7-1.料理は愛情
ボコボコと音をたて、怪しい液体に泡が弾ける。
ありえないほど派手な紫。
中から覗く豆腐は、液体のせいで紫に染まってしまっている。
常人が見たら劇薬作りかなんかに見えること請け合いなその光景だったが、液体が入っているのは銀色のシチュー鍋だった。
「うわぁ、さすがにここまで凄い事になるなんて…うん、料理は奥が深いですね。」
で、液体を見てうんうん頷いてるのは憬教授だった。
何を隠そう、ここは社会情勢学準備室。
研究室とドア1枚で繋がっている小さな別室だ。
普通は資料とか置いておくはずの準備室は、憬教授のキッチンと化している。
そこで毎回妙な創作料理を造っているってワケだ。
塩ケーキとか。
「匂いは…何だかプリンみたいな匂いがしますねぇ…。砂糖とかは一切入れた覚えないんですが…。まあ、大丈夫大丈夫。きっとおいしいです。」
彼女は火を止めた。
そしてやっぱりそこらじゅうに掛けてある時計を見た。
もうそろそろ12時半。午前の講義が終わる時間だ。
「ふふっ、このお味噌汁、まずは週一君に食べてもらいましょう。」
…味噌汁だったらしい。
毒にしか見えないけど。
いや、重要なのはそこじゃない。
週一に食わせるってコイツは確かに言った。
自分は毒見してないのに。
っていうか、週一に毒見をさせる気なのか…。
「じゃあ、放送でもしますか。」
憬教授は嬉しそうに微笑むと、異臭漂う準備室から出て行った。
◇◆◇
トントントン…
軽やかな音を立て、キャベツが千切りにされていく。
「僕も何か手伝おうか?」
声が掛かり、キャベツを刻んでいた人物は手を止めて振り返った。
「いえ、私だけで。厨さんは休んでいて下さい。」
その正体はコノハだった。
昨日の約束通り、こうして厨のアパートに来ている。
彼女は白い半袖ブラウスにライトブラウンのスカートっていう涼しそうな格好をしていた。
もう気温も上がってきているし、そろそろダークキャン・D内でも衣替えをする時期なのかもしれない。
「手持ち無沙汰なんだ。…そうだ。君の料理をする姿を見ていていいかな?」
厨は穏やかな笑顔でそう言うと、彼女の隣にやって来る。
「え…?あの、見ていても面白くないですよ…?」
すぐ傍に立った厨を見上げるようにコノハが言った。
もうタレは出来上がってるし、トンカツも仕込みが終わってるから後は揚げるだけだ。
他にはキャベツを刻むくらいしかない。
味噌汁はもう完成しており、ゆらゆら湯気を漂わせている。
あ、ちなみにこっちの味噌汁はノーマルに美味そうな味噌汁。
憬教授の作ってた殺人味噌汁とはえらい違いだ。
「そんなことないさ。このキッチンで、君が僕のために料理を作ってくれる。…それだけで僕は世界一の幸せ者になった気がするんだ。だから、その幸せを見詰めていたいんだよ…。」
またしても聞いてる第三者が顔を背けたくなるようなクサ過ぎる台詞。
でも幸か不幸かこの場所には第三者はいない。
いるのは彼と同じく脳味噌の99%を『愛』って単語に支配されてるバカ四天王。
だからその言葉に感激した。
「厨さん…。」
「コノハ…。」
見詰め合う2人。
だからオマエら立場分かってんのか?
って突っ込みを入れたい気分だが、今の2人にそんな突っ込みを入れたらサラブレッドに蹴り殺されるだろう。
関係はどうやら順調に進行中のようだ。
喜ばしいことじゃないんだけど。
…で、重なり合う2人のシルエット。
この先、一体どこまで進んでしまうのか。
今のところ、不明。
◇◆◇
「はっ!?」
週一は声をあげると、飛び起きた。
そしてすぐに頭を押える。
「っ…!?」
頭がやたら痛い。
体験したことはないけど二日酔いだとこんな感じだろうか?
でも…。
「あ、目が覚めましたか。」
すぐ傍から声がして、彼はそっちを振り向く。
そこには手に湯気の立つコーヒーカップを持った憬教授がいた。
「先生…。あの、僕はどうして?」
記憶がない。
どうやらここは社会情勢学研究室で、自分はソファに寝ていたってことは分かったが、それ以上は…。
「私の特製アジサイ味噌汁を食べて倒れたんですよ。もう2時間近くなります。私も5分くらい意識を失っていましたけど、一応先生ですから。週一君の看病しなきゃって思って、早めに復活したんです。」
「ええと、何だか突っ込みどころ満載なんですけど…まあいいです。」
週一は溜息を吐いた。
看病も何も、そんな変なモノを食わされなきゃ倒れなかったんだ。
まあ、その辺は相手が憬教授だってことで許せた。
他の人間だったら殺意があると考えてもおかしくないけど。
「コーヒーをどうぞ。気分が良くなりますよ。」
「またダシが効いてるやつですか?」
「今日のは普通です。」
憬教授から手渡されたコーヒーの匂いを嗅ぐ週一。
…いい匂いだ。
異臭やコーヒーとしてありえないような匂いはしない。どうやら危険はないようだ。
「じゃあ、いただきます。」
「召し上がれ♪」
暴走料理しか作らない憬教授が淹れたとは思えないまともなコーヒーを飲みながら、週一は何気なく研究室の中を見渡した。
やたらと多くの時計が掛かっている異常空間。
初めは拷問部屋にしか思えなかったが、今では慣れてしまい360度から聞こえてくる時計の音も気にならない。
慣れとは恐ろしいもんだ。
アイスミルクソーダにも慣れたし…。
「それにしても…。」
にこにこ笑顔で憬教授は言った。
そして彼の向かいにあるソファに腰を掛ける。
「週一君はいい子ですね。まさかあのアジサイ味噌汁を食べてくれるなんて。」
「倒れるって分かってたら食べませんよ。っていうか、その時の記憶がまだ戻らないんですけど…。」
「ふふっ、まあ、いいじゃないですか。」
憬教授が微笑む。
それにつられ、週一も笑った。
こっちは苦笑だったけど。
「ところで先生、僕…午後からも講義あったんですけど。」
その日、週一は2つの講義を欠席することになってしまったのだった。
ご愁傷様。




