第4話.天使降臨
隣の試着室を気にしながら、手早く試着を進める。
(どうしましょう……本当に、て、天使様がお隣にいらっしゃったら……バティンに伝える、わけにもいきませんよね)
選んだブラウスとジャンパースカートは、フィノリカによく似合っているが、当の本人は上の空である。
サイズが合うことを確認して、急いで試着室を出る。
「お客様、いかがでしたか?」
「はい……これにします」
店員に伝えて、ちらりと隣の試着室を一瞥する。
入口には、大きめのパンプスが綺麗に揃えられている。
(仮に天使様だとして、私はどうしたいの………?)
天使に頼んで、助けとなってもらうのか。
それとも……。
フィノリカの脳裏に、バティンの姿が浮かんだ。
天使を頼るということは、彼への秘密がひとつ増えるということ。
(私は、元の世界に帰りたいのでしょうか)
天使ならばその方法も知っているかもしれない。
それでも、生まれたばかりの縁を手放すのを、フィノリカはなんとなく寂しく思った。
「フィノ、試着どうだった?」
気づけばバティンが、目の前に立っていた。
手には黒い石のシンプルなピアスを持っている。
「とても気に入りました」
「よかった。このピアス俺でも似合いそうじゃない? せっかくだから俺も買ってこうかな」
「はい、お似合いだと思います」
バティンの容姿であれば、性別を超越して何でも似合ってしまいそうだ、とフィノリカは心から思った。
「……あ」
バティンと店員が会話をしている間、例の試着室のカーテンがひらく。
中から出てきたのは、黒と紫のゴシックドレスを纏った、長身の人物であった。
形のよい唇には、バイオレットのルージュが美しく引かれている。
「店員さん、このままコレ着ていきたいんだけど」
「はい、ではタグをお取りしますね」
店員を呼ぶ声は若干低く、男性の声のようだとフィノリカは思う。
(教会の壁画で見るお姿とは、まったく異なります……でも、綺麗です。魔界に馴染むように、変装しているのでしょうか)
その時、会計のためにショルダーバッグから財布を出そうとしている天使? の手元から、何かが床に落ちた。
落とし物を返したいという善意から、フィノリカは咄嗟にそれを拾う。
それはリボンのついた革のパスケースだった。中央に写真が挟まっていて、周りが絢爛なレースと宝珠で飾られている。
「あの、落としましたよ」
フィノリカがパスケースを差し出すと、相手は勢いよく首を彼女の方角へ向け、つかつかと歩み寄る。
物凄い形相をしている。
「ありがとう……! 大事なものなんだ」
「いえ……お知り合いの写真ですか?」
「お知り合いというか、推し……って待って、それよりキミ、これに触ったよね?」
「い、いけませんでしたか……?」
相手の表情が、より複雑に歪められる。
「いや……なんで触っても平気なのかな、と思って」
「え?」
「ちょっと失礼」
そう言って、天使? は突然、フィノリカの手首を掴んだ。
「……!?」
「やっぱり浄化されない。キミは……」
「おいあんた、何してんだ!?」
割って入ったのはバティンだった。フィノリカを掴んでいる腕を勢いよく引こうとすると、バチバチと電流のような衝撃が彼の手のひらを貫く。
「ぐ……っ!? なんだこれ……!?」
「……簡単な防衛術だよ。近頃物騒なものでね」
違う。その場でフィノリカだけがそう感じていた。
単なる防衛なんてものじゃない。あれは天使の加護だ。邪なるものを退け、焼く光。
(じゃあこの方は、本当に天使様……)
「バティン、大丈夫ですか!?」
天使の浄化を喰らったバティンに、フィノリカは心配して駆け寄る。
「フィノ、こいつは何なんだ?」
「あ……私が落とし物を拾って、届けただけで……」
ここで天使とバティンが一触即発になるのはよくない、咄嗟にフィノリカは判断し、なんとか場を収めようとする。
そもそも、天使はなぜここへ?
ふと、先ほど天使が落とした写真に書かれていた、サインのような文字を思い出す。
それが、写真の人物の名前だろうか。
「グラシャ・ラボラスとはどなたですか?」
フィノリカがそう尋ねると、天使の頬がピクリと引き攣った。
「推し……と申しておりましたよね」
ピク、さらに天使の表情が震える。
バティンが手を抑えながら、小さく呟いた。
「聞いたことあるな。十番街でアイドル活動っぽいことをやってるグループがあるって。グラシャってそこのリーダー……」
天使が震える声で、バティンを睨みつけた。
「そ、そうなんだよね~……僕、ファンでさ。これから握手会に向かうとこだったから、もう行くね?」
「あ、ええと、お気をつけて」
カツ、とヒールの音を響かせて、その場を去ろうとする天使。
納得がいかず、今にも飛びかかりそうなバティンに向かって、緩やかに微笑んだ。
「それに、そっちのキミ。ごめんね? 傷つけるつもりはなかったんだ。これ、治療費にでも充ててよ」
「お前なあ……。でもいいよ、それで手を打つ」
(お金で解決してしまいました……)
去っていく天使の後ろ姿を一瞥し、フィノリカはバティンの傷を見る。
「バティン、怪我が心配です。大丈夫ですか?」
「ちょっとヒリヒリするな……なんだこれ、ヤケド?」
(浄化痕……もしこのまま治療に行けば、天使のやったことと分かってしまうのでしょうか)
フィノリカは腰に下げた祈祷杖をちらりと見る。
天使の傍にいたからか、僅かに力が回復している……気がする。
(浄化を、なかったことにする。難しい術式ですが、試してみましょうか)
フィノリカはバティンに気づかれないように、無詠唱・無動作で術式を練る。
バティンの傷口に、術式を飛ばすイメージで。
やがて白い光が傷口から溢れ、皮膚がなめらかに再生していく。
「わ!? 急に治ってる!? どういうことだよ……というかあいつ、なんだったんだ!?」
「ふ……不思議ですね」
フィノリカはとぼけて言った。
この身は天使様に仕える身として生まれ育ってきた。だから、天使様の助けとなるのは当然のこと。
その思いと同時に、バティンが痛い思いをしたままでは嫌だ、という気持ちもあって。
その結果が、今の行為で。術式としては言うほど簡単に出来るものではないが、彼女は涼しい顔でこなしてみせた。
フィノリカは元々、優秀な聖女候補だったのだ。
「とにかく、治ってよかったです。バティン、私、お買い物の続きがしたいです」
「よくわからんけどまあ……いいか! 他の服も見ようぜ」
悪魔と元聖女候補のふたりは、ショッピングを楽しむ時間に戻っていく。
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一方、天使は早足でその場から立ち去っていた。
「……あ~ッ、ビックリした! うっかり推し活バレしちゃったけど、大丈夫だよな? さすがに僕がどこから来たか、までは気付いてないハズ……!」
フィノリカにはうっすら正体を気付かれているということを、天使はまだ知らない。
「ここに来るまでに天界の規則を十つほど破ってるんだから、ホント気をつけないと……でも待っててね、グラシャ様! セレンがまた会いに行きます♡」
人目を避けて取り出したぬいぐるみを両の手で優しく包んで見つめ、天使セレニエル……ことセレンは幸せそうに呟くのだった。




