第25話 牽制
「夏奈が精神的に成長して、チームに迷惑をかけないと確信できなければ陸上部に受け入れることはできない。」
記録会での森下先生の言葉は、週が明けて月曜日になっても僕に重くのしかかっていた。
これからどうしたらいいんだろう?
大学の講義の最中もずっとそんなことを考えている。
もともとは、早い段階で森下先生の許しを得て、夏奈を大西文化大学の陸上部に受け入れてもらうプランだった。
高校時代の森下先生は他の部員には厳しかったのに、夏奈だけにはやけに甘かった。
夏奈を選手として高く評価していたからだ。
だから、大学進学の関係で多少の感情のもつれはあったとしても、夏奈がスランプを脱して復活した姿を見せて、また先生の指導を受けたいとさえ言えれば、きっと許してくれると思っていた。
だけど、そんな僕の目論見は甘かったかもしれない。
すぐに夏奈を精神的に成長させるのは難しい。
だからといって、森下先生が言うように、僕が大西文化大学に移って、マネージャーとして夏奈のお世話をするのも無理だ。
夏奈には選手として成功して欲しいけど、自分の将来を投げ捨ててまで夏奈に尽くすことまでは考えられない。
今の大学には冬香もいるし・・・。
じゃあいっそのこと、今の体制のままで夏奈をサポートし続けるのはどうだろう?
それも難しい。
今はコツコツ貯めたお年玉貯金を取り崩してるけど、それが底を尽いたら、遠征やトレーニング費用などの活動費を捻出する当てがない。
それに今のままじゃ、夏奈に相応しい練習パートナーがいない。同じくらいの速さで競り合う選手がいなければ練習で十分に追い込めない。
日本選手権には何とか出場できるかもしれないけど、オリンピックなんて夢のまた夢だ・・・・。
「う~ん・・・。」
腕を組んで考え込んでいると、ふと気づいた。教室に人がいなくなっている。
いつの間にか講義が終わっていたようだ。
「栄斗くん・・・大丈夫?」
隣の席から冬香が心配そうな顔で見つめている。
「ごめん・・・。待たせちゃった?」
「ううん、栄斗くんこそ大丈夫?講義中もずっと上の空だったし・・・。私のノート写す?」
「うん・・・。ありがとう・・・。」
ノートを差し出す冬香の顔はまだ心配そうだ。
ここは不安がらせないよう無理をして笑っておこう。
そうやってぎこちなく微笑んでいると、冬香も優しく柔らかな笑顔を見せてくれた。
「ねえ・・・学食行こうよ。ご飯食べたら元気出るかもよ。お話したいこともあるし。」
冬香の誘いで、僕たちは学食に移ることになった。
だけどその移動の途中も僕はうわの空で考えていた。
冬香の顔に翳が差しているのに気付かないまま・・・。
――
「ねえ。今週の土曜日、大相撲の夏場所観に行かない?実はお姉ちゃんの知り合いから升席のチケット貰ったんだ!」
学食でテーブルに着くなり、冬香はカバンからチケットを2枚取り出してひらひらと振りながら嬉しそうに見せてくれた。
「あっ・・・うん・・・。ごめん。土曜日は次の記録会のためのポイント練習で・・・。」
僕が申し訳なさそうに頭を下げると、さっきまでの満面の笑みが一瞬で凍り付いた。
「そうだよね・・・。ごめんね・・・。」
しゅんと小さく身を縮めた冬香を見ていると胸が締め付けられた。夏奈の練習サポートのせいで冬香にも迷惑をかけている。やっぱりずっとは続けられない。
「・・・そういえば、冬香のご贔屓の白神山って調子どうなの?」
「あっ、うん・・・。見てよ。」
冬香がスマホを取り出して星取表を見せてくれた。
「今、幕下15枚目で・・・3連勝中。今場所、7勝をあげて優勝すると十両に復帰できるんだよ。」
「えっ、すごい!1月には怪我してたよね!」
「うん・・・初場所はあの後休場して、5勝しかできなかったけど、3月場所では三段目上位で全勝優勝したから、一気に幕下上位に番付を上げてきたんだよ。」
冬香は胸を張って自分のことのように自慢げだ。
「へ~っ、頑張ってほしいな~。冬香が応援してる推し力士なんだし・・・。」
「フフッ・・・。栄斗くんの推しはどうだったの?」
「えっ?」
思わず冬香を見つめると、冬香は目を細めて優し気に微笑みながらかつ丼をゆっくり食べている。
「ほら・・・小学生の頃のクラブから一緒だった陸上選手の八幡さん・・・。土曜日に記録会だったんでしょ?」
「ああ、うん・・・。おかげで自己ベストに近い好記録が出たよ。」
「フフッ・・・。よかったね。栄斗くん、一生懸命応援してるもんね。」
冬香は微笑みながらミニうどんのどんぶりを手に取った。表情は柔和だけど、なんとなく空気が張り詰めてきた気がする。
「ごめんね。冬香にも迷惑かけて・・・。」
「いいのよ。大変なのは栄斗くんだもん。朝晩、八幡さんと一緒に練習して、土日もお手伝いして・・・。ずっと一緒で大変だよね。たまには私が代わりに練習のお手伝いに行くよ。」
冬香は箸を置いて頬杖をついている。優し気に目を細めながら僕を見つめているけど、その視線は鋭い。
「あ、ありがとう・・・。」
僕は目を合わせていられず、手元のうどんに目を落とす。
「でも・・・わかってるよね。約束だよ。」
「ゴホッ・・・グフッ・・・。」
冬香の声色が急に変わった。思わず焦って、うどんの汁が気管に入りむせてしまう。
「八幡さんのサポートするのは2か月間・・・彼女が陸上部に入れても入れなくても2か月間だけって約束だよ・・・。」
「う、うん・・・。」
冬香に誤解を与えないように、夏奈のサポートをすることは冬香にも相談をしていた。
当然、冬香はいい顔をしなかったけど、2か月だけ、夏奈が大西文化大学の陸上部に受け入れてもらえるまでだからと頭を下げて、しぶしぶ納得してもらった経緯がある。
「それに・・・去年の9月の栄斗くんの約束を信じているから大丈夫だけど・・・。私の不安な気持ちもわかってよね・・・。彼氏が、他の女の子・・・しかも幼馴染みと仲良くして、毎日ずっと一緒なんて、本当は許せないんだからね。」
冬香が手を伸ばして僕の手の甲をつねった。
まだ彼女の口元には何とか微笑みが残っているけど、もはや目は笑っていない。
「わかってる。あくまで選手として応援してるだけだから。冬香の白神山と同じ。今、スランプで低迷しているから、何とか表舞台に戻って欲しいって気持ちだけで、そんな不安になるような関係なんて一切ないから!!」
もっとも、夏奈が冬香と入れ替わっている時に、あれこれと色んなことをやってしまったけど・・・。
そんな内心のうしろめたさが伝わってしまったのか、冬香がつねる指の力が増した気がする。
爪が食い込んで血が滲んできた・・・。
「栄斗くんは、私との約束を絶対に守ってくれるって信じてるよ。」
そう言うと彼女はニッコリ笑って、やっと手を離してくれた。
こうなると、これからずっと夏奈をサポートするという選択肢は無くなった。僕が大西文化大学の陸上部に移るのも論外だ。
いったいどうしたらいいんだろう・・・。




