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第4話 絶交

それは、インターハイ会場でシートや用具を片付けている最中に、同じ二年生の女子部員である香織から唐突に伝えられた。


「栄斗~、森下先生が、今日は栄斗が助手席に乗れってさ。」


「ええっ・・・。」


僕は思わず顔をしかめてしまった。


インターハイ会場へは、僕を含めて陸上部員は全員、バスや電車を乗り継いでやって来た。


だけど顧問の森下先生だけは用具の運搬もあるので、自家用車で来ている。


しかも森下先生の自家用車はコンパクトカーで、後部座席は荷物でいっぱい。


つまり助手席に乗れということは、森下先生と二人だけでドライブすることを意味する。


「いつもみたいに、夏奈が助手席じゃないの?なんで僕?」


「知らないって。森下先生にそう伝えてって言われただけだし。早くしないと怒られちゃうよ。」


香織はそのまま他の部員の所に走って行ってしまった。


気が重い。ただでさえ森下先生は厳しくて、普段話す時も緊張してしまうのに、ここから2時間以上も二人きりなんて・・・。


――


「・・・・・。」


「・・・・・。」


沈黙が気まずい・・・。


僕が「よろしくお願いします」と言って助手席に乗り、森下先生が「んっ」と言って以来、森下先生はまったく口を開かない。


何でずっと黙ってるんだろう。


「・・・・みんな好成績でよかったですね。特に夏奈は表彰台に上がれて・・・。」


空気を変えようと、僕がおそるおそる話を切り出した時だった。


「栄斗はこれからどうするつもりなんだ?」


森下先生の鋭い声が響き、車内の空気が一気に張り詰めた。


「これから・・・?」


「競技を、陸上部を続けるつもりなのかって聞いてる。」


いつか森下先生からこの話が出ることは予想していた。


僕は、一応選手として中・長距離ブロックに所属しているけど、実力では他の選手にまったく及ばない。


最近では男子の練習に付いて行くのも苦しくなって、女子の練習に混ぜてもらっているくらいだ。


だからインターハイが終わって3年生が引退したら、マネージャー専任になるように言われるだろう。


ずっとそう思っていた。だからその覚悟はできていた。


「正直、選手としては難しいと思います。だからマネージャーに・・・。」


「マネージャーでいいのか?」


覚悟してずっと用意していた僕の言葉に対する森下先生の問いかけは意外なものだった。


「えっと・・・?選手としては難しいので、あとはマネージャーになるしかないかと・・・。」


「栄斗は本心からマネージャーになりたいのか?」


そう言われると僕は下を向くしかない。マネージャーになんか望んでなりたいわけないじゃないか・・・。


「栄斗は、夏奈のサポートをしてるよな。それをずっと続けていくつもりか?大学でも、実業団でも、ずっと夏奈を追いかけていくつもりか?人生を懸けて夏奈をサポートする。そこまでの覚悟を持ってるのか?」


「それは・・・。」


確かに、小学校、中学校、高校とずっと夏奈に従っていた。でも、大学、実業団とそれを続けていくことまでは考えてなかった。そんな姿は想像できない。


「もし迷ってるんだったら向いてないということだ。お前はお前の道を見つけるべきだ。いつまでも夏奈の腰巾着でいたいのか?」


結婚もせず、人生のすべてを陸上に奉げ、選手としての苦難な道をあえて独りで歩き続けてきた森下先生の言葉は重い。


先生は約20年前、まだ同好会同然だった大西文化大学女子陸上部に入部し、選手として研鑽を積むだけではなく、チームとしても全日本女子駅伝に出場できる名門に育て上げた。


その後、教職に就いてからも、20年近く一人で練習を重ね、数々の名選手を育てながら、自身も何度も日本選手権や国体に出場している。


そんな先生から見たら、半端な覚悟で夏奈の後を金魚のフンみたいに追いかけ続けている僕なんか歯がゆくて仕方ないだろう。


「栄斗は陸上選手としては厳しい。ここから先、夏奈にどんどん置いて行かれるだろう。それで栄斗が納得しているならいい。割り切って夏奈をずっとサポートするって決心できるならそれでいい。だけど、もしそう思いきれないなら、もっと栄斗に向いている分野を見つけるというのもあるぞ。そこで研鑽を積んで一流になれば、選手として一流の夏奈と肩を並べられるかもしれない。そういう道もあるんじゃないか。」


「・・・・。」


きっと夏奈は、これからも選手として栄光の道を歩んでいくだろう。もしかしたら公約通り本当にオリンピックに出場できるかもしれない。

でも、僕はずっとその腰巾着でいいのか・・・。たしかに、僕は僕が一流になれる道を見つけるべきだ。


「・・・わかりました。僕はこれから受験勉強に専念することにします。陸上部を退部させてください。」


「・・・・うん、わかった・・・。ここで辞めても栄斗は陸上部のOBで、私の教え子だ。困ったらいつでも頼ってきて欲しい」


「はい・・・ありがとうございます。」


唐突に僕の陸上人生が閉ざされたことに、ちょっとへこみながらも、同時に長年の鬱屈が晴れてせいせいした気持ちもあった。


明日からは、僕の、僕だけの新しい道を歩き始める。


夏奈の後を追いかけるんじゃない、僕だけの道を・・・。


しかし、気持ちを新たにして帰宅した夜、いきなり夏奈から鬼電があって呼び出された。


「遅かったじゃないの!!」


約束の5分前に、呼び出された場所、中学の時から自主練習に使っていた河川敷に着くと、既に夏奈が土手の上で仁王立ちをして待っていた。


しかも僕が到着した瞬間から既にブチ切れている雰囲気を出していた。


「ごめん・・・。あの、今日はどんな用事で・・・。」


僕は土手の下の方からご機嫌をうかがうようにおそるおそる切り出した。


「小夜ちゃんに陸上部を辞めるって言ったらしいじゃないの。どういうこと?」


ちょうど橋の影でできた暗闇に立っているので、夏奈の表情はよく見えない。

だけど、声のトーンから怒り心頭であることが伝わってきて、僕は震えるしかない。


「・・・うん。前々から考えていたんだけど陸上選手としてはもう厳しいし、受験勉強に専念しようと思って・・・。」


「じゃあ、私との約束はどうなるのよ!」


「約束?」


「一緒にオリンピックに行こうって約束したじゃない!!」


「えっ・・・?ハハッ!!まさか・・・夏奈はともかく、僕にはオリンピックなんて絶対に無理だって・・・。アハハッ・・・」


思わず吹き出してしまった。


誰がどう見たって、僕がオリンピックに出場できるはずない。きっと、またいつものようにからかってきたに違いない。


「笑いごとじゃない!!」


しかし夏奈の声は真剣そのものだった。


「栄斗が選手として難しいことはわかってる。だけど、これまでみたいに私をサポートすればいいじゃん。それで、私が栄斗をオリンピックに連れてってあげるよ。そうすれば二人の夢をかなえられる。」


「・・・・・・。」


「マネージャー専任でいいよ。陸上部に残って、私をサポートしてよ。それで、来年はインターハイで優勝するからさ。その後は同じ大学に行って、そこでも私をマネージャーとしてサポートして、その先も・・・それで夢がかなえられるでしょ。」


「・・・・・・。」


絶句してしまった。


少し口を開けたけど何も言葉が出て来ない。

一瞬、橋を渡る自動車のライトが当たって夏奈の表情が見えたけど、いつものイジリやからかいで話している雰囲気ではない。

大真面目にこんな話をしているのか・・・。


「・・・いいでしょ?返事は?」


「・・・いやだ・・・。」


「はっ?よく聞こえなかったんだけど?」


「嫌だ。今日みたいに、夏奈のドリンクを作って運んだり、荷物を預かったり、合間にマッサージしたり・・・。これから大学に行って、社会人になっても、そんなことを僕にずっとやれって言うの?」


「・・・・でも、栄斗は選手としては難しいし、それで一緒にオリンピックに行けるならいいじゃん・・・。」


これまでずっと従順だった僕が急に反抗したからだろうか、夏奈の口調に少し戸惑いの色が見える。


「ずっと夏奈のサポートなんて嫌だ。それに僕がいなくても夏奈はオリンピックに行けるはずだ。だったら、僕なんか必要ない。」


「だから・・・必要とかじゃなくて、私が栄斗をオリンピックに連れて行ってあげるって言ってるの。約束通り一緒にオリンピックに行くにはその方法しかないんだから仕方ないでしょ!」


「嫌だ。そんなの嫌だ。」


僕は叫びながら首を強く振った。


「もう夏奈のサポートなんか嫌だ。いや、ずっと前から嫌だった。夏奈はいいよね。選手として結果を残してみんなから称賛されて。でも、サポートする僕がどれだけみじめか考えたことないでしょ!!僕は僕が主役になれるものを見つけたい。だから、もう陸上部は辞める!!夏奈の腰巾着なんかもうたくさんだ!!」


森下先生からかけられた言葉も頭の中にあった。夏奈の決めつける態度にカチンとしたのも原因かもしれない。


思わず、これまで7年近く溜まっていたものを一気に吐き出していた。


いや、思わず溜まっていたもの以上のことを言ってしまった気がする。それに気づくと急に冷静になった。


まずい。もしかしたら夏奈のことを嫌いだって誤解されるかもしれない。僕は僕の境遇が情けないだけ。


この惨めな境遇がずっと続くのが嫌なだけで夏奈が嫌いなわけじゃない、そう訂正しようとしたけど、それより前に、夏奈の冷えた声が響いてきた。


「・・・・へえ・・・そんな風に思ってたんだ・・・。」


「・・・いや、言い過ぎたかも・・・。」


「これまでずっと、面倒をみてあげたのにそんなこと言うんだ・・・。」


「面倒をみてあげたって・・・。」


「そうじゃない!!小学生の頃のクラブでも、中学でも高校でも、私がいなかったら、栄斗一人だったら、友達すら作ることができなかったでしょ!!私が構ってあげたから、今の栄斗があるんでしょ!!」


図星だった。夏奈が引っ張ってくれなかったら、僕には友達の一人もできなかっただろう。

でも、あまりに的確に僕のコンプレックスを衝かれ、僕も頭に血が上ってしまった。


「そんなことない!!夏奈がいなくたって一人でやっていける。僕には僕の道がある。これからこれを証明してやる!!」


「そこまで言うならわかった。栄斗とはもう絶交だ!!好きにすればいい。」


夏奈はそう言い捨てて、土手を駆け上がり、そのまま河川敷上のランニングコースを物凄いスピードで走り去っていった。


僕は夏奈が走り去った方に背を向けながら土手を登り、橋を渡って家に向かった。家に着くまで、夏奈の方を一度も振り返らなかった。


この日以降、学校でも外でも、夏奈に話しかけられることは一度もなかった。


これまではうっとうしいくらい絡んできたのに・・・。

もちろん僕からも話しかけなかった。


そのまま高校を卒業し、夏奈は九州の体育大学へ、僕は東京にある大学へと進学して完全に道は分かれた・・・。


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