2-13.勘違い論争
蝶滋郎は目の前の青年を見る。
初め見た時は何とも情けなさそうな男だと思っていたのだが、今の彼の顔つきは男の顔だった。
(…ふむ。いい目付きになったな。なるほど、沙紀が家に招くだけのことはある。)
重々しい口調で蝶滋郎が続ける。
「それなりの責任感、か。しかし所詮は大学生だ。自分の生活で精一杯だろう?自分外の者を養っていくだけの甲斐性が君にはあるのか?」
蝶滋郎の言葉に週一は少し眉を顰める。
(まだ僕がサワガニを飼うだけの力がないって言いたいのか?いくらなんでも失礼な。僕はこれでも家にワタリガニを2匹飼ってるんだ。)
そう心の中で思った週一は、自信に満ちた顔で答えた。
「僕はこの日のためにいろいろ勉強したんです。法律(ワシントン条約とか)に料理(サワガニを美味しく食べる方法)、それに身辺整理(サワガニを快適に飼う環境)だって済ましてきました。だから自信はあります。いえ、自信より確かな…確信です。」
…カニが欲しい。
そんな一途な(アホな)想いからの彼の言葉は聞くものを引き付ける重みがあった。
でもあまりにも一途すぎて気付いていない。
自分が言ってることと蝶滋郎が言ってることの趣旨が全く違っていることに…。
でもそれは蝶滋郎も同じだった。
(…この青年、よほど沙紀を幸せにする自信があるようだな。しかし私も、はいそうですかと娘をやるわけにはいかん…!!)
蝶滋郎は息を大きく吸うと、週一を見据える。
(さすがに簡単にはサワガニ採らせてくれないか。でも、諦めない!どうにか説得してサワガニを採らせてもらうんだ!)
週一も真剣な表情で蝶滋郎の目を見る。
こうしてそれぞれの思惑が180度ズレてるっていう、アホな論争が幕を上げた。
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「いくら勉強して勝手に確信しているとはいえ、君の若さではどうしようもない。机の上で学べることなど、実際の経験とは比べようがないのだよ。」
「それでも!僕には(サワガニを)幸せにすることができます!いえ、僕にしかできないことなんです!」
「!!…大層な自信だ。しかし私には君が(沙紀を)幸せに出来るとは思えん。」
…歐邑宅の庭先での論争はまだ続いていた。
もう10分以上になるのにお互いの意味する所が違うって気付かずに話している。
ある意味奇跡に近かった。
「それに見たところ君はあまり裕福ではないようだ。私も蟹令李などという名は今まで聞いたことがない。…確かに君には(沙紀を手に入れれば歐邑家の財産とか)得るものが多いだろう。しかしこちらは…。」
財産目当てだろう?と蝶滋郎は言いたかった。
でもやっぱり週一は意味を履き違えて理解する。
サワガニを飼って週一は嬉しいだろうけど、サワガニは嬉しくもないんだ、という感じに…。
「!!」
でもちょっと効いたらしく、週一は言葉を失う。
確かに家で今飼ってるワタリがニのサブ太とアジ美は大きくなってきたら料理しようって考えている。
食べられて嬉しいっていうキトクな生き物はいないだろう。
「実を言うとな、私の祖母もそう(経験不足な相手との結婚)だったのだよ。しかし祖母は幸せにはなれなかった。祖母は多くを(祖父に)与えた。しかし祖母が得たものは何もなかった。与えるだけで得るものはない。互いに学ぶことも得ることもない生活の中では人は不幸にしかならないのだ。」
追い込みをかけようとした蝶滋郎だったが、その言葉に週一がかぶりを振った。
「それは…違うんじゃないかな…。」
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「…何?」
週一は少し俯くと、ゆっくりと蝶滋郎に視線を向けた。
今までのようなただ情熱ばかりの目ではなく、吸い込まれそうな深い瞳で。
「そういうのって、ギブアンドテイクじゃないと思う…。自分が何かしてあげたから相手が返してくれないと裏切られたような気になるのは、間違っています。」
「…!!」
今度は蝶滋郎が言葉を失った。
「自分が相手を大切にしたり、尽くしたりすることと相手が自分に何か返してくれることは別物なんです。自己満足って言われるかもしれないけど、僕は思う。例え相手が何もしてくれなくても…それでもいいんです。自分が出来得る精一杯のことを、ただしてあげられるだけでいい…。そして相手が何かしてくれたなら、それは自分へのお返しなんかじゃなく、相手の想いだと受け取れる。そうすれば当然のことだなんて感じるんじゃなく、素直に嬉しいって思える…。だから…、」
週一は少し照れ笑いのような表情を浮かべた。
「…すみません、上手く言えなくて…。」
そんな週一の前で蝶滋郎は静かに目を閉じた。
(…恋愛はギブアンドテイクじゃない、か。私としたことが、教えられたな…。)
彼が再び目を開くと、先程までの威圧的な表情から穏やかな表情になっていた。
「週一君、だったか。…君の言葉、少し響いた。私もまだ、至らなかったようだ。」
「え…?」
「私は君を誤解していた。今までの無礼は詫びさせてくれ。」
「いえ、そんな…僕もいきなり押しかけてあんなこと…。」
2人はそれぞれ頭を下げる。
「君の誠意はしかと受け取った。私は自分の娘の選択(結婚)をも信じてやっていなかったようだ。しかし今すぐに(娘を)やるわけにはいかないのだよ。見ての通り、我が歐邑家は古い家だ。歐邑流華道の家元でもあり、いろいろと(跡目相続など)面倒なのだよ。すまないが(婚約者的な位置で)もうしばらく待ってもらえないか。」
…やはり初めて来たような者にサワガニ採りを許可するわけにはいかないようだ。
古い家ってそういうしきたりがあるもんなのか。
週一はそう解釈し、微笑んだ。
「いえ、僕も性急すぎでした。もっと身の回りの環境を(水槽や砂利)整えてからの方がいいですね。では、今日は挨拶だけで失礼することにします。(まあ、もうしばらくすればサワガニを採らせてくれるって言ってるんだから次の機会でいいや。)」
そう言って彼はさっさと帰ろうとする。
予約がとれたからもう用はないってことだ。
「あ、待ちなさい。沙紀には会っていかないのかね。」
帰って水槽の準備でもしようと考えていた週一を蝶滋郎が呼び止める。
「え?でもさっき留守だって…、」
「すまないな、あれは嘘だ。まだ君を信用できていなかったからね。本当は居る。」
「…(歐邑に会ったって別に用はないな。)いえ、いいです。今日は本当に挨拶だけですから。」
さっさと帰りたいから断った。
でも蝶滋郎は何か違う解釈をしたようだ。感心したような顔をしてる。
「(ふむ、最近の若者にはないしっかりした貞操観念を持っているか)…そうか。」
「では、これで失礼します。」
「ああ。…またいつでも来たまえ。」
…こうして男2人の論争は幕を閉じた。
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蝶滋郎は門から出て行く週一を見送り、一人頷いた。
(…流石は我が娘、か。男を見る目は確かだったようだ。あの青年の『恋愛論』、久々に心を打った…。)
門を出た週一は大きく伸びをする。
(でも、よかったな。おじさんに分かってもらえて。僕の長年培った『蟹を飼う心得』、言ってよかった。やっぱり正しかったんだ。)
どうしようもない誤解は…まだまだ続きそうだった。




