私が偽聖女ですか、王太子殿下。キレた聖女は結界をドーナツ型にした ~王太子の周囲だけ加護が消滅したようです~
どうも皆様、私、聖女ドナツェリアと申します。
ちょっと変わった名前ですよね。これは私が自らつけた聖名だからでございます。
聖名というのは、聖女になる際に教会からつけられる、いわば洗礼名のようなもの。
私は特別な許可を得て、大好きな食べ物から自分の洗礼名をつけました。
私たちが住むアルガタ大陸は、女神の加護と魔王の侵略を受けています。
女神のお力により、魔王や魔族は基本的に地の底へ封じられておりますが、時折、地上に顔を出すことがあります。
その際に媒介となるのが人間の欲望です。
ドーナツを毎日たくさん食べたい……くらいのささやかな望みであれば 、魔族の餌になることはありません。
身勝手な望み、度を過ぎた貪欲さ、他人などどうでもいいという利己心、 妬み、蔑み――魔族はそうした人間の弱さにつけ込んで、女神の加護を弱め、地上へと出てくるのです。
もちろん、ある程度の欲望や競争心は必要悪です。心の清らかな人間だけになれば、発展もなくなってしまうでしょう。ドーナツはプレーンの1種類だけ、チョコソースやいちごジャム入りといったバリエーションの開発もままなりません。
ですから女神は、ご自分の力を人間に分け与え、加護の力を強められるようにしました。
それが教会や聖女という存在です。
教会の神官や聖女が人々の代表となって祈ることで、防護結界を築き、その内部の人々は安全安心にドーナツを食べて暮らすことができるようになっています。
まあ、難しいことがわからなくとも、女神と聖女が二重の結界でみんなとドーナツを守っている。
それだけ覚えてくださればけっこうです。
「――というようなことを、ミサで何度も説明されているはずなのですが、お忘れでしょうか」
目の前に立つレイモンド殿下をひたと見据え、私はなるべく冷静な表情と声色で告げました。
内心は「は???? ん????」と疑問符が乱舞しておりますが、それをそのまま口に出すのは聖女らしからぬ振る舞いとなってしまいます。
先ほど、レイモンド殿下――シュガスイート王国の第一王子であり、王太子でもあるこの方は、私と同じ白い聖衣を着た令嬢を連れて、私の前に現れたと思った途端――。
「忘れてはおらぬ! ドナツェリアよ、貴様こそ、加護をもたらさぬ偽聖女でありながら聖女を名乗るなど不届き千万! 婚約破棄のうえ、国外追放を申し渡す!! 新たな聖女、そして俺の婚約者は、このジュリアだ!!」
……そうそう、これです。
この方は、王宮に併設された聖女専用の神殿に現れたかと思いきや、とんでもないことをのたまったのでした。
加護をもたらさぬ偽聖女で、婚約破棄のうえ、国外追放。
そう言う本人は聖女の衣装をまとった令嬢付き。
「ツッコミどころはたくさんあるのですが……まず、私が偽聖女、ですか?」
「ああそうだ。お前は神殿で祈りを捧げるどころか、神殿を私物化している! 今もそうだ、いったい何をしていた!?」
レイモンド殿下が、びしいっ!と鋭く私を指さします。
私は生地の並んだ台を眺め、その隣の油を入れた鍋を見つめ、言いました。
「……ドーナツを作ってましたけど?」
「祈りもせずに神殿を私物化してるだろうが!!!!」
レイモンド殿下がこめかみに青筋を立てながら怒鳴ります。
「いえ、これは奉仕事業です。子どもたちにドーナツを配っています。それにちゃんと祈ってますよ、毎日5分くらい」
「1日5分祈ってあとの時間は全部ドーナツに費やしてるだろうがお前は!!!!」
「なにか問題が?」
「問題しかないわ!!!!」
「ええ……防護結界はちゃんと作動してますよ? もしかして、結果ではなくかけた時間で評価を下すタイプの人ですか、殿下」
「ぐ……っ」
レイモンド殿下がギリッと歯を鳴らして黙り込みました。わかってくださったのでしょうか。
と、殿下の隣で殿下の腕を抱くようにして立っていたご令嬢が、励ますように言いました。
「殿下、王都全体を包むほどの結界がたった1日5分の祈りで維持できるわけがありません。この者はいま、自ら自分がニセモノであることを白状したのですわ!」
「はっ! そうか! そうだ、ジュリアの言うとおりだ。このニセモノめ! やはり貴様は婚約破棄のうえ追放がふさわしいっ! 本物の聖女であるジュリアにその座を明け渡せ!」
「いえ、そもそもその婚約破棄というのも……」
え、なにこれ、ひとつひとつ説明していかないといけないんですか? 台の上ではドーナツちゃんたちが、今か今かと揚げられる時を待っているのに?
私の疑問と呆れとものすごく面倒くさいという本心が声色に出てしまっていたのでしょう。
レイモンド殿下はカッと目を見開くと、絶叫とともに腕を振りあげました。
「口答えをするなああああっ!!!!」
レイモンド殿下の腕は、狙ったとおりにドーナツの生地をのせた台をひっくり返します。
ガシャーン!!!!とけたたましい物音が神殿に響きました。
「ああっ!!」
私は声をあげてしまいました。
宙に放りだされるドーナツ。台が焜炉にぶち当たり、宙に放りだされる鍋。
鍋からこぼれ、レイモンド殿下めがけて降りそそぐ油――。
「ピギャアッ!?!?」
けれどもしかし、ドーナツと鍋が床に落ちることはなく、ぐらぐらと煮えた油が踏み潰されたカエルのような悲鳴をあげるレイモンド殿下に降りそそぐこともありませんでした。
私が浮遊魔法を使って、ドーナツと鍋と油を空中にとどめたからです。
指をひとつ鳴らせば、それらは元あった場所にきちんと戻りました。
「え……」
おや、レイモンド殿下と、えーっと……そうそう、ジュリアさんでした。
レイモンド殿下とジュリアさんの表情が引きつっていますね。
ふたりとも、まがりなりにも魔法の勉強はしたと見えます。
私が使った魔法が、超膨大かつ超精密な魔力コントロールを要することを察したようです。
浮遊魔法自体がめちゃくちゃ難しいのに、大量のもの(液体含む)をバラバラに動かす、なんてやってますからね、私。
「……ドナツェリア……お前の話を聞いてやらんでもないぞ」
「ええ、私も、ニセモノは言いすぎだったかもしれませんわ……」
手に手をとりあい、レイモンド殿下とジュリアさんは震え始めました。
けれど、いまさら態度を改めたところで、もう遅いのです。
ただ私を見当違いの理由で罵倒するだけなら、(やかましいな、この男。あと誰だろうこのご令嬢)くらいの印象ですみました。
しかしレイモンド殿下は、わが愛しのドーナツちゃんたちに手をあげてしまいました。
これは許されることではありません。
「どうしてドーナツには穴が開いているか……知っていますか……」
ゆらりと白い聖衣が揺れます。思いがけず低い声が出ました。
私は浮遊魔法で、レイモンド殿下とジュリアさんを浮かせます。
「ヒィッ!! 知らんッ!!!!」
「いやあ!! 助けて!!!!」
空中でもがくふたりを、彼らが入ってきた王宮側の扉から連れだします。
王宮に併設された神殿には、王宮の庭園につながる扉と、王都につながる扉があるのです。このことからも、神殿が民に開かれていることがわかります。
浮遊魔法を解くと、レイモンド殿下とジュリアさんはどさりと地面に落ちて悲鳴をあげました。
なお、王宮の庭園は、正面玄関から続く石畳の先が広場になっています。
城壁の向こうからぴょこりとかわいらしい顔が覗きました。どうやら集まってきた子どもたちが、いつもの時間になったのにドーナツが配られないことを不思議に思って、野次馬をしにきたようです。
私はレイモンド殿下とジュリアさんに歩みより、ふたりを見下ろして大音声の一喝。
「ドーナツの真ん中に穴が空いているのはね……穴がないと、爆発するからですよッ!!!」
「出た! 聖女様の関係あるようで全然関係ないドーナツ話!」
「ドーナツ説教!!」
「よっ! ドーナツ聖女!」
怒り心頭の私を、子どもたちがやんややんやと囃し立てます。
やかましいですよ。全部事実だけど。
さすがに子どもたちは気づいていませんが、レイモンド殿下は魔力の流れが変わったことに気づいたようです。
「なんだっ!? なにをしたんだ……!」
「いえね、結界に穴を開けました。ドーナツのように、真ん中に穴を……」
きょろきょろとあたりを見まわすレイモンド殿下に、私は静かに言いました。
王宮は王都の中心にあります。そしていまレイモンド殿下とジュリアさんのいる庭園の広場は、その王宮の中央に位置します。
私は、王都を守る結界の中心だけに穴を開けました。
――つまり、この庭園の広場だけがいま、結界の保護下にないのです。
地底に潜む魔族たちは大喜びで地上を目指していることでしょう。
身勝手な望み、度を過ぎた貪欲さ、他人などどうでもいいという利己心、 妬み、蔑み――それらをすべて兼ね備えたふたりが、結界の消えた空き地の真ん中で寄り添っているのですから。
「やめ――」
「たすけ――」
悲鳴をあげきらぬうちに、ふたりの周囲に黒い靄のようなものが大量に湧きでてきました。
見る間にそれは、恐ろしい唸り声をあげ、鋭い牙のあいだから赤い舌を覗かせる魔犬の姿に変化していきます。
十頭ほどの魔犬に取り囲まれたレイモンド殿下とジュリアさん。
どうやら、露払いの低級魔族たちは皆、このふたりの真っ黒な魂に惹きつけられた模様です。
現れた魔犬たちに悲鳴をあげたのはふたりだけではありません。
城壁によじ登り野次馬をしていた子どもたちも、怯えた声をあげます。
「うわあ! 魔族だ! 本当にいるんだ!」
「怖い!!」
素直にそう言える子どもたちを魔族が優先的に襲うことはないでしょうが、ひとまず注意をしておきます。
「あなたたちはそちら側にいなさい。城壁の向こうは結界が残っているから」
子どもたちは声を揃え、「「「はーい、聖女様!」」」とお行儀よく返事をしました。よろしい。
あとはレイモンド殿下とジュリアさんです。
「さて、これで私がきちんと仕事をしていたことはわかっていただけたと思います」
私はおふたりに向かい、姿勢を正しました。
……おふたりは私の話どころではないようですが。結界がうまく作動していることは、わかっていただけたはずです。
魔犬たちは唸り声をあげ、よだれをたらしながらふたりに向かってじりじりと包囲の輪を狭めています。
「次はジュリアさんの番ですよ。本物の聖女だと言うなら、その力を見せてください。あなたの力でこの場に結界を張り、レイモンド殿下を守るのです」
「そうだ! ジュ、ジュリア!! お前はドナツェリアを超える聖女だろ!? 早く結界を……」
「バカなこと言わないでください!! そんなの無理だって、レイモンド殿下もわかっていらっしゃるんでしょう!? ドナツェリア様の結界に囲まれながら数メートルだけの結界を張るなんて無理です!! だいたい王都を覆う巨大な結界を張りながら私たちのいる場所だけピンポイントで結界を解除するなんて……ドナツェリア様が誰の魔力も借りずに、膨大かつ綿密な魔力のコントロールを行っているという証拠なんですから……」
半泣きになりながらも状況を的確に解説したジュリアさんの言葉に、レイモンド殿下は青ざめました。
いや、そこまで褒められると照れますね。
「半径十数キロの結界に数メートルの穴を開けるのも、ドーナツの穴だと思えば簡単ですよ」
はにかみつつ私は言いました。
「あれ、もしかして謙遜のつもり?」
「ケンソンってなに?」
「今のはギリギリドーナツ関係あったかも」
「それよりドーナツまだあ?」
子どもたちの声で、私ははっと思いだしました。
そうです。私にはドーナツを揚げるという使命があります。
「ごめんなさいね、みんな。さあ神殿に戻りましょう」
「ちょっ! ドナツェリア!! 助けてくれ!! おい! 助けてください!」
「あっ、王子様がもうひとりの聖女様を突き飛ばして逃げた!」
「魔犬がめちゃくちゃキレてる! めっちゃ吠えてるよ!」
「こええ…」
子どもたちの言うとおり、レイモンド殿下はジュリアさんを囮にしようと転ばせたみたいです……が、その心の醜さが逆に魔犬を呼び寄せてしまった模様です。
「見て! 王子様が木に登った! ……木が倒れた!」
「こえーっ! 魔犬の牙こえーっ!!」
「あっ! 魔犬が王子様に襲いかかる!!」
「おっと」
私は神殿に向かいかけていた足を止めました。
魔犬は強いモンスターではないですし、一応訓練を受けたレイモンド殿下を食い殺すような力はない……はずですが、万が一ということもありえます。
「聖なる光よ――」
私が破魔の力を使おうとしたときでした。
ひとすじの剣閃が走り、鋭い牙でレイモンド殿下の喉笛に食らいつこうとしていた魔犬を切り裂きました。
え、喉笛に食らいつこうとされてるじゃないですか。あぶねえ。
剣閃の主は、魔犬たちの中へ踊り込みます。
レイモンド殿下を庇うように魔犬たちに相対し、返す刀で別の魔犬を切り、その勢いでまた一匹。
あっという間に十匹の魔犬を倒してしまいました。
出現したときと同じく、揺らめく靄となって魔犬たちは消えていきます。
「すごいっ! かっこいいー!」
「強いぜ!!」
子どもたちも大はしゃぎです。
「ぼく知ってるよ! あの方は、聖女様の次にドーナツが大好きな――」
「……ローレンス……」
レイモンド殿下の口から、呟くような小さな声が漏れて、その人の名を呼びました。
「大丈夫でしたか、兄上。ドーナツの時間になっても神殿に誰もいないだなんて……いったい、何事ですか?」
輝く金の髪に知性的なまなざしを宿す緑の瞳を持つ、その方は、ローレンス殿下。
レイモンド殿下の弟君、我が国の第二王子にあたります。
彼の姿を目にした途端、私の心臓はバックンバックンと音を立て始めました。
ひとすじですが、冷や汗も出てきます。
「いえ、そのう……結界に、穴が空いたみたいで……?」
私は視線を逸らしながら答えました。
「たしかに、この周辺だけ結界の加護が消えているようですね。原因は?」
ローレンス殿下はうつむく私をじっと見つめます。
嘘はつけません。私はローレンス殿下に頭があがらないのです。
皆さんの周りにもいませんか? すごく穏やかで物腰柔らかだけど、この人だけは怒らせたらヤバいぞ、という空気をまとう人……ローレンス殿下はそんな方です。
「私が、開けました……」
「では、今すぐに直してください」
「はい」
ぱちんと指を鳴らすと結界はすぐに元どおりになりました。
「で、なぜ結界に穴を?」
「……レイモンド殿下が、ドーナツをひっくり返し……いえ、私を偽聖女と呼び、婚約破棄のうえ国外追放するとおっしゃったので、抗議のために。そうです、そうでした。私の働きぶりを知っていただくために、です。実際に結界の効果を実感していただいてですね、そうすれば私が聖女としての役目を果たしているとおわかりいただけるものと推察しまして」
いくら私でも、ドーナツをひっくり返されてブチギレ、結界に穴を開けたなんて言い分が通らないのは理解しています。
ここは婚約破棄と国外追放の話題を出してレイモンド殿下の横暴をアピールしなければ。
「急に饒舌になりましたね」
エアろくろを回しながら必死に説明する私に、ローレンス殿下は冷静な感想を述べました。
「うぐ……っ」
「……まあ、事情はわかりました。ドナツェリア殿を偽聖女呼ばわりのうえ婚約破棄に国外追放とは、それは兄上が悪い」
ローレンス殿下はまだ腰が抜けているレイモンド殿下を見下ろし、ため息をつきます。
「な、なぜだ。この女は――いえ、ドナツェリア殿は、毎日5分の祈り以外はドーナツのことばかりだ。結界が本物だったとはいえ、偽聖女と勘違いするのも仕方ないだろう」
おっと、勘違いですませる気ですか。まあいいですけど。
「もうひとつ勘違いをしていますよ、レイモンド殿下」
「なんだと? あっ、いえ、なんでしょうか、ドナツェリア殿」
立ちあがったレイモンド殿下が、姿勢と口調を正しました。
そういえばジュリアさんの姿が見えません。さっさと逃げたみたいです。
やれやれ、やっと最初に言おうとしていたことが言えます。
「そもそも私は、レイモンド殿下と婚約していません」
「えっっっ!?!?!?!?」
今日イチのデカボイスでレイモンド殿下が驚いています。いま少し地面が揺れたのでは?
「私がこの国の聖女となったのは、毎日好きなだけドーナツを食べてよいと国王陛下が約束してくださったからです」
私は説明しました。
好きなだけのドーナツ――これは量の話でもありますが、種類の話でもあります。
つまり、私が欲するドーナツを、私はなんでも食べていいのです。
プレーンでも、ココアでも、お店のドーナツでも手作りでも、ホワイトチョコ、生クリーム、ジャムのどれをかけようが、砂糖を振ろうがココナッツをまぶそうが好きにしていいのです。
ですからドーナツ作りを理由に国外追放される謂れはありません。
「いや待て、それより俺と婚約していないとはどういうことだ!?」
「……兄上、父上が言ったのは、『聖女ドナツェリアをわが国にとどめるため、お前たちのどちらかと結婚させたい。婚約者の座を手に入れるように努めろ』ですよ」
そんなことを言ってたんですか、あのおじさ……いいえ、国王陛下。
「『聖女ドナツェリア』『結婚』『婚約者』しか聞いていなかったんでしょう」
ローレンス殿下がじっとりとした視線をレイモンド殿下に向けます。レイモンド殿下は青ざめて目を泳がせました。
わかります、ローレンス殿下のこの目、なんかそわそわしますよね。迫力がある。
「しかし父上は、俺に会うたびに『ドナツェリア殿とはどうだ』『彼女は変わり者だがうまくやるんだぞ』と」
「完全に『こいつ心配だから念を押しておこう』の台詞ですね……」
ローレンス殿下の無慈悲なツッコミに、レイモンド殿下はがっくりとうなだれました。
というかもし本当に私たちが婚約していたとしても、うまくやるんだぞと言われてよし俺のほうが優位だぜ!婚約破棄したろ!となるのは端的に認知が不安定では?
というか②、私は国王陛下から変わり者だと思われているのですね……。
なんだかショックです。私はたしかにドーナツが人よりも少し大好きだけれど、聖女としての務めは果たしていると思っていました。
やさしい聖女のお姉さんに擬態できていると思っていたのに……。
レイモンド殿下といっしょになってうなだれる私に気づいたのでしょう、ローレンス殿下は、慰めるように私の肩を抱いてくださいました。
「ドナツェリア殿、あなたは我が国の発展に多大な貢献をしてくれています。立派な聖女ですよ。気に病むことはありません」
「ローレンス殿下……そうでしょうか」
いつになく弱々しい声が出てしまいました。
尋ねる私に、ローレンス殿下は力強く頷いてくださいます。
「『おいしくドーナツを食べるための適度な運動』と称した魔族の討伐、『おいしいドーナツを作るための下準備』と称した小麦の品種改良、その小麦を育てるための農地の開墾、砂糖の精製の効率化……そうした技術を惜しみなく民たちへ伝授し、国内の産業全体の振興に寄与しています。我が国の生産高はびっくりするような右肩上がりを記録しています」
「でもやっぱりドーナツのことばかりで……」
1日5分祈るだけであとはずっとドーナツ、というレイモンド殿下の糾弾は間違っていないのです。それが聖女としてふさわしくないのであれば、 私はやはりふさわしくないのだと思います。
「あなたは緊迫した状況にあった隣国との外交にものりだし、友好を結んでくれました」
「それはどうしてもドーナツにチョコソースをかけたくて、隣国からカカオを輸入したかったのです」
ローレンス殿下が私を庇ってくださるたびに、私は反省の気持ちを深めていきました。
ほら、よくありません?
頭ごなしに否定されると色々と反論したくなるけれど、逆にあまりにも理解を示されると、私も悪かったかも……という気持ちになること。
「……申し訳ありませんでした、レイモンド殿下、ローレンス殿下」
私は神妙な表情になって頭を下げました。
「私にも、陛下から許されているという驕りがあったのかもしれません。今後はよりいっそう聖女としての勤めを果たしていこうと思います。……まずは祈りの時間を2倍に。10分」
「10分かよ」
レイモンド殿下の声が聞こえました。
も〜、またそうやって、かけた時間で判断する〜。
「祈りによる魔力消費は指数関数的に増えますから、時間が5分のびたことによる効果は32倍ですよ」
「嘘だろ」
レイモンド殿下が冷たい視線をぶつけてきます。
よかった、ツッコミを入れてくるということは、魔犬に襲われたことはレイモンド殿下の中でトラウマになってはいないようです。原因を作った私もあまり怒られなくてすみそうです。
「ご存じないのですか、レイモンド殿下。トポロジーという学問ではドーナツとコーヒーカップは本質的に同一の形とみなされるのですよ」
「な、なんだと!?」
驚くレイモンド殿下に、ローレンス殿下が「これは本当のことです。魔力のほうはわかりませんが……」と助け舟を出しています。
「世の中にはあなたの知らないことがたくさんあるのです。己の無知を他人に押しつけるのはおやめなさい」
「クソッ、聖職者みたいな説教しやがって……!」
「聖職者ですけど」
「覚えてやがれ!」
王太子とは思えない捨て台詞を吐き、レイモンド殿下はダッシュで走り去っていかれました。
あとに残されたのは、ローレンス殿下と私、そして野次馬の子どもたちだけ。
ローレンス殿下はまたため息をひとつつくと、私に向き合いました。
「ドナツェリア殿、兄が失礼をした。弟としてお詫びする」
「いえ、ローレンス殿下……」
ローレンス殿下は、私の手をとり、そっと手の甲に口づけを落としました。
長い金のまつ毛が、白い頬に影を作っています。
ローレンス殿下の美しさや優雅な仕草はいつも、私の心臓を変なふうに跳ねさせるのです。
いけません、手に汗をかいてきました。
せっかくローレンス殿下の前では聖女らしくふるまってきたのに、レイモンド殿下のせいで化けの皮が剥がれたような気がします。
ローレンス殿下は、私のことを嫌わないでいてくださるでしょうか……?
毎日のドーナツの時間に神殿を訪れてくださるローレンス殿下との時間は、私の癒やしなのです。
他国の流行最先端おしゃれドーナツの情報を仕入れてくださり、作りたいと言えば材料調達の手助けをしてくださるローレンス殿下は、私にとってなくてはならない方……。
ちらりと視線を向けると、ローレンス殿下は私の内心を見抜いたかのようにくすりと笑いを漏らしました。
途端にまた、心臓がバックンバックンと鳴り始めます。
「ぼく知ってるよ。ローレンス殿下は、聖女様のことが好きなんだ。魔力がないのに魔族の討伐に同行するために、すごく剣術を頑張ったんだって」
「それはみんな知ってる。知らないのは聖女様だけだろ」
「告白すると逃げちゃいそうだからって、言わずに外堀埋めてるのよねえ。意外と腹黒い」
子どもたちがなにやら言っていますが、意味が頭に入ってきません。
「さあ、ドーナツを揚げにいきましょうか。もう時間をすっかりすぎているのでしょう?」
「あっ、はい、そうですね」
考える前にローレンス殿下に手をとられ、私は歩きだしました。
「今日はナッツを持ってきましたよ。チョコソースにあうかと思って」
ローレンス殿下が袋に入ったナッツを掲げて見せてくれます。
「ナッツ! それはおいしそうですね――」
反射的に言ってから、私は胸を押さえました。
『――婚約者の座を手に入れるように努めろ』
国王陛下が命じたという言葉が、ローレンス殿下の声で耳に響きます。
……ローレンス殿下が私にやさしくしてくださるのは、それが陛下の命令だから、なのでしょうか。
やっぱり変です。今日は、どうしてこんなに不安な気持ちが湧きあがってくるのか。
「……どうしました?」
思わず足を止めた私を、ローレンス殿下が振り向きます。
「あ、いえ……」
妙なことを考えてしまいました。
どんな理由があろうと、ローレンス殿下がおやさしいことは変わりません。
さらに要求を重ねるなんて、よくないことです。
聖女は欲を捨てなければ――。
「ぼくがあなたといるのは、父上に命じられたからじゃないよ」
聞こえてきた声に、私は顔をあげました。
見つめた先ではローレンス殿下が、わずかに唇の端をあげて私を見つめ返しています。
「ぼくはぼくの意思で、あなたの隣にいたいと思っている。……そうでなければ、命令だからってここまでしないでしょう。毎日ドーナツを揚げにきたり、魔法も使えないのに魔族の討伐に同行したり、小麦の品種改良に延々付き合ったり、馬も通れないような山を越えて開墾用の土地を視察したり、普通はしないよ」
そう……なのでしょうか。
たしかにローレンス殿下は、いつも私のそばにいてくださいました。
先ほどレイモンド殿下に私の功績を告げてくださったのは、それだけローレンス殿下が私とともに行動してくださったからです。
それは、普通では……ない?
「ぼくは、ドーナツをほおばるあなたの、幸せそうな顔を見るのが好きなんだよ、アガサ」
ローレンス殿下が私の名を呼びました。
聖名ではなく、私の本当の名前です。
どうしてでしょう、やっぱり顔が赤く、心臓がドキドキとうるさくなってしまうのです。
「いまはまだ、ドーナツのおまけでいいから、いつか――」
ローレンス殿下がくすくすと笑います。
その言葉の続きを考える余裕は、私にはありませんでした。
あ、そういえばレイモンド殿下は、短慮のうえ聖女を怒らせ、さらに魔犬に襲われ腰を抜かすという失態に陛下からこっぴどくお叱りを受け、王太子の座を返上させられそうとのことですが、私のせいじゃない……ですよね?
お読みいただきありがとうございました!
ちょっとズレた聖女とそんな聖女をかわいいと思っていて全力で囲い込みたい当時のお話でした。
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