第8話 冬香
次の日、大学で会った冬香は、すっかり元の冬香に戻っていた。
一分の隙もないナチュラルメイク。
お嬢様風の黄色の長い丈のワンピース。
それに学食でのお昼ご飯はデニッシュ1個とミニサラダだけ・・・。
「そういえばさ、昨日の講義の後のこと覚えてる?溝の口にラーメン食べにいったこと。」
何気なくそう尋ねると、冬香は少し照れた表情をしながらうなずいた。
「・・・自分でもあんなに食べられたこと信じられなくて・・・。」
そう言いながら少しずつパンを口に運ぶ姿からは、二郎系ラーメンの並、野菜マシ、アブラマシをおいしく完食した姿からは想像できない。
『本当の冬香の姿をわかってない』
夏奈がこう指摘したことは本当だろうか?
出会ったころからずっと、控えめで、人見知りだった冬香の本当の姿・・・。
―
僕と冬香は、大学に入学した4月、語学ごとに割り振られたクラスで初めて出会った。
だけど、お互いに目立たないタイプだったので、彼女のことをちゃんと意識し出したのは入学から半月近く経った4月半ばだったと思う。
「鬼怒川さん、今日もぼっちか~。」
「心配だね・・・。」
授業が始まる前の教室で、窓際に一人で離れて座る鬼怒川冬香さんを横目で見ながら、友達の剛士とひそひそと噂話をしていた。
「女子のグループにも入ってないみだいだし、誰かとしゃべってる様子も見たことないし、あんなんで大丈夫かな~?」
剛士は心配そうに話しているけど、彼女に声を掛けようとはしない。
剛士もそうだったけど、ちょっと前まで、見た目が可憐な彼女に声を掛けようとする男子は少なからずいた。
だけど、彼女は塩対応どころか、ろくに目も合わせず、コミュニケーションすら拒否し、軒並み心を折られた男子達はもはや遠巻きに見守るしかできなくなっている。
また、女子達はもともと数が少ないので集まって一つのグループを作っている。
しかし鬼怒川さんは、その女子グループとも距離を置いて関わろうとしない。
わざわざグループを離れて鬼怒川さんに声を掛けようとする女子もいないので、自然、女子からも距離を置かれている。
結果、彼女は、教室でも、大学の広いキャンパスでも、いつもぽつんと一人でいる・・・。
「本人が望んでそうしてるならしょうがないけどね。」
剛士はそう結論付けたけど、本当にそうなのだろうか?
もしかしたら小学校の頃の僕と同じかもしれない。夏奈に出会う前の孤独だった僕と・・・。
そうだとすると、他人事と思えない。
僕はおもむろに席を立ち、鬼怒川さんの方に近づいた。
「おはよ~。鬼怒川さん、課題やってきた?ちょっとわかんないとこがあるんだけど、教えてもらえない?」
「・・・・・・。」
彼女は、僕の方を一瞥もせず、まるで僕がそこにいるのを気付かないかのように、じっと窓の外を見続けている。
「それで、この宿題のドイツ語和訳なんだけどさ、全然わかんなくて、ちょっと見てよ。」
僕がまったく構わずに彼女の席の前に座り、ノートを広げると彼女は一瞬ビクッとしたが、やはりそのまま窓の外を見続けたままだ。
「あっ、そうだ。鬼怒川さんのノートも見せてもらっていい?」
「えっ?」
彼女は初めて声を出したが、やはりこちらの方を見ない。
だけど、僕が彼女のノートに伸ばした手も止めなかったので、僕はそのまま彼女のノートをパラパラと見た。
綺麗な字で、丁寧にドイツ語とその和訳が綴られていた。
「よくわかったよ。ありがとう。」
「・・・・・・。」
席に戻ると、剛士がニヤニヤしながら待っていた。
「だいぶ粘ってたみたいだけど、やっぱり塩対応だっただろ?」
「うん、でもよくわかったよ。」
やり取りの時間はわずかだったし、彼女は僕を見もしなかったけど、なんとなく確信できた。彼女は小学校の頃の僕と一緒だ。
人と接することが苦手で、関わり方もわからないから壁を作っているけど、拒絶してるわけじゃない。
むしろ壁を壊してくれる存在を待っている。
僕にとっての夏奈みたいな存在を・・・。
「鬼怒川さん、みんなでお昼行くけど一緒に行こうよ!」
授業が終わった後、そそくさと荷物をまとめはじめた彼女に、つとめて明るい調子で話しかけた。
「・・・わたし、小食だからお昼は食べない・・・。」
そのまま彼女は顔を伏せて立ち去ろうとしたけど、僕はその前に立って退路を潰した。
「食べなくても大丈夫だって。ほら、山下だってダイエットとか言って、いつもパン一個しか食べないし。とはいっても、クリームと砂糖盛り盛りパンだから、普通のご飯よりカロリーありそうだけど・・・。」
僕は近くの席にいた、山下美織に目配せしながら話を振った。
「はっ?なにそれ!心外なんですけど!!私そんなことしてませ~ん!」
ノリのいい山下はすかさず反応してくれる。
「そうかな~。じゃあ、今日は山下達と一緒にご飯食べていい?確認したいから。鬼怒川さんも一緒に。」
「あ~っ、そうする?今日は紗良と香奈枝と一緒に外のカフェにいくからさ。じゃあ鬼怒川さんも一緒においでよ。」
ノリはいいけど実は細やかに気を遣える山下は、すぐに僕の意図に気づいてくれた。彼女とも、前に鬼怒川さんが心配だと話をしていたのだ。
「えっ?えっ・・・・?」
戸惑っている鬼怒川さんを引っ張るようにして、学外のカフェに連れて行き、山下のグループと僕と、それからついでに剛士も一緒にご飯を食べた。
鬼怒川さんは、終始無言で、小さなパンをゆっくりゆっくり食べていたけど、ずっと笑顔を崩さず、別に嫌がっていそうな感じはしなかった。
それからしばらく、僕は鬼怒川さんに似たようなウザ絡みを仕掛け、周りの友達を巻き込んで色々なところに誘い出した。小学校から高校までずっと夏奈の側にいたからか、引っ込み思案な人間を強引に連れ回すノウハウがいつのまにか身についていたようだ。
こうやって少しずつ、鬼怒川さんを友達とのランチだったり、飲み会だったりに連れ出すうちに彼女も徐々に慣れてきたようで、僕や他のクラスメートとも話すようになり、教室でもひとりぼっちではなくなった。
――
「・・・・あれじゃね。もう栄斗と鬼怒川さんが付き合っちゃえばよくね?」
剛士にそんな無責任なことを言われたのは、入学から3か月くらい経ったクラスの飲み会の席だったと思う。
「あ~、あたしもそう思ってた~!だって、ふたりでいつも一緒にいるじゃん。なんかお似合いだよ。付き合っちゃいなよ。」
戸惑っていると、少し離れた席から耳ざとく聞きつけた山下も話にのってきた。他のみんなもうなずいている。
冬香は、僕が声を掛け続けると少しずつ心を開いて会話にも応じてくれるようになり、さらにしつこく声を掛けると、こうやって飲み会などにも出て来るようになった。
だけどこういった場では、ほとんどいつも僕の隣を確保して、ずっと側にいる。
教室でも隣に座るし、遠くからでも、姿を見かければすぐに駆け寄ってくる。
おそらく、引っ込み思案な彼女にとって、色々な人と接するよりも、常に僕の側で居場所を確保する方が楽だからだろう。
寄らば大樹の陰。
僕が夏奈の後を付いて回った時も同じように思っていたから、その気持ちはよくわかる。
僕がろくに答えなかったせいか、いつの間にかその場の話題は別の微妙な関係の二人の話に移っていた。
僕は横の席にいる冬香をちらっと見たけど、彼女はずっと無言のまま、いつもの優し気な笑顔をキープしていて、心の中でどう思っているのかわからない。
――
飲み会が終わった帰り道、僕と冬香は二人で同じ電車に乗った。そこでも僕が色々と話題を振って、冬香が笑顔でうなずくといういつものやり取り。
話題が尽きた時、ふと、電車の中吊り広告が目に入った。
美術展か・・・。そういえば冬香はいかにも芸術とか好きそうな感じするよな。
「上野にオルセー美術館展が来てるんだって。絵画とか好き?」
「うん。」
「じゃあ、今度二人で行かない?」
はずみで口に出してから気づいた。
これってデートの誘いみたいじゃないか!
焦って冬香の方を見ると、彼女は少しはにかみながらうなずいていた。
「うん。栄斗くんが行きたいなら。」
それから僕は美術館とか学生オーケストラのクラシックとか、冬香の好きそうなところにデートに誘い、その度に冬香は、いつも「栄斗くんが行きたいなら」とはにかんでうなずいてくれた。
夏休みの中ごろに勇気を出して告白した時も、「栄斗くんがそれでいいなら」と言ってくれた・・・。
――-
そんな冬香との思い出を振り返っていると、ふと昨夜、河川敷で、冬香と入れ替わった夏奈に言われた言葉が頭をよぎった。
「相手のことをずっとこうだって思いこんでたけど、実は違ってたってこと、結構あると思うよ。」
それは僕と夏奈のことだけじゃない。僕と冬香のことも当てはまるかもしれない。
これまでずっと冬香はおしとやかで、小食で、高尚な芸術とかが好きだと思いこんでいたけどもしかして・・・。
「あのさ・・・もしよければ、明後日の土曜日、一緒にお相撲見に行かない?」
僕がそう言い終わるか終わらないかのうちに、冬香の目がキラッと光った。
「お相撲って、大相撲の本場所のこと?」
「うん・・・両国の国技館でやってる相撲。興味ないなら別にいいけど・・・。」
「行きたい!うん。場所中だもんね!絶対行きたい!」
冬香がテーブル越しに食いつくようにして身を乗り出してきた。
よく見ると瞳もキラキラ輝いている。もしかして夏奈が言う通り、本当に相撲好きだったんだろうか・・・。
「じゃあチケット取っておくよ。あっ、椅子席取れそうだよ。」
スマホで調べて伝えると、冬香の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう!やった!じゃあ、朝9時の開場から入りたいから、7時半に登戸駅集合ね!」
えっ?そんなに早くから?
相撲って夕方にやってるもんじゃないの?と思ったけど、嬉しそうにはしゃぎ始めた冬香の姿を見て、思わずうなずいてしまった。
思えば、「いつも栄斗くんが決めて」と言ってた冬香が、時間とか場所を自分から決めるのは初めてかもしれない。




