5-8.脳味噌パニック
僕はきっとパラレルワールドに来てしまったんだ。
だから歐邑がこんなにおしとやかになってるに違いない。
きっとこの世界では綾も凄くナイスバディの女優なんだ。
八又乃さんに至っては血の代わりに汗が身体を流れてるボディビルダーなんだ。
…とか週一の脳味噌がパニックになる。
「どうやら僕はパラレルワールドへ飛ばされたみたいなんだ。歐邑、どこかに異空間ゲートの入り口を知らない?」
真剣な表情で週一は訊ねた。
女性…沙紀は可笑しそうに微笑む。
「ふふっ、蟹令李さんって本当に面白い方ですね。おっしゃることも、聞いていて楽しいです。」
「…よしOK、冷静に考えよう。…これってドッキリです?」
もう脳味噌パニックだ。
目の前の女性はどう考えたって沙紀じゃない。
と、壁にくっ付いてた電話が鳴った。
自称沙紀っていう女性は週一に失礼しますって言うと受話器を取る。
『沙紀。元気してた?』
ディスプレイに現れたのは、出産を控え旦那の実家に行っている水面だった。
「水面さん、おはようございます。体調のほうはいかがですか?」
『元気元気。母子共に健康よ。それで今日は、』
「海月さん!」
水面の言葉を遮って、週一が立ち上がった。
『え…?蟹令李さん、いるんですか?』
ちょっと驚いたように水面が呟く。
週一は電話のところまで来た。
「海月さん、ここってパラレルワールド?何だか歐邑の様子がいつもと全然違うんだけど、まさかドッキリとか?」
彼の言葉に一瞬驚いていた水面だが、やがて笑い出した。
『うん、やっぱり最初は誰でも驚くよね。蟹令李さん、その子は正真正銘沙紀ですよ。それが地なんです。』
「…はい?」
何言ってんだコイツは?ってな顔をする週一。
『じゃあ説明しますね。…沙紀、蟹令李さんと電話替わって。』
くすくす笑いながら水面は言った。
◇◇◇
「沙紀は本来そういうキャラなの。歐邑流華道家元の一人娘ですから当然、お嬢様教育をされてるわけですし…。でも普段着じゃない服、つまり洋服を着るとちょっと変わっちゃって。反動?っていうのかな。」
水面の説明に週一は眉を顰めた。
「じゃあいつもダークキャン・Dをボコボコにしてた歐邑は本当の性格じゃなかったってこと?高校の制服着てたから凶暴化してたってコト?」
「う~ん、ちょっと違いますね。正確には性格が変わったわけじゃなくて…言動と行動が変わるの。例えば面白かったら制服沙紀ならバンバン叩いて大笑いだけど、和服沙紀だと静かに微笑む…という具合に。どちらも同じ感情なんですけど、それに対するリアクションが違ってくるんです。」
「よく分からん。それが性格変わったって言うんじゃないのかな?」
週一の脳味噌じゃ無理な話だ。
水面は苦笑する。
「ですよね。分かります、私も最初は混乱しちゃったし。でも基本的には変わってませんから。普段通り接すればいいですよ。もしどうしてもと言うなら、洋服に着替えてもらえばいいですし。」
「…それはそれで何かアレな気がする…。」
休日に制服に着替えてよ~って懇願する男って、もう何て言うか終わりに近いってかフェチ疑惑だろう。
週一は縁側で生け花を整えている沙紀を見た。
柔らかな日差しの中、穏やかな表情で花を愛でる和服美人。
どうやっても彼女と凶悪女子高生沙紀が重ならない。
基本的に変わってないって言うけど、ドコが?全体的にこれでもかってくらい変わってる気がする。
「それと蟹令李さん。」
ふいに水面の声のボリュームが下がった。
いわゆるヒソヒソ声ってヤツだ。
「何?」
「今日は蟹令李さんから訪ねて行ったんですか?それとも招待されたとか?」
「土曜日に生け花教えてやるから来いって。来ないと背負い投げっていう恐ろしい言葉に僕は負けたんだ。ちょっと悔しいけど今の僕じゃ勝てる気がしないよ。」
「そう…。沙紀が休日にね…。」
画面の水面がニヤリって笑う。
「…?」
「沙紀はですね、高校の友達とかを休日に家へ招くことはないんです。私は幼馴染みだったからそんなことなかったですけど。…やっぱり制服沙紀を知ってる人に和服沙紀を知られたくないみたいなんですよ。その逆も。まるで別人だから嫌なんじゃないかな。でも、蟹令李さんには見せたんです。…この意味、分かりますか?」
「…うん、分からん。」
バカだから仕方なかった。
水面は苦笑したが、すぐに真剣な表情で言う。
「とにかく!もう少しです、あと一押しです。蟹令李さんは何にもしないでここまできちゃったわけですけど、これ以上は蟹令李さんに懸かっています!」
「…う、うん…。」
何のことか全く分かんない脳味噌ボンバーな週一だったが、水面の迫力に負け思わず頷く。
「だから!今日で一気に攻め落とすの!そうですね…公園、萌木公園なんかに一緒に出掛けたらどうですか?一日中生け花講義を受けてると足が壊れちゃいますよ?」
「よく分かんないけど…、考えてみるよ。」
「頑張って下さい!応援しますから!」
熱い瞳で語る水面。
と、沙紀が近寄ってきた。
「何をお話しされているのでしょうか?私も聞いておいたほうがよろしいですか?」
「ううん、沙紀は関係ない話なの。そう、ワタリガニの話。専門的な話よ。」
「はぁ。そうでしたか。申し訳ありません、素人が口を挟んでしまって…。」
沙紀は申し訳なさそうに言った。
こういうところも制服沙紀とは全然違う。
しかし前回もこんな誤魔化し方で誤魔化されたことがあった。
基本的に変わってないというのはこういうことだろうか?
つまり、今の台詞も制服を着ていたら『あ、そっか。ゴメン。あたしじゃ分かんないか。』という感じに変換される…というわけだ。
少しだけ分かってきた気がする。
「話はこれだけ。それじゃね、沙紀。」
「あ、でも何かご用があったのでは…?」
「今度ね。…また電話するね。」
水面は笑顔で沙紀に手を振った。
沙紀も微笑み、軽く会釈をする。
「はい。お身体にはお気を付けて…。それでは。」
電話が切れる。
さっき水面に言われた意味は分かってないんだけど、週一は思っていた。
…正座は嫌だ。
生け花なんて僕じゃ無理。
だから彼女の案を採用することにした。
「歐邑、今日は天気いいし、部屋にいるのは天気の無駄遣いだと思わないか?」
「はい…?」
大きく伸びをして、週一は笑顔で言った。
「萌木公園にでも行こうか。」




