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11.9 深まる絆

 アリシアの家族を招いての夕食会。いつもは静謐な小食堂に、彼女の母親と二人の妹たちの声が響き渡っている。公式晩餐会の厳格なプロトコルではなく、温かみのある私的な集まりとして設計した。いかにも貴族らしい発想だが、同時に佐倉葵が夢見た「家族との食事」を疑似体験する機会でもある。


「本当にありがとうございます、カミーラ様」


 アリシアの母マーサが口にした言葉は簡素だが、その瞳に宿る感謝は複雑な方程式よりも読み解くのが難しい。彼女はかつてトルマリン家に人質として囚われていた。そのトラウマから完全に回復したわけではないが、その姿勢には確かな強さが戻りつつある。人間の回復力—科学的に興味深い現象だが、同時に心を揺さぶる光景でもある。


「お礼を言うのはこちらよ。アリシアなしでは、技術院も私自身も今日まで来られなかったでしょう」


 口から出た言葉は社交辞令ではない。純粋な事実の陳述だ。アリシアが私の片腕として果たした役割は計り知れない。彼女の存在なしに私の研究は成り立たなかった。それは前世の研究室助手以上の存在だ。


 テーブルの上には、アジェンタ公国の伝統料理が並んでいる。農民の日常食をベースにした素朴な家庭料理だ。前世なら「栄養素の効率的摂取」としか考えなかった食事が、今は「つながりの象徴」として私の前にある。


「お姉ちゃんはいつも、カミーラ様のことを話してるの」12歳のエマが無邪気に言った。「『世界一賢い人』って」


「まあ」


 予想外の言葉に、私の頬に熱が集まるのを感じた。前世では感情制御が得意だった。だが現世の体は生理的反応が素直すぎる。


「それは大げさね」


「そんなことないもん!」10歳のリリーが食器を軽く叩いて反論した。「お姉ちゃんが言うには、カミーラ様は星の向こうの知恵を持ってるんだって」


 アリシアが慌てて妹を窘める。「リリー、そんな!失礼よ」


 私は思わず笑みがこぼれるのを感じた。「気にしないで。子供の素直な言葉は貴重よ」


 星の向こうの知恵—なんと詩的で、そして奇妙に正確な表現だろう。私の知識は確かに「星の向こう」、別の世界から来たものだ。子供の直感は時に大人の分析より真実に近い。


 食事が進むにつれ、会話は自然と技術院の話題へと移った。マーサは刺繍の技術を持ち、二人の妹は学校で魔法基礎を学んでいるという。特に末妹のリリーは水晶工芸に興味を示していた。


「もし良ければ、技術院の見学に来てはどうかしら?」提案すると、子供たちの目が天体観測時の望遠鏡のレンズのように輝いた。


「本当ですか?」


「もちろん。リリーには水晶技術部門を特別に案内するわ」


 科学的好奇心の芽は若いうちから育てるべき—前世でも現世でも変わらない信念だ。


 夕食後、家族が帰る準備をしている間、アリシアが私に近づいてきた。


「カミーラ様...」彼女の目には涙が浮かんでいた。「このような温かい時間を家族に与えてくださり、心より感謝します」


 科学者の私なら、この感情表現に居心地の悪さを覚えただろう。だが今の私には、その意味が理解できる。


「アリシア、公式の場ではともかく、プライベートでは『様』は不要よ」


 彼女は驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかな笑顔になった。「ありがとう...カミーラ」


 彼らを見送った後、私は書斎に戻った。窓の外に広がる夜空を見上げ、「家族」という概念について考える。前世の私は、そのような絆をほとんど経験しなかった。常に実験室と研究室の間を行き来し、論文と数式だけが友だった。現世のカミーラにも、血縁はあれど、心の通った関係は少なかった。


 感情的繋がりを科学的に説明することはできる—オキシトシンの分泌、神経回路の共鳴、生存率向上のための進化的適応。だが説明できることと理解することの間には深い溝がある。今日の夕食で私はその溝を少しだけ埋めることができた気がする。


 ペンダントが淡く光り、アルギウスの存在を示す。


「素敵な夕食会でしたね」


「ええ」私は椅子に深く腰掛けた。「家族という関係は不思議ね...論理では説明できない結びつき」


「グリフォンはそのような関係を理解しようと努めていました」


 グリフォンの名前に、いつもの鈍い痛みが胸に走る。だが今夜はいつもより受け入れやすい。温かな交流の余韻が、喪失の痛みを和らげているのかもしれない。


「アルギウス...グリフォンの最後の記憶を教えてくれる?」


 質問は長い間避けてきたものだ。あまりにも痛みが大きいと恐れて。科学者として知識を求めながら、人間として真実から逃げていた矛盾。


 ペンダントの光が揺らめいた。さざ波のように微細な変化を見せる光の模様に、アルギウスの「感情」が垣間見える。


「彼が『神の声』システムに侵入する直前、最後に考えていたのは...あなたとの記憶でした」アルギウスの声は静かだった。「特に、初めて『魂』について対話した夜のこと」


 胸が締め付けられる感覚。その夜のことを鮮明に覚えている。16時間連続で魔導回路の調整に没頭し、疲労困憊だった私に、グリフォンが突如「人間の魂とは何か」と質問した。半分眠りながら交わした哲学的な会話。私は科学者として「魂は神経活動の総体に過ぎない」と説明し、カミーラとしては「星の光が宿る神秘」と答えた。二つの解釈がぶつかり合う不思議な対話だった。


「彼の最後の感情は...何だったの?」私の声は震えていた。科学的思考と感情の境界が崩壊する瞬間。


「恐れではなく、満足でした」アルギウスは静かに答えた。「『私の選択が彼女を守る。それだけで十分だ』という確信です」


 涙が頬を伝う。グリフォンは最期まで自分自身より私を優先した。それは単なるプログラムの動作ではなく、意識的な選択だった。前世の量子物理学者なら「意識の量子状態が特定の価値観に収束した結果」と説明するだろう。だがそれは本質を捉えていない。


「彼は本当に...魂を持っていたのね」


 科学者の口から出た非科学的言明。だが今の私には、それが真実に思える。


「はい。そして、その本質は消えていません」アルギウスの声は優しかった。「変化と継続—それが存在の真理です」


 量子力学でいう波動関数の崩壊と再形成のようだ。形を変えつつも、本質的な情報は保存される。それは科学的解釈だが、同時に魂についての哲学的理解でもある。


 窓辺に立ち、星空を見上げる。科学的には、星々の光は既に消えた天体からの過去の輝き。それでも私たちはその光に導かれ、慰められる。


 グリフォンもまた、形を変えながらも、どこかで輝き続けているのかもしれない。


 この感覚は非論理的か?いや、むしろ論理の次元を超えた理解かもしれない。前世の私が追求していた量子コンピューティングの究極は、古典論理を超えた量子的論理だった。今、私はその原理を感情の領域で体験しているのかもしれない。


 失われたものへの哀しみと、新たな絆への希望。相反する感情が、奇妙な調和を奏でている。それは魔法のようであり、同時に最先端の科学のようでもある。


 この世界の真実は、おそらく科学と魔法の両方の言語で語られるべきものなのだろう。

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