もう昨日か……に、このグラウクスを発つのは決まっているんだけど」
サンドラはハルジに口を挟まれるのを嫌っているかのように、まくしたてる。
「これから引越しとか手続きとかプロポーズ断ったりとか、色々忙しいと思う。フォンをかけられるのも、今日が最後かも」
形は追伸だが、サンドラはこれをハルジに伝えたかったのだろう。それが痛いほど判っていながらもなお、ハルジには素っ気ない応答しか出来ない。
「そう……だね」
「今までありがとう」
「何もしてないよ。俺は」
どんな気持ちを込めて話せば良いか見当もつかないハルジには、無表情な声でそう言うしかなかった。
「いいの。あたしは知っているから。ハルはあたしをただの一度も子供扱いしなかったのに、いつも自分は年上だって意識しててくれたでしょ。そういうのは何もしてないなんて言わない」
それこそが、ハルジがサンドラにしていた唯一の気遣いだった。今まで伝わっていないのでは、と思っていただけに、彼女に最後にそう言ってもらえたのは本当に嬉しかった。
だが、今のハルジはその喜びをサンドラにうまく伝えられない。
「サンドラがそう言うのなら、少なくとも君の中では真実だ」
フォンの向こうでサンドラは小さな笑みを浮かべていた。ハルジのそんな繊細な感情表現の仕方をサンドラは良く知っていた。だからこそ、互いに大切な友人であり続けることを選んだのだから。
「判ってきたじゃない、ようやく。……それじゃハル、おやすみなさい」
「おやすみ、サンドラ」
そうしてフォンはサンドラから切れた。
ハルジは通話ユニットをおくのを何となく躊躇った。
が、それではカレリアからのフォンを受けられないのだという事実にようやく気がつき、通話ユニットを置いた。
全11回完結の予定。
次回更新予定は2週間後の12月25日です。