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第26話 遭遇

「59秒、60、61、62、63・・・・。」


ストップウォッチを片手にタイムを読み上げる冬香さんを横目に、私はペースを上げてトラックの周回を重ねる。


今日の練習のメインは等々力の補助競技場のトラックを使ってのインターバルだ。


次の記録会に向けて、負荷を高めたトレーニングを行う大事なポイント練習となる。


でも、こんな大事な練習に栄斗は来てくれなかった。

代わりに素人の冬香さんを寄越して、いったいどういうつもりなんだろう。


「しょうがないな・・・。」


周回の途中で私は足を止めて、冬香さんに近づいた。冬香さんがタイムを読み上げる声がほとんど聞き取れないのだ。


番町皿屋敷のお菊さんが皿を数えてるんじゃないんだぞ!!


インターバルは設定タイムギリギリで走る練習なんだから、走ってる私の耳にタイムを読み上げる声が聞き取れないことは致命的だ。わかってるのかな?


「冬香さん・・・あのさ・・・、もっと大きな声でタイム読み上げてくれない?それだと聞き取れないから!」


「・・・・・。」


私の声は届いているはずなのに、なぜか冬香さんはそっぽを向いたまま、まったく返事をしてくれない・・・。


「ちょっと・・・。」


その態度はないんじゃないの!思わずそう続けそうになった言葉を辛うじて飲み込んだ。

すんでのところで、直前に栄斗に厳しく言われていた言葉を思い出したからだ。



「冬香は練習を手伝ってくれてるんだから、ちゃんと敬意を払って丁寧に接してね!」


栄斗の言葉に私は「へいへい・・・」と聞き流そうとしたけど、栄斗はそのまま私の肩をつかんで、真剣な目で顔を覗き込んできた。


「もし、夏奈が冬香に失礼な態度を取って、それで冬香がもう練習のサポートを辞めて欲しいって言い出したら、僕は夏奈のサポートを辞めるから。わかった?」


「う、うん・・・。」


栄斗の迫力に、私はうなずくしかなかった。

それなりに付き合いが長いからわかる。

栄斗は、いつもは私の言うことに何でも従ってくれるけど、こういう表情の時の栄斗は本気だ。


思えば高2の夏に河川敷で絶交と伝えた時も、栄斗は同じような表情をしていた。

あの時は、栄斗がすぐに詫びを入れて来るだろうと高を括っていたけど、頑固な栄斗は、結局そのまま卒業まで口を聞いてくれなかった。



「あっ、ごめんね~。もうちょっと、もうちょっとだけ声を張ってくれるとうれしいな~。じゃあ、もう一回最初から走るからよろしくね~。」


機嫌をとるために最上級の愛想笑いを作り、可能な限り優しい声を出して冬香さんに気を遣ったけど、冬香さんは何の反応も見せない。


なんなんだよ、もう・・・。


心の中でそうつぶやきながら、トラックの周回に戻った。


冬香さんが読み上げるタイムの声も、少しだけ大きくなり、辛うじて聞き取れるようになったので、それ以上文句は言わないことにした。


「・・・・よ~っし、最後はクールダウンのジョグだけか~。」


インターバルの後の100m流しを終え、トラック脇のタオルやドリンクボトルが置いておいた場所に戻って来た。

近くには冬香さんが無表情のまま、あらぬ方向を見て立っている。


無事にポイント練習を終えられそうで少し安心した。

この感じだったら、今週末の記録会にも万全の調子で臨めそうだ・・・。


「最後、ゆっくり走るけど、冬香さんも一緒に走らない?」


ひと山越えた心の余裕があったからだろう。自然な笑顔で誘うことができた。


「結構です・・・。」


しかし、冬香さんは、私の方を一切見ないまま、そうつぶやいただけだった。


「そっか・・・。」


頑張って笑顔を装いながら、クールダウンのジョグのためにトラックに戻ったが、心の中でははらわたが煮えくり返っていた。


なんだよ、その態度!走らないんだったら、なんでランニングウェア着て、ランニングシューズ履いてんだよ!


そもそも・・・そのウェアもシューズも栄斗が、夏奈のためにプレゼントしてくれたものだぞ!

なんで自分の物みたいな顔して、しれっと身に付けてんだよ・・・。


いや・・・正確には、冬香さんと入れ替わった時にもらったものだから、冬香さんが身に付けてるのはおかしくないけど・・・。


でも、イラつく!イライラする!!


だけど、トラックを一周するころには、なんとか怒りを鎮めることができた。


栄斗の顔が脳裏に浮かんだからだ。


そういえば、栄斗が言ってた。冬香さんは極度の人見知りで、栄斗も冬香さんと仲良くなるまで、しつこいくらいウザ絡みを仕掛けてたって言ってたな。


しかも、ウザ絡みするときに、私のやり方を真似したって・・・フフッ・・・失礼な奴だな。


栄斗のことを思い出していると、自然と顔がほころんだ。


そうか、人見知りだったら仕方ないかな。

これからも仲良くしなければいけないし、本家の夏奈様の絡み方を見せてやるか・・・。


そんなことを考えながら、周回を重ね、それから冬香さんの所へ戻った。


「おつかれ~、今日はありがとね!」


「はい・・・。」


相変わらず無表情であらぬ方向を見ている。


「あのさっ!この後、ラーメン行こうよ!溝の口の二郎系ラーメン!」


冬香さんが視線を向けている方向に回り込み、満面の笑みを浮かべながら、なるべく朗らかな声で話しかけると、冬香さんはビクッとして身をのけぞらせた。


「・・・パンを買ってありますので・・・大丈夫です・・・。」


声には怯えの色が見られ、明らかに引いている。


だけど、ウザ絡み歴10年の私がそんなことであきらめるはずがない。


「パンなんかじゃお腹いっぱいにならないじゃん!ほら、栄斗ともラーメン屋に行ってるんでしょ?」


ほとんど私と入れ替わってる時だけどね・・・と思い、ちょっとニヤついていると冬香さんの目に警戒の色が見えた。


「あっ、違うよ。私も冬香さんと仲良くしたいと思って!ほら、冬香さんの彼氏である栄斗に昔のよしみで練習を手伝ってもらってるし、これからも彼女である冬香さんに迷惑をかけるかもしれないから・・・お礼にラーメンでもおごらせてよ・・・。」


誤解を受けないよう、栄斗が冬香さんの彼氏であることはわかってるよ~、栄斗とは何でもないよ~というニュアンスを強調しながら語り掛けたけど、冬香さんの表情は晴れない。さっきよりも曇った気もする。


「・・・・・。」


「ラーメン以外でもいいよ。一緒にご飯でも食べようよ。あっ、もし栄斗のことで心配なことがあるなら何でも言ってよ。相談に乗るよ~。なにせ栄斗がこんなちっちゃい頃から知ってるからさ。」


ニコニコ笑顔で返事を待っていると、しばしの沈黙の後、ようやく冬香さんが口を開いてくれた。


「・・・練習を手伝うのも、あとちょっとですし、大丈夫です・・・。」


「んっ?あとちょっと?」


「はい・・・。栄斗くんは・・・夏奈さんのサポートをするのは・・・今週末の記録会までって・・・。」


冬香さんがちらっと横目でこちらを見て来たので、一瞬だけ目が合った。

自信なさげな口調とは対照的に、その瞳は全く揺れていない。


えっ?今週末までって何?

栄斗、そんなこと言ってた?

栄斗は私がオリンピックに出場するまでサポートしてくれるんじゃなかったの?


私は笑顔を崩さないよう努力しながら、頭の中で考えを必死に整理した。


「あの・・・栄斗くんからは・・・夏奈さんは、今は白神山みたいな状況だって・・・でも、記録を出せば陸上部に入れてもらえるって・・・じゃあ、今週末までだったらいいよって約束してて・・・。」


しらかみやま・・・?

この女は何の話をしてるの?

わからん・・・。


約束って言うなら、私は、栄斗と一緒にオリンピックに行こうって小さい頃からずっと約束してるし・・・。


心ではそう思ったけど、混乱して何も言い返せない。


「私、栄斗くんが、ずっと夏奈さんをサポートすることには賛成してません。それだったら許せません。」

そう言って真っ直ぐに見つめて来た冬香さんの瞳には、固い決意の色が見られ、私はただ、たじろぐしかできなかった。


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