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episode 3

「本当の両親は片方が東洋人エイジャンみたい。でも私、今の太洋州人オセアニアンの両親を愛しているから。だから太洋州人であることに誇りを持っているのよ」

「それを知ったのはいつ頃?」

 サンドラは何でもないことのようにすらすらと答える。

「スクールに入った年だったから、6歳の時。偶然、知ってしまって。両親……育てのね、には聞けなかった。隠したがっていたのが判っちゃったから」

 出生にまつわる真実は、明かすタイミングが悪いと後々酷いトラウマになってしまうことがあるが、察するにサンドラの場合はさほど悪いタイミングではなかったらしい。ショックが全くなかった訳でもないだろうが。

「でも、本当の両親のことが知りたくて。25歳になれば自分で調べられるってことは知っていたけど待ち切れなかった。だから、うんと勉強して分子遺伝学ラボに入ったの」

 分子遺伝学ラボにはDNAトレーサーという装置がある。DNA鑑定に用いられる他、研究員になってIDさえ取得すれば、当局の膨大なDNAバンクにアクセスできる。

 対象者の承諾さえあれば、そのDNAが何者から受け継がれたのか、つまり生物学上の親を調べることができる。もちろん自分のDNAなら自分が承諾すれば良いのだから、調べるのは容易い。

「飛び級してラボに入れば、うまくいけば18歳で調べられるじゃない?」

 研究員になるためには最低3年間は研究生として学ばなければならない。

「それじゃ、サンドラは研究員になるんだ」

「うん、そのつもり。ハルは?」

「働くよ、奨学金返さなきゃならないから。そうだ、サンドラにも俺の秘密、教えておこうか」

 後から考えると、何故、自分がそんなことを口にしたのかとハルジは首を傾げたくなる。たぶん、秘密をサンドラから一方的に聞かされるのではなく、分かち合いたかったのだろう。

 無言の中に、話したくないなら無理をして話さなくてもいい、という雰囲気が感じられた。

 ハルジは緊張の為に乾いてくる唇を湿らして、口を開いた。

「俺、孤児なんだ。15歳の時、両親が死んでしまったから」

「……知らなかった」

「あんまり人に言うことじゃない、こんなこと。自分から言ったのは初めてだと思う」

「実を言うと、私も初めてだったりして。育ての親も私がこのことに気づいているって知らないのよ」

 少しの間、奇妙な沈黙が流れた。奇妙だが互いに居心地の悪さを感じるものではない。むしろ逆だ。

 自分がそれを望んだのにもかかわらずハルジは、この時間を打ち切らなければならない、と強く思った。

 こういう時間を幾度も過ごしたら二人は友人でなくなってしまう。

 ──そんな予感があった。

 どういう形であれ、ハルジが友人としてのサンドラを失うのは耐え難いことだ。

「……ま、人には秘密の一つや二つはあるってこと」

 自分たちが特別な人間ではない、ということを強調するように言い含める。

 自分たちが特別などという妄想とも言える感覚は例えば、他人を前に言い放てる程に肥大してしまったら最期だとハルジは思う。そんな人間は社会の中で生きていく資格はない。

 社会が、他人が、認めないだろう。排除されてしかるべき行為だ。

 しかし、それには甘い響きが伴う。同じ意識を持つ者を強く結びつける。自分たち自身に酔えるのだ。

 ハルジは、自分たちは周りと違うという感覚で人との繋がりを強めたくなかった。きっかけとしては許容するが、それだけで築いた繋がりは必ず崩壊する。

 だからこそ、サンドラとの繋がりをそういうものに頼るのは絶対に避けたかった。

 それに本当に特別な――大部分の人と違うものを持つ者は、そういうことは口にしない。

 ハルジはそれを知っていた。

「パートナーのことは頑張りな」

 咳払いをすると、ハルジは当てずっぽうではなく、ある程度の根拠からサンドラを励ます。

「頑張っていれば、そのうち、『いいこと』もあるよ、きっと」

「判った。ありがとう、ハル」

 サンドラはいつもの元気を取り戻していた。通話ユニットの向こうのちょっとはにかむような笑顔が目に見えるようだ。

「じゃ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 決まり文句のようになっている挨拶をかわして、フォンを切る。

 その直後、サンドラの研究を担当する磯崎という名の研究員から、ハルジはフォンを受け取った。彼はハルジと同じ年で既に研究員だった。彼こそがサンドラの前に15歳でラボ入りした秀才である。

 彼からは何度かサンドラのことでフォンをもらっていた。

 磯崎はサンドラに気がついて心を砕いているようだった。

 ハルジがサンドラを励ました根拠が彼である。ハルジ以外にも自分を気にかけてくれている人がいたと知ったら、サンドラはどんなに心強いだろう。

「彼女、君になら話していると思ったんだ」

 彼のこの言葉は、ラボ内で他のメンバーからハルジとサンドラがどのように見られているかを端的に表わしていた。

 互いにいちばん心を許せる仲。

 だが、二人の態度がさっぱりとしていたので、その関係にそれ以上の感情があると疑う者は誰一人としていなかった。

 ハルジはサンドラに相談されなければ、彼女が人間関係で悩んでいることは判らなかっただろうから、それなしにこのことに気づいた研究員という職業の人は、それだけ研究生に注意を払うものだと感心していた。

 が、磯崎が注意を払っていたのは研究生ではなく、サンドラ・フィオルという一女性だったのだと気づいたのは少し経ってからだった。

 午後も2時近くに約束した訳でもなく食堂で一緒になったサンドラの口から、ハルジは直接聞いた。

「私、磯崎さんとお付き合いするかもしれない」

「磯崎さんって、磯崎研究員のこと?」

「そう。告白、だと思うけど……された」

「返事は?」

「まだ。でも、なんか私も磯崎さんのこと、ずっと好きだったみたい」

「なら、いいんじゃない」

「……うん」

 向かいに座るサンドラのかすかな笑みが急に遠くなる。

 昼下がりの閑散とした食堂の白いテーブルがやけに光って見えた。

 ハルジの体の中に眩しい光が射してきて、心の何処かがゆっくりと麻痺していく。

 ハルジがこの時感じていたのは、後から考えれば喪失感だった。

 友人に大切な人ができてその分、自分と接してくれる時間が減るだろうという想いだった。

 その友人が、たまたま彼にとって初めての、そしてその時唯一の女友達だったから、激しい感情を味わう羽目になったのだ、と。

全11回完結の予定。

次回更新予定は2週間後の11月13日です。

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