上層部
「なぜもっと早く本部に行かなかったんだ!」
水蛇を処理した一時間後の二十一時頃、河蘭妓は上層部に呼び出されて非難にあっていた。河蘭妓が紫乃本と日ノ宮を優先し、堕ち事件を後回しにしたことが彼らの癪に障ったのだろう。事情こそ知らないものの、堕ちた鬼が出たのだからそれが最優先、というのが彼らの意見らしい。彼ら上層部は『devils』の面々を人間か悪魔か鬼かなど関係なく、都合の良い道具としか思っていない。河蘭妓達の事情や感情など、見ようともしないのだ。それを理解し咀嚼している河蘭妓は、話し合いを放棄し、ただ謝罪のみを繰り返していた。
「申し訳ありません」
「なぜかと聞いてるんだ!」
(言ったところで長くなるだけでしょ。そもそもそんなに大声出さなくても聞こえるし)
狭い部屋の中で大声を出す中年の男に対して、河蘭妓は心の中でため息を吐き、また「申し訳ありません」と返した。その様子に彼らは満足してなさそうだったが、これ以上やっても埒が開かないと思ったのか、もう良い下がれ、と諦めたように言った。
「失礼します」
彼女はその答えに満足し、部屋を後にする。扉の先にはイーグルが待っており「今日も煩かったね〜、お爺ちゃん達」と、部屋の中にいる上層部の連中を嘲笑うようにケタケタと笑った。彼らがイーグル達を蔑ろにしているのは『devils』の全員が知っていた為、上層部に対して全員が嫌悪感を抱いていたのだ。
イーグルのその言葉に、河蘭妓は「僕より何十倍も弱い癖にね」と冷たい声でたっぷりの皮肉を込めて返した。
彼女の強さは、悪魔の力を借りているだけではない。それに身体が耐えられるように、悪魔の力を無闇矢鱈に使わなくても大丈夫なように『devils』のメンバーに戦い方を教えて貰ったり模擬戦を重ねていたりと、彼女の努力も大きかったのだ。それを一番認知しているイーグルは、珍しく柔らかい声と表情をして「そーだよなぁ」と返した。
「あ、もう処理終わったって〜」
ちょうど今届いた処理班からの報告メールを見せながらイーグルが言う。
「鼓が夕飯作ってくれるみたい」
彼と同時くらいに彼女の携帯に届いた鼓からのメッセージを伝えた彼女の言葉に、イーグルは、あの女の飯美味いんだよなぁ、と口の周りをペロっと舐めて返した。鼓は和食を作ることが多く、まだ洋が世間に浸透していない時代から生きているイーグルにとって彼女の作る料理は、上質な人間の魂の次の好物だったのだ。
ちなみに、悪魔は人間の魂を喰らなければ死んでしまう生き物だ。六十年人間の魂を口にしなければ、身体が溶けてしまうのだ。ただ、人間の食べる料理などは飲食せずとも彼らに何らかの影響が及ぶことはない。理由は単純だ。彼らは人間の魂を喰らう為だけに存在している。それさえ怠ら無ければ、彼らが死に至ることは絶対に無いのだ。
しかし、食欲が湧けば、悪魔も人間の食べ物を食べる。味覚などは人間と変わらない為、まずいものはまずいと言い、美味いものは美味いと言う。ただしそこに人間にもある好みの違いのようなものは存在しており、イーグルは極度の甘い物好きだった。しょっぱいものや辛いものはあまり口にせず、甘いものをよく口にした。それを知っている鼓は、彼専用に甘い味付けのものを出すことも多く、彼はそれを気に入っていたのだ。
「小鳩も今日は泊まるって」
「お、まじ?」
「あの子、堕ちた鬼見るの初めてだから、一人で寝るの怖いんじゃない?」
河蘭妓のその言葉にイーグルは、あいつメンタル弱ぇもんなぁ、と、意地悪そうに笑った。事実「小鳩」と呼ばれる鬼は、齢九歳の子供であり、年齢以下の精神年齢をしている為、彼がそう言うのも仕方は無いだろう。イーグルも、よく彼を面白がって揶揄って泣かせている。
「そんな言い方しないの。可哀想でしょ」
「思ってねーだろ、それ」
軽く目を細めてイーグルが言う。それに河蘭妓は「あ、バレた?」と無表情のまま軽く舌を出した。彼女は誰かを「可哀想」や「哀れ」と冗談抜きの場合に言うのを嫌っていた。他人の解釈で自分が不幸、と決めつけられているようで癪に障るらしく、自分が言うのも禁じていたのだ。
「なぁ、真夜〜。抱えるから走って帰るっつったら許可する?」
早く鼓の料理が食べたいのか、突如として河蘭妓に懇願するように少し首を傾げて聞くイーグル。
悪魔である彼の走行速度は通常の人間の数倍はあり、今の河蘭妓でさえ全力疾走しながら目で追うのが精一杯な為、まだ幼い頃の河蘭妓をイーグルが置いて行ってしまったことがあり、その時は河蘭妓が拗ねてしまい、数日イーグルと会話をしなくなった為、彼は彼女に逐一許可を取ることにしていたのだ。
彼のその言葉に、河蘭妓は少し迷ってから「まぁ、いいよ」と返した。