7-14.ご褒美
綾は大学前の道を歩きながら冷や汗を拭った。
「週一君、35枚レポートを1枚しか書かずに提出してたからなぁ…。私はちゃんと書いたけど、結構セコい手を使ったから…まあ、呼び出しされなくてよかった。」
そして青空を仰ぐ。
「私にできることは単位落とさないように祈ってあげることだけだよね。…神さま、いるとしたら週一君を受からせてあげて下さい。」
意外と優しいようだ。
綾は続ける。
「もし叶えてくれるなら今度神社に行った時に1円あげます。それ以上要求するのなら別に受からせてくれなくていいです。」
…優しくねぇ。
綾らしいが。
と、青空に願いをしている綾の肩を誰かが叩いた。
彼女は振り返る。
「あ、沙紀ちゃん。」
「こんにちは。」
沙紀だった。
「沙紀ちゃん、今日はウゴクンジャー本部へ行っちゃダメだよ。」
綾の言葉に沙紀は怪訝そうにする。
「今ね、週一君がレポートの件で怒られてるのよ。だから私は逃亡してきたってワケ。」
「レポート?」
「そう。35枚のレポート『偽善と善』ってのがあったんだけど、週一君は何を血迷ったか1枚しか、しかも紙の半分くらいまでしか書かずに提出したの。いくら温厚な柱都先生も、あれじゃさすがに怒るよね。」
そう言う綾だけど、コイツのレポートだって普通の教授ならぶち切れる内容だ。
でもそんなことは知らない沙紀は苦笑する。
「センパイらしいね。アホって言うか何て言うか…。」
苦笑だけど決して本来の意味はない苦笑なんだけど、そういうのには鈍感な綾は気付かない。
うんうん頷き、綾は沙紀の肩をポンポン叩く。
「ある意味勇者なんだよ、彼は。それより沙紀ちゃん。今日は新しいお店知らないんだ。だからご飯食べに連れて行ってあげられないの。ごめんね。」
「それを目的に来たわけじゃないから…。あたし、今日は帰るね。」
今度は本気で苦笑しながら沙紀は言った。
◇◇◇
「レポート、読みましたよ。」
社会情勢学研究室、別名『時計の館』のソファに腰掛けた週一に憬教授が言った。
周りからチクタクチクタク時計の音が聞こえ、拷問部屋みたいでプレッシャーだ。
小動物の週一には耐えられないかもしれない。
「や、やっぱりあの内容はダメでしたか…?」
小さくなって言う週一。
ちなみに憬教授は立っており、今は週一のソファの後ろにいる。
声しか聞こえないのと時計のチクタク音は、ちょっとの沈黙でも週一の精神を揺さぶる。
「私は、」
少しの間を置いて憬教授が話し始めた。
でも、いつもみたいに声に笑みが含まれていない。
やたらと穏やかな口調だ。
それが週一には余計に怖かった。
いきなり『君に単位はあげません』とか言われそうで。
「私は自分の受け持つ講義を、一期中に一度だけ真面目にやることにしています。」
…ダメ教授だ。
毎回真面目にやれよ。
そう突っ込みをしたいが、この空気の中でそれをやるのは不可能だった。
「今回はこのレポートです。『偽善と善』は私が最も重要とする課題の1つでした。私はこれを生徒に課すことによって彼らの考えを参考に…いえ、私が辿り着いた答えが果たして正しいものなのかを確かめようとしていたのです。」
「…。」
もちろん、週一の頭脳では彼女が何を言いたいのか分からん。
ただ真面目な空気だから、何となく自分も真面目な顔して聞いてるだけだ。
「初めてです。同じ答えを持つ人に逢ったのは。」
「…。」
憬教授の手が週一の肩にそっと置かれた。
沈黙が流れる。
彼女が何言ってるのか分かってない週一が何か言ったらいいか困っていると、憬教授が彼の前に回り込んだ。
さっきまでの真面目口調はどこへやら。彼女は普段のにこにこ笑顔に戻っている。
「まあ、簡単に言うと君のレポートは出来がとてもよかったから10点満点でしたってコトです。だからご褒美にこの研究室の時計で好きなのを1個あげますよ。そのために呼んだんです。」
違うだろう。
でも、脳味噌が蟹味噌の週一君はバカだからそれで納得した。
「そうだったんですか。緊張して損した…。」
「何が欲しいですか?」
憬教授は両手を広げて部屋全体を見て回す。
適当に数えただけでも1000個は下らない。
しかもどれがどう価値があるのか分からんモノばかりだ。
週一は悩んだ。
くれるって言うならもらいたいけど、欲しいモノがない。
「…蟹の形した時計があればそれが欲しいんですけど…。」
「ごめんなさいね。私、甲殻類時計シリーズはまだ集めてないんですよ。」
「う~っ…。」
悩む週一。
そんな彼を憬教授は面白そうに微笑みながら見ている。
「じゃあ!コレ下さい!」
そして悩んだ末に彼は微妙なデザインの時計を指差した。
木製の丸い掛け時計で、紫のネズミを追いかける青い猫が描かれている。
絵は何だか素人が描いたみたいな絵であり、色遣いも素朴と言うか適当と言うか…とにかく微妙だ。
「コレですね。いいですよ。」
憬教授はにっこり微笑むと、それを壁から外した。
そしてどこからか箱を取り出し中に入れ、週一に手渡す。
「ありがとうございます。前から気になってたんですよね。この青猫が何かシブくて。でも、本当にいいんですか?レポートができたからって、コレクションの品を…。」
「週一君にならあげてもいいんです。でも…大事にして下さいね。」
週一は時計の入った箱を鞄に収め、笑顔で頷いた。
「もちろんです!僕のアパート、掛け時計がなかったから。きっと重宝します。」
◇◇◇
週一が去った社会情勢学研究室は時計のチクタク音に包まれていた。
その中で憬教授はソファに座り、まともなコーヒーを飲んでいる。
アイスミルクソーダとかじゃない、人類が飲める飲料だ。
「ヴァン・B=レニヒの2012年作『覚醒の憧憬』ですか。」
ふいに彼女が呟く。
「うん、お目が高いですね。それは3000万円くらいするんですよ?週一君♪」
そう言ってくすっと笑った。
微笑んだままコーヒーを一口飲む。
社会情勢学研究室は、やっぱりチクタク音に支配されていた。




