盗本事件?
私立湖能端高校、そこの二年四組に彼女、河蘭妓真夜は在籍している。
定期テストでは常に全教科で学年三位以上。その絶対的な 美貌と誰に対しても塩対応なその性格から、彼女は校内では完全なる高嶺の花状態。
彼女がちゃんとした会話を交わす人物と言えば、校内では二年一組に在籍している日ノ宮向日葵と、二年四組に在籍している紫乃本紫苑の二人のみ。彼らは、彼女の小学校時代からの幼馴染らしく、彼女に軽口を叩いたり、冗談を言ったりが許されている数少ない人物として、校内では優遇されがちであった。
それと、これは余談であるが、二人以外の人間が彼女にそういう口を叩けば、絶対零度の瞳で睨まれてしまうらしい。彼女は女性にしては大きい百七十四という身長であるため、ある程度の人間は見下ろせてしまうのだ。無論、下から睨まれても相当の怖さがあるのは言わずもがなである。実際に彼女に睨まれた人間は、あれは恐怖の域を超えた怖さだった、と語る。抗いようのない死に直面したような、そんな気分だった、と語る者もいる。そんなこともあり、校内では絶対に彼女を本気で怒らせてはいけない、という暗黙のルールができており、それは教師も例外ではない為、実質彼女は湖能端高校の女帝と化していた。
そんな彼女が、今日も教室の戸をくぐる。
「紫苑、おはよう」
河蘭妓は、委員会の仕事で先に登校し、既に席に着席していた紫乃本を見つけて声をかけた。微笑みもせず、平坦な口調であったが、他と比べて声色が柔らかいのは誰の目から見ても一目瞭然であった。
「はよ。今日も元気そうで何より」
紫乃本は椅子に座って机に肘をついたまま彼女に返事を返した。彼女はうん、と一言返事を返して彼の前の自分の席に着席する。
「来る途中、ひまが紫苑は真面目だ、って言ってた」
突拍子もなく、思い出したように彼女がそう口にした。ひま、というのは日ノ宮に対して河蘭妓が使うあだ名である。ちなみにそのあだ名は、小学時代の彼女がいつも一人で暇そうにしていたのと、彼女の名前の一部をかけて河蘭妓がつけたものだ。
「それ絶対褒め言葉じゃなくて煽りだろ。大体俺だってやりたくてやってるわけじゃねーし。あーもー、あの日風邪さえ引いてなけりゃ、楽なやつ選べたのに」
不服そうな顔をして彼女に返事を返した彼は、図々しくも自分が校内で優遇されていることも、それが彼女のおかげであると言うこともきちんと認識しているのだ。そしてそれを利用して見事、自分の要望をほぼほぼ通すことに成功しているのだが、委員会決めの日は運悪く風邪を引いてしまい、成り行きで望んでもいない図書委員になってしまったのだ。今日は最近図書館の本が無くなっている、という話が生徒から何度かあったので、その確認も兼ねて本の整列をしていたようだ。
「運命の悪戯ってやつかしら」
相も変わらず表情ひとつ動かさないまま、声色にだけ揶揄うような色を滲ませて言った彼女の言葉に、紫乃本は巫山戯半分本気半分で、「運命め、一生呪ってやる」と返した。
彼女は運命という言葉をよく使う。運命には逆らえないものであり、死ぬ運命の時には死に、死なない運命なら死なない、というのが彼女の基盤にあるからだ。人は皆、決められた運命の上を歩いていて、自分で決めた気分になっているだけ、という考えの元で生きているからか、彼女は自分で何かを決めることを面倒臭がる節がある。どうせ運命で決まっているのだから、どっちだって成るように成るだろう、という思考だそうだ。
「それで、本はやっぱり無くなってたの?」
「あぁ。合計四十九冊の本が図書室から消えてた」
全く、誰が盗んだんだよ、と愚痴を溢す紫乃本。湖能端高校の図書室はそれなりに広いため、それだけの本が無くなっていたとしても気付かなくても不思議は無いが、それほどの本を誰が何の為に盗んだのか、というのは興味の惹かれるところであった。
「四十九なんて、随分不吉な数字ね。まるで死んで苦しめ、と言っているみたい」
「怖いこと言うなよ!寒気してくるだろ?」
自身の腕を摩りながら、怯えたような表情と情けない声色で言う紫乃本。
彼は幼少期の頃から、目に見えない他人からの悪意やオカルトの類が苦手なのだ。それ故に、誰かからの悪意の籠ったメッセージとも取れるその数字も、呪いという言葉も、彼にとっては恐怖の的でしかない。それを彼女は知っている上にきちんと記憶しているのだが、それを彼の目の前で口にして見せる辺り、彼女は少し意地の悪いところがあるらしい。
「ごめんなさい。でも、今日図書委員が点検をするのは別に隠蔽されていたわけでは無いし、犯人が態と盗んだ本の数をその数字にする事は出来ると思うのよ。一度、無くなっていると言われていた本と、実際に無くなっている本がきちんと合っているか確認してみたら?」
「あぁ、確かに。一回確認してみるわ。でもそれでもし合って無かったらマジ恐怖だから真夜も付き合って」
お願い!と手を合わせて頼む彼に、河蘭妓は仕方ないなぁ、と言うように軽くため息を吐いて「ひまにも聞いてみる」と返す。その彼女の返事に彼は一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに元の顔に戻って「向日葵も居んならなお心強いな!」と笑った。