6-4.斎月書店と蟹通信
「本当にここで降りちゃうんですか?どこか遊びに行こうと思ったのに…。」
残念そうに憬教授は言った。
ここは某本屋の駐車場。
もう帰るってことでついでにここに下ろしてもらったのだ。
「ダメですよ、夜間の授業ちゃんとしないと。クビになったらどうするんですか。」
すでに車を降りている週一は困った顔で言う。
生徒にリストラを心配されるとは…何とも頼りない教授だ。
「心配してくれるんですか?先生嬉しいです。週一君は本当にいい子ですね。」
「…あの、僕もう行きますね。」
ご機嫌で微笑んでいる憬教授に苦笑すると、彼は本屋入り口へ行こうとした。
しかし忘れ物を思い出して立ち止まる。
「あ、そうだ。綾は…?」
「綾さんはぐっすり眠っていますからこのまま寝かしておいてあげましょう。大丈夫、このまま家まで送ってあげますよ。」
「そうですか。じゃあいいです。」
このまま大学へトンボ帰りとかだったら綾はきっと怒るだろう。
そして週一に『なぜ本屋に降りた時に起こしてくれなかったの!?私だって大学へ帰るくらいなら、』とか何とか理不尽に怒るに違いないのだ。
でも家まで送っておいてくれるなら問題ない。
「それじゃ週一君、頑張って下さいね。」
「先生も夜間の講義、頑張っ…って、僕に何を頑張れと?」
「えっちな本を買うのでしょう?恥ずかしがっても前には進めません!例え店員さんが知り合いの女の子でも勇気を出して買うんです。そして人は少しずつ大人になっていくんですから。」
「勝手に人の買い物決めないで下さい。僕が見たいのは甲殻類図鑑です。」
溜息を吐いて言う週一。
憬教授は笑顔で親指を立ててウインクすると、車を発進させた。
週一の台詞を聞いた形跡はない。
でも週一自身、大きな声で訂正する気は起きなかった。
相変わらずのマイペースで去って行く車を見送りながら彼は呟く。
「先生、本当に変わったヒトだなぁ…。何か疲れちゃったし、甲殻類図鑑の蟹見て心を癒そ…。」
…自分も大分変わってるってことには全く気付いてない週一君だった。
◇◇◇
斎月書店。
小奇麗な感じの建物と清潔感漂う明るい店内が魅力の本屋さんだが、そんな外観に騙されてはいけない。
ここには通常の方々が見るような本は1冊も置いていない、マニアのための本屋なのだ。
マニアとか言っても、同人誌とか18禁のようなものではなく…何て言うか頭の悪そうな本。
例えば味噌についてのエッセイ集全20巻とか老人がひたすら盆栽を育てるって言う愛も友情も冒険もないコミックスとか、そんな系。
要は圧倒的コアなヒトしか入らない店ってわけである。
「いらっしゃいませ…あ、蟹令李君。」
店に入ると、カウンターにいたロングヘアの若い女性店員が微笑みかけた。
店内の明るい雰囲気をより一層引き立たせる美人だ。
ここが普通の本屋なら、看板娘だろう。
まあ、普通の本屋ならの話だけど。
「年刊・蟹通信、入荷したわよ。今年は何とサワガニの大特集。付録に蟹研究の権威、シャレボー博士のサイン入りクリアファイルが付いてるわ。」
…こんなマニアな店で名前と趣味を覚えられているほどの常連。
さすがは週一君だ。
それにしても年刊誌とは。
月刊くらいが相場の趣味の本でも相当コアなのだろう。
「シャレボー博士の!?うわっ!絶対欲しいです!在庫ありますか!?」
週一はカウンターに飛びついた。
女性店員はにっこり微笑むと、後ろの棚から妖しげな本を取り出す。
「新書カウンターに入荷した3冊を置いておいたんだけど、あっという間に2冊売れちゃって。蟹令李君が来るまでに売れちゃったら可哀相だから、取っておいてあげたの。」
…多分、売れないと思う。
っていうかその2冊を買ったヤツの顔が見てみたい。
「有難うございます榎夏さん!じゃあ早速、」
感謝の言葉を口にした後、彼は財布を取り出した。
…1300円しか入ってない。
ちなみに年刊・蟹通信は2300円っていう高額の品だ。
「…。」
フリーズする週一。
と、その背中に誰かが手を置いた。
「ツケでいいですよ、蟹令李君。」
何とも知的な声。
振り返るとそこには眼鏡を掛けた頭の良さそうな男性店員がいた。
胸のプレートには『斎月』の文字。
この店の名前と同じって事からして店長だ。
「え?いいんですか、優二さん。」
「もちろんです。蟹令李君は信頼できますし、何より常連さんですからね。だからこそ榎夏も本を取っておいたんです。…榎夏、いいだろう?」
優二が言うと、榎夏は笑顔で頷いた。
「さすがはマイダーリン。もちろんよ♪」
「うぅ…本当に有難うございます…!!」
感動してる週一。
たかが本、しかも蟹通信で。
でもコイツにとっては3度の飯より重要事項だ。
その感謝の心は計り知れない。
包装された本を受け取り、頭を下げた週一は…ふと疑問を口にした。
「でも…残り2冊って誰が買ったんだろ?いつもは僕が買った後、どっかの学者の人とかが2ヵ月後くらいに買うくらいなのに…すぐに売れちゃったなんて…。」
確かに疑問だ。
この街に週一レベルの蟹好きがあと2人もいるなんて考えられない。
ってか考えたくない。
「どちらも女性でしたよ。この店は常連の方以外はほとんど見かけないのですが、2人とも初めてのお客様でした。」
「ふぅん…そうですか。新しい蟹ファンが2人も…。」
彼は同志の出現に喜んだ。
今まで生きてきて同じ趣味を持つ人間に出会わなかったから余計に嬉しいのだろう。
蟹ファンなんかになる彼が悪いんだけど。
ご機嫌で本を鞄に入れ、優二&榎夏に再度頭を下げて店を出て行く週一。
蟹図鑑を立ち読みするつもりだったけど、こんな素晴らしい本が手に入ったんだから早く帰って読まなけりゃならん。
だから足取りもやたらと軽くて速かった。
彼の姿が見えなくなって数分、優二が思い出したように呟いた。
「蟹通信を買っていったお客様…確か、どこかの制服を着た方でしたね。両方とも。」
◇◇◇
商店街を歩いていた少女が小さくクシャミをする。
その格好は制服。
ここらの地域にある、有名進学校のセーラー服のようだった。
◇◇◇
洗い物をしていた女性がクシャミをした。
彼女は首を傾げると、再び食器を洗い始める。
その格好はエプロン姿だ。
しかし、その下には軍服っぽい制服が着込まれていた。
【新登場キャラ】
・斎月 榎夏
・斎月 優二




