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第19話 復帰

「お~い!栄斗~!!」


JRの登戸駅の改札前で待っていると、彼女はホームから上がってきた乗降客をかき分けて、大きく手を振りながら駆けて来た。


確認するまでもない。

一目でわかった。

今日の冬香は夏奈と入れ替わっている。


「今日は夏奈だよ~っ!!おっ、どうしたの?今日はやけにニコニコしてるじゃん。夏奈に会えて嬉しいとか?」


「うん。ちょうどよかった。今日は夏奈に会いたかったんだ。」


僕が微笑みながらうなずくと、夏奈は、半笑いだった表情を急にひきつらせた。


「えっ、何を企んでるの?あっ、そっか。やっと夏奈の魅力に気づいたか!!じゃあ、今日はどこに連れてってくれんの~?」


「ああ、僕の部屋行こうか?」


夏奈は、今度は目を大きく見開き、急に焦りだした。


「えっ?まだ午前中だけど・・・えっ?こんな真昼間から?ちょっと、どうした?」


「いいから行くよ。」


やけにキョドりだした夏奈に一声を掛けると、返事を待たず僕は踵を返して歩きだした。


「こんなにいい天気なのに・・・。えっ?ずっと部屋で過ごすの?二人で?」


文句を言いながらも夏奈が後ろから追いかけて来る気配がする。


ちょうど準備が整ったところで、夏奈が来てくれてよかった。


思ったとおりになるかわからないけど、今僕ができることはこれくらいしかない・・・。


――


「真昼間から二人でお部屋でまったりとか?栄斗もエロいな~。でもたまにはそういうのもいいよね~。」


僕の部屋のベッドに腰かけると、気持ちの準備が整って態勢を立て直したのか、また夏奈がからかうような口調になった。


だけど今日は部屋でまったりしたいわけじゃない・・・。


僕はクローゼットを開けて準備していたものを取り出す。


「夏奈、これプレゼント・・・。」


僕が腕に抱えながら差し出した箱を見て、夏奈が目を丸くした。


「えっ?なに?冬香さんへのプレゼント?私が開けちゃっていいの?ダメでしょそれは!!」


口ではダメと言いながら、口元がニヤつくのが隠しきれていない。


「大丈夫。これは冬香へのプレゼントじゃなくて夏奈へのプレゼントだから。夏奈が開けて。」


「え~っ!!栄斗がそんなこと言ってくれるなんて、信じらんない・・・。」


彼女は満面の笑みを浮かべながら、バリバリと乱暴に包装紙を破いた。


そして箱を開けると急に表情を凍り付かせた。


「アシックスの・・・ランニングシューズ・・・。」


「うん。そう・・・。」


夏奈は急に僕をキッと睨みつけてきた。


「もう走らないって言ったよね!!もう陸上競技はこりごりだって!!」


夏奈の声が低くなった。

夏奈が本気で怒っている証だ。

これまで何度この声の変化に肝を冷やしてきたことか・・・。

だけど、今日は引くわけにはいかない。


「競技に戻れって言ってるわけじゃない。だけど、走るのまで止めちゃう必要はないでしょ。」


「うるさい、うるさいっ!!余計なお世話だ!!」


夏奈は激しく首を横に振って、ランニングシューズの箱を床の上に乱暴に置いた。


僕は夏奈の横に腰かけ、肩に手を置いて、その目を覗き込もうとした。

だけど夏奈は、ぷいっと横を向いて僕の視線を避けた。


「僕たちが出会ったランニングクラブの頃を思い出してほしい。夏奈は楽しそうに走ってたじゃないか・・・。」


「・・・・。」


「オリンピックなんか行けなくていい。選手として走らなくていい。だけど、走るのは止めないで欲しい。だって・・・楽しそうに走っている夏奈は・・・あの頃から僕の憧れだったから・・・。」


「・・・・・。」


「これから前に歩いた多摩川の河川敷に行って、少し走ってみない?」


夏奈は目を伏せたまま黙っている。なんとなくふてくされているようにも見える。


機嫌を損ねてしまっただろうか?


「・・・・。」


夏奈はずっとうなだれたまま。

僕もずっとベッドに座る夏奈の肩に手を置いたまま動かない。

そのまま何秒経っただろう。急に夏奈が上目遣いで見上げて来た。


「・・・ウェアとか貸してくれるなら・・・。でも今日だけだよ。」


僕は笑顔でうなずき、夏奈の気が変わらないうちに、すぐにベッド下の収納から用意しておいたランニングウェアを取り出し、夏奈に差し出した・・・。


――


多摩川の土手の上にあるランニングコースは、いつも様々な年齢層のランナーやサイクリストでにぎわっている。

川に沿って湾曲してるとこもあるけど、障害物がなくてほとんどまっすぐだから、ずっと遠くまで見渡せて気持ちいい。


遠くに見えるのは富士山だろうか?


土手下の野球場では、ユニフォームを着た小学生たちが元気に声を出しながらノックを受けている。

いかにも平和な週末という感じ。


「準備運動はこれぐらいでいい?軽く走ってみようか?」


土手の脇の草地で屈伸や伸脚などひと通りの準備を済ませて夏奈の方を振り向くと、彼女は黙ってうなずいた。


「今日は初めてだし、キロ7分くらいで500mくらい走って、折り返して戻ってくる感じでどうかな?」


僕の控えめな提案に、夏奈はハッと鼻で笑った。


「おばあちゃんの散歩じゃないし。そんなんじゃ走ったことにならないって。」


「冬香の身体で走るのは初めてだし。次から距離もペースも上げて行けばいいから・・・。」


「今日だけだって言ったでしょ。なんでしれっと次もあるみたいな言い方してんのよ。」


夏奈は憮然とした顔で横を向いてしまった。


「まあまあ、走った後のご飯はおいしいよ。運動したら何か美味しいもの食べに行こうよ。」


「チッ・・・。じゃあ、今日のお昼は二郎系ラーメンだな。いっぱい運動して、お腹減らして、今日こそは大盛にチャレンジするから。」


「わかったわかった。じゃあ、走ろうか。」


僕が先導を務めるつもりで、おもむろにゆっくりと走り出した。後ろから夏奈の足音も聞こえる。どうやら付いて来てくれたようだ。


まだ1月だけど今日はぽかぽかして温かい。そんな中、キロ7分でゆっくり走るのは散歩みたいで気持ちいい。


夏奈には、走ることを楽しんで欲しいなんて偉そうなこと言っちゃったけど、実は僕もちゃんと走るのは久しぶりなんだよな・・・。


そんなことを思いながらぼんやりと走っていると、あっという間に500mを過ぎてしまった。

そろそろ折り返すかと足を止めると、違和感に気づいた。

背中に夏奈が付いてきている感じがしない。


「え~っ?」


振り返ると200m以上後ろに夏奈の小さな姿が見えた。


しかも、膝に手を当てながら息を切らせて喘いでいる。


「大丈夫?」


急いで折り返して夏奈に駆け寄ると、彼女はまだ息が整わないのか荒い呼吸をしていた。

しかもわずかな距離しか走っていないのに汗びっしょりだ。


「ちょっと早すぎた?とはいってもキロ7分だけど」


「ハァ、ハァ・・・・うっ、うるさいっ!栄斗のくせに生意気・・・ハァ・・・。5000mのベストは・・・ハア・・・ハァ・・・私より1分以上も遅いくせに・・・。」


「そうは言っても今は冬香の体だし・・・。ごめんね。ちょっとハード過ぎたかも。」


僕が心配して手を伸ばすと、夏奈はその手をパシッと払いのけた。


「・・・うるさいっ!!ウェアだけでスポーツブラ用意してないってどういうことだよ。ワイヤーブラで走ったから痛くて仕方ないし・・・。」


「ああ、ごめん。気づかなくて・・・。」


「チッ・・・!」


夏奈は舌打ちすると、走路脇の草むらに腰を下ろして胡坐をかいた。

呼吸は落ち着いてきたみたいだけど表情は険しいまま。


しまった・・・走る楽しみを思い出してもらおうと思ったけど逆効果だったか・・・。


悄然として彼女を見下ろしていると、彼女が上目遣いで見上げて来た。

いや、上目遣いなんて優しいもんじゃない。

豹のような鋭い目で睨みつけている。思わず僕は気圧され、後ずさった。


「ごめん・・・。ウォーキングくらいから始めればよかったかも・・・。」


「うるさいっ!生意気なこと言うな。じゃあ、行くよ!案内して!」


そう吐き捨てると彼女はおもむろに立ち上がった。


「えっ、どこに?」


「スポブラ買えるとこだよ。その後ラーメンだ!!」


「じゃあ、また走ってくれるの?」


「当たり前だ!栄斗になめられたままで終われるか!」


夏奈は言葉は強気だったけど足がガクガク震えていたので、慌てて体を支える。


「大丈夫だから!一人で歩ける!」


「うん・・・。」


この姿、懐かしい。小学生の頃からずっと同じ、負けず嫌いな夏奈の姿だ。


そういえば高2のインターハイで3位だった時も、周りが祝福してくれているのに、優勝できなかったことに不満たらたらで、口をへの字に曲げて憎まれ口を叩いていた。


記録会で15分38秒の自己ベストを出した時も、日本選手権の参加標準記録を突破できなかったことを悔しがって、激しく地団駄を踏んでいた。


そんな姿が周囲に誤解されやすいけど、これが夏奈の力の源泉でもあるんだよな・・・。


そう思いながら、覚束ない足取りの夏奈を肩を組むようにして支え、多摩川の土手をゆっくり歩いた。


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