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第3話 過去

僕と夏奈は、僕が10歳の頃に入会したランニングクラブで出会った。


その頃の僕は人見知りをこじらせて、学校でもほとんど友達がおらず、心配した親にここで友達を作れと言われ無理やりクラブに入れられた。

もちろん初日は人間関係への不安で吐きそうなくらい憂鬱だった。


ドキドキしながら、みんなの前で紹介される時に、居ならぶメンバーの中央に、腕を組んでひときわ態度が大きい真っ黒に日焼けしたショートヘアの少女が見えた。


ニヤニヤと笑っているその彼女こそ、夏奈だった。


最初は笑顔で歓迎してくれてるのかなと思ってたけど、実は面白そうなおもちゃが来たぞと舌なめずりをしているとわかったのは、その少し後だ。


「じゃあ、準備運動終わったらジョグから始めるよ~。」


コーチの号令に従って、僕が、遠慮しておどおどしながら集団の最後尾に付けた時、おもむろに夏奈が近づいて来た。


「ねえ、新人君、靴紐がゆるんでるよ。」


「あっ、はい。ありがとうございます。」


靴紐を確認しようと腰を曲げた時だった。


「ドリャ~ッ!」


いきなり夏奈にハーフパンツを下ろされた。下着も少し・・・。


「えっ?えっ?」


その瞬間、コーチの笛が鳴らされ、集団が走り始めた。

混乱してあわててハーフパンツを引き上げようとしたけど、焦ってなかなか上げられず、ついには足を取られて前のめりにこけてしまった。


「ギャハハッ!!なにそれ!今日から君は下げパンくんだ!!」


顔を上げると、走りながら僕の方を見て、指をさして爆笑している夏奈の姿が目に入った。


その日から、夏奈は僕のことを、しばらく「下げパンくん」と呼び、ことあるごとにちょっかいをかけてくるようになった。


僕のシューズをトイレのスリッパにすり替えたり、ドリンクを勝手に飲み干して塩水を入れておいたり・・・いつもくだらないいたずらを仕掛けて来た。


ただ、彼女は、小学生ながらも節度をわきまえていたようで、いじめと言えるまでの仕打ちを受けることはなく、せいぜいイジられてるとか、からかわれていると感じる程度だった。


しかも、クラブのボスである夏奈のおもちゃという立場は、意外にも僕にとって居心地がよかった。


夏奈と一緒にいれば、大人からボッチだって心配されることもない。

いつも夏奈の方からうっとうしいくらい絡んでくるから、人見知りの僕から勇気を出して話しかける必要もない。

しかも、選手としてずば抜けた実力があり、社交性もある夏奈の周りには自然と他の友達も集まってくる。


夏奈の側に居る僕にも、自然と向こうから色々話しかけてくれて、親の期待どおり、一見友達がたくさんできたように見える。


そんな僕の打算に気づいていたのかいないのか・・・。


夏奈は、どれだけイジっても、からかっても一切引かずに、忠犬のごとく付いて来る僕のことをおもちゃとして気にいってくれたようだ。


そのうち、「下げパンくん」ではなく、「栄斗」と呼んでくれるようになった。


それだけじゃない。


「栄斗!将来、一緒にオリンピックに行こうね!約束だからね。」


そんなことまで言い出した。


そんな夢みたいな話に対して、僕は「夏奈ならきっとオリンピックに出られるよ」なんておせじを言いながら、あいまいに微笑んでいたことを思い出す。


小学校を卒業して、ランニングクラブも卒業してからも夏奈との縁は切れなかった。


夏奈とは違う地区に住んでいたけど、中学校の学区が同じだったのだ。


しかも入学式の日、夏奈は、わざわざ僕の教室までやって来て大声で話しかけてきた。


「お~いっ!栄斗!このクラスだったんだ!そっちから来ないから探したよ。」


「ちょ、ちょっと・・・。目立っちゃうからちょっと声を抑えてよ・・・。」


「そんなの気にすんなって。それよりさっさとこれ書いてよ。」


入学式の日にいきなり他クラスの女子がやって来て、大声で親し気に下の名前で呼ばれたりすると悪目立ちしちゃう・・・。


そんな僕の心配を意に介さず、彼女は「入部届」と書かれた紙を差し出してきた。しかも、入部先として既に「陸上部」と書かれている。


「・・・・もっと色々な部活を見てから決めたいんだけど。」


「え~っ!!一緒にオリンピック行くって約束したじゃん!!」


ひときわ大きな夏奈の声で、一瞬、クラスが静寂に包まれ、みんなの視線が僕たちに集まった。


「オリンピック?」「加嶋くんってすごい選手だったんだ・・・。」なんてヒソヒソ声も聞こえてくる。


「やめてよ・・・。夏奈はともかく僕がオリンピックなんて無理だって・・・。」


周りを気にして声を潜めて夏奈に注意すると、夏奈はきょとんとした顔になった。


「一緒に行くって約束でしょ。大丈夫だって!クラブの先生だって、夢を言葉にし続けていけば現実になるって言ってたじゃん!」


「わ~っ、またそんな大声で・・・。」


「いいから、さっさと名前を書きなよ!!」


結局、夏奈の圧力と周囲の期待の視線に抗いきれず、その日のうちに入部届にサインして陸上部に入部することになった。


しかも入部してからは、夏奈の強い希望で陸上部の中でも、特に練習が厳しいと評判の中・長距離ブロックに所属することになった。


そこでも夏奈が親分、僕が後を追いかける子分だった。


「もっと走りたいから、朝に自主練習するよ!」


「まずキロ5分で引っ張ってよ。そんで1周ごとに5秒ずつ上げてって。」


「補強運動、もっとハードにしたいから、ネットで調べといて。」


「今度の休みはシューズ買いに行くよ!付いて来て!」


『夏奈には逆らえない』ランニングクラブの活動で、そんな考えが刷り込まれてしまったのか、この頃の僕は夏奈の言いなりだった。


しかも夏奈の要求に色々と応えていくうちに、自然と選手兼マネージャーみたいな立場になった。ほぼ夏奈専属の。


僕の献身のおかげか、夏奈の努力と才能なのか・・・。


夏奈は1年生の夏に1500mで全国大会出場、2年生には全国で決勝に残り、3年生ではなんと全国優勝した。

ちなみに僕は3年生の夏に1500mで県大会の決勝まで進んだのが最高成績だ。


中学での最後の大会が終わった時は感慨深かった。

中学を卒業したらおそらく進路は分かれるだろう。


夏奈は県外の陸上強豪校に進み、僕は地元の公立高校へ・・・。


そしたらマイペースにのんびりできるから、文化系のクラブにでも入ろうかな。


そう思っていたけど、なぜか夏奈は僕と同じ地元の公立高校を選んだ。


その高校は、一応、地元では陸上の強豪校だったけど、オリンピックを目指す夏奈には役不足が過ぎる地方の公立高校だ。


そこでも僕は夏奈の指示で陸上部に入った。もはや運命と思い、抵抗すらしなかった。


ただ、公立高校とはいえ、一応は陸上の強豪校。

僕は毎日何とか練習に付いて行くのがやっとで、大会に出ることすらおぼつかない。


だから、高校の陸上部では、選手というよりも、マネージャー役として夏奈のお世話をしていた記憶ぐらいしかない。


自主練に付き合ったり、夏奈のドリンクを作ったり、リカバリーのためのマッサージをしたり。あと、試合前のルーティーンとか・・・。


期待に違わず、夏奈は、1年生の夏からいきなり3000mでインターハイに出場して、周囲の期待を一身に集めるようになった。


「このままでいいのか・・・。」


この頃から僕は、夏奈と僕の対照的な境遇に悩み始めた。

選手として順調に伸びていく夏奈と、伸び悩む僕では比べることすらおこがましい。

僕は、このまま陸上競技を続けるべきなのだろうか?


陸上を止めて夏奈のサポートをするべきなのだろうか。


そう悩みながら迎えた高校2年生の夏、インターハイの5000m決勝で夏奈が3位に入り、表彰台で祝福されている姿を見た時、彼女がずっと遠くへ行ってしまった気がした。


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