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第22話 蹉跌

重ねた唇を離すと、腕の中の彼女は少し身を固くしながら、緊張した面持ちで僕を見つめて来た。


「・・・・・この体では初めてだから、ちゃんと優しくしてよ。」


いつもとは違って少し弱気につぶやく姿がなんとも愛おしい。そのギャップに僕は理性を保つので精一杯だ。


「うん・・・。夏奈、かわいいね。」


「うるさい・・・。」


彼女は、僕の言葉に力なく答えると静かに目を閉じた。


僕も目を閉じて夏奈の肌を感じる。


女の子によって、こんなに肌の感触って違うもんなんだな。冬香はふわふわで柔らかかったけど、夏奈は細いのに筋肉に覆われてるせいか、弾力があって・・・。


そんなことを思いながら、優しく肌を触れあっていると、急に彼女が目を開いた。


「栄斗・・・これでよかったんだよね・・・。」


「うん・・・・・。」


心の中では冬香への申し訳なさでいっぱいだ。

だけど、後悔はしていない。


そう思いながら僕も目を開くと・・・・自分の部屋の見慣れた天井が見えた。


「・・・・ああ、夢か・・・。」


夢だったと気づいた後も胸の高鳴りが収まらない。


「後悔はしていない」ってなんだよ・・・。もし本当にそんなことになったら後悔どころじゃすまないぞ。


しかし、夢だったか・・・。

夢ってわかってたら、もうちょっと進めてから目を覚ましてもよかったかも。

入れ替わりを夢だと思って、「無茶苦茶やってやれ」ってなってた夏奈の気持ちも少しはわかる・・・。


入れ替わっていない現実の夏奈と再会してから2週間が経っていた。


その間、夏奈が冬香と入れ替わることは一切なかった。

夏奈は絶望する状況で眠りについた時に冬香と入れ替わったって言ってたから、大学にも合格して、陸上を再開するモチベーションも復活するなど、夏奈の状況が好転したことが影響しているのかもしれない。


ちなみに、入れ替わりこそないけど、夏奈とはあれ以来、LINEなどでやり取りしている。


大学からは遠いのに、入れ替わりの時に何度も来ていて土地勘があるからと、僕の部屋の近くに下宿も見つけたらしく、近々引っ越してくるらしい。


「よいしょっと!」


勢いをつけて体を起こすと、急いで身支度を始めることにした。


今日は冬香が僕の部屋に遊びに来ることになっている。

入れ替わっていない冬香がこの部屋に来るのは久しぶりだ。

部屋もちょっと片付けておかないと・・・。


◇◇


登戸の駅の改札前で待っていると、冬香が乗降客に混じってホームからの階段を登ってくる姿が見えた。

そう言えば、前に入れ替わった夏奈をランニングに誘うためにここで待っていたこともあったよな。

あの時は、夏奈らしく元気に手を振りながら駆け寄って来たから、一目で入れ替わってるってわかったな。

あれは2か月くらい前なのに、ずっと昔のことのように思える・・・。


あれっ?今日も走ってくる。

しかも他のお客さんをかき分けながら・・・。

控えめな冬香があんなことをしてる姿を見たことない。


もしかして・・・・。


「栄斗!!よかった!!ちょっと相談したいことがあったんだけど!」


改札越しに掛けられた大きな声で確信した。間違いない、夏奈だ・・・。


思わず頭を抱えてしゃがみこむ。


「どうしたの?気分でも悪いの?そんなことよりも大変なことになった。どうしたらいい?」


しゃがみこんだ僕に、頭の上から矢継ぎ早に声を掛けて来る夏奈。僕は頑張って気を強く持って、何とか立ち上がる。


「ああ、たしかに大変だ。まだ入れ替わりは解決してなかったんだ・・・。」


しかし僕の言葉に、夏奈は首を左右に振った。


「そんなことじゃない。私、陸上を続けられなくなった!!どうしたらいい?」


「えっ?どういうことなの?」


突然の夏奈の言葉に戸惑いを隠せない。


「メールがきて、入部できない。干された。永久追放だ・・・。」


夏奈の説明も要領を得ない。


落ち着きを失っているのかもしれないと思い、とりあえず駅の下にあるスタバに場所を移そうと声を掛けた。


――


「とりあえず引っかかってるから、先に聞いておきたいんだけど、なんでまた冬香と入れ替わったの?もう夏奈が直接連絡してきてよくない?」


向かいの席で、僕が買ってあげた抹茶とわらび餅のフラペチーノを手にした夏奈をジトっとした目で見つめた。


僕の非難をこめた視線に気づかないのか、彼女は少し頬を緩めてニンマリしながらストローに口を付けている。


「もちろん、私も直接栄斗に連絡するつもりだったんだよ。だけどなぜか栄斗に全然連絡取れなくて夜になっちゃって・・・。だからそのまま寝て冬香さんと入れ替わった方が早いかと思って・・・。」


夏奈はストローをくわえながら、器用に唇を尖らせている。

入れ替わった方が早いという夏奈の言葉、実はよく理解できる。


夏奈と再会してから、何度か二人で入れ替わりについて話したけど、実は入れ替わっている間、夏奈時間と冬香時間にはズレが生じるらしい。


夏奈が絶望の中で夜の床につき、夢の中で冬香と入れ替わって、冬香として目を覚ますのは、ちょうどその日の朝。

つまり入れ替わるだけでなく、夏奈にとっては、ほぼ1日、時間を逆行することになるらしい。


少しややこしいけど、今、僕の目の前にいる冬香と入れ替わった夏奈は、今日の夜に眠りについた夏奈ということになる。


「でも、連絡取れないってことないでしょ。今、夏奈のスマホに電話してみようか?」


夏奈のスマホに電話を掛けてみたけど、呼び出し音すら鳴らない。


LINEでメッセージも送ったけどずっと未読のまま。


「おかしい・・・。スマホの電源切ってるとか?」


「そんなことないって。ちょうど同じくらいの時間に私からも電話かけようとしたけど呼び出し音が鳴らなかったし。あっ、ちょうど今と同じ時間にメッセージも送ったよ。」


スマホを見たけど、メッセージが届いて来ない。


「もしかしてだけど・・・。入れ替わっている間って、僕は夏奈に連絡がとれないとか?パラドックスが生じるから僕が認知できる夏奈は一人だけで、同時に二人とコンタクトできないとか・・・。」


「それだ!!」


夏奈が我が意を得たりといった感じで僕の顔を指差してきた。

だけど、何が「それだ!!」なのかまったく意味がわからん。そもそも、パラドックスって意味わかってるんだろうか?


「まあ、いいや。それは考えてもわかんないだろうし。それよりも陸上できなくなったってどういうこと?順を追って教えてくれる?」


「ああ・・・うん・・・。実は大西文化大学に入学が決まってすぐに、女子陸上部のウェブサイトの問い合わせフォームからメールしたんだ。4月から入部したいって。」


夏奈は表情を曇らせて、ぽつりぽつりと語り出した。


「それで、3000mと5000mのベストタイムとか、インターハイの成績とかも送ったら、すぐに歓迎するって返信が来たんだ。」


それはそうだろう。

実質的に一浪しているとはいえ、夏奈にはインターハイ3位の実績もある。

そんな逸材が一般入試で入学して、向こうから入部したいとやって来たのだ。

どこの陸上部だって大歓迎に違いない。僕は深くうなずいた。


「だけど・・・昨日の夜にメールがあったんだ。私を入部させることはできないって。」


「えっ?にゃんで?」


思わず声が裏返ってしまった。

しかしそんな僕にツッコみを入れることなく、夏奈は深刻そうな顔のまま話を続ける。


「実は、4月から監督が変わるらしくて・・・その監督が反対してるって・・・。」


「その監督って・・・まさか・・・。」


僕には思い当たる人がいる。

夏奈もこくりとうなずいた。


「高校の時の陸上部の顧問、森下小夜・・・小夜ちゃんが反対してるんだって・・・。」


「そんな、そんなバカな!夏奈のことを愛弟子として、あんなにかわいがってくれてたのに・・・。」


驚きのあまり、思わずまじまじと夏奈を見つめてしまった。

しかし夏奈はなぜか目を逸らし、少し気まずそうな表情になった。


「いや・・・栄斗が陸上部にいた頃はそうだったかもしれないけど・・・あの後、ちょ~っと衝突しちゃって・・・。小夜ちゃんに紹介された大学も勝手に辞めちゃって・・・。まあ、怒るってるのは・・・理解できるかな~。ははっ・・・。」


そういえばお正月に香織が言ってた。森下先生が夏奈のことを、「あの恩知らず」って怒ってるって・・・。


「じゃあ、森下先生の所に謝りに行こうよ。話がわからないひとじゃないし。誠心誠意、心から謝ればきっと許してくれるって。すぐに連絡とって謝りに行こう。僕も付き添うから・・・・。」


僕が熱く語りかけているのに、夏奈はなぜか僕の視線を避けようとする。


遂には真横を向いてしまった。


「えっ・・・?どうして?」


思わず呆然としていると、夏奈はチラチラと横目で僕の様子を窺ってきた。


「実は・・・もう小夜ちゃんには電話しちゃって・・・。」


「えっ?もう?それで森下先生はどうだって?」


思わずテーブルに手をついて身を乗り出す。

しかし、夏奈はまた向こうを向いてしまった。しかも思いっきり首をよじって、もはや僕に背中を向けていると言ってもいいくらいに・・・。


「いや・・・栄斗に相談してからと思ったんだけど、栄斗が連絡つかなかったから・・・。」


「そんなのどうでもいい。森下先生は許してくれたの?」


「入部をお願いしたんだけど・・・まずは高校とか大学とかの迷惑をかけた人に謝るのが筋じゃないかって・・・。」


「そうだよ!そのとおりだよ。それで謝罪に行くことになったの?」


「いや・・・それが・・・なんで私が謝らなきゃいけないのって言っちゃって・・・。」


「はっ?」


思わず声が大きくなる。気づかなかったけど、いつの間にかテーブルに手をついて立ち上がっていた。


「まあまあ落ち着いて・・・。それで、お前はちゃんと自分の状況がわかってるのか恩知らずがって言われてカチンときて、あんたの恩なんか受けた覚えなんかない・・・だったかな・・・そう言い返しちゃって・・・。」


僕は黙ってゆっくりと腰を下ろし、それから頭を抱えた。


「い、いや、私もちょっと頭に血が昇っちゃったというか・・・。本心じゃないんだよ。で、森下先生から、もう連絡してくるなって言われて電話を切られまして・・・。今に至ると・・・。」


「あ~っ・・・・。」


僕は打ちのめされたボクサーのようにうなだれた。

そんな僕に夏奈が機嫌を取るような口調で話しかけて来る。


「大丈夫だって。あっ、そうだ。これを機に普通の女子大生になろうかな。栄斗と一緒に遊園地行ったり、東京を見て廻ったり。なんか楽しそう!そっちのがいっかな~。」


夏奈の能天気な声に、僕も我慢の限界が来てしまった。


「ふざけんなっ!!この間、もう一度、選手として頑張るって誓ったばっかりじゃん!!」


「あっ・・・いや・・・。ごめん、栄斗を元気づけようと思って軽い冗談のつもりだったんだけど。でも、現実問題、大学の女子陸上部には入れないし、もう一浪するわけにもいかないし、もう選手として陸上を続けるのは難しくないかな・・・。」


夏奈が急にシュンと小さくなった。

ちょっと言い過ぎたかもしれない。でも、どうしたら・・・。


「オリンピックに一緒に行こうって約束したけどさ。インカレすら無理かも・・・。ごめんね。」


夏奈が神妙な顔で頭を下げている。僕は夏奈のこんな表情を見たいわけじゃない。どうしたら・・・。

いったいどうしたら・・・・。


「僕がランニングクラブを立ち上げる!!」


気づけば頭の中に浮かんだ言葉がそのまま口から零れ落ちていた


「そこを所属先にして夏奈を陸連に登録して、記録会に出よう。それで参加標準記録を突破したら日本選手権に出られる。そこで活躍すればちゃんとした所属先が見つかるかもしれない。」


熱を込めた僕の言葉に夏奈は気圧され、少し椅子を引いて後ろの方にのけぞった。


「練習も僕が手伝う。夏奈を支えるから一緒に頑張ろう!!」


「おっ、おう・・・。」


勢いで大変なことを言ってしまったことは自分でもわかる。


そもそも何で僕がここまでしなければいけないのかわからない。


苦労することは目に見えている。


だけど僕はそうしたい。

夏奈を必ず表舞台に復活させてやる。


小さなころから憧れていた僕のヒーロー、八幡夏奈を・・・・。


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