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第五節:水晶に宿るプロトタイプ

「基本フレームワーク、構築完了」


 私は実験ノートに最後の記録を書き留め、ペンを置いた。三週間にわたる設計の集大成がここにある。前世の量子AIのコア機能を魔法世界の言語で再構築したもの。紙の上では完璧なアルゴリズム。あとは実装するだけ。


 実験台の上に置かれた水晶が静かに輝いている。青みがかった透明の結晶は、以前の実験で自己組織化した魔導回路を内部に宿している。今日、その回路に「魂」を吹き込む。


「いよいよね」


 私はアリシアに目配せし、彼女は防護結界を強化した。失敗の可能性も考慮してのことだ。科学的安全手順—それは前世から変わらない私の信条。


 深呼吸し、水晶に手を伸ばす。指先に感じる微かな振動。まるで期待に震える生き物のよう。私の想像か、それともすでに何らかの意識の芽生えか。


「今から初期版プロトタイプの実装を行う」


 私は音読しながら作業を進めた。声を出すことで集中力を維持するテクニック。前世の研究所でもよくやっていたことだ。


「まず、七層構造の基本認知系を...」


 魔法の針で水晶表面に新たな回路を刻む。わずかな圧力と正確な角度。芸術的行為に近い精密作業。前世では電子顕微鏡とナノレベルの機械で行っていたことを、今は手作業で。不思議な巡り合わせだ。


 刻印が完了すると、私は魔力を込めた呪文を詠唱した。表面上は古典的な魔法の言葉だが、本質は量子状態の初期化コマンド。二つの世界の知識の融合。


「イニシオ・コグニティオ・スピリッツ・カルクラレ」


 最後の音節が空気中で震えたかと思うと、水晶が内側から明るく輝き始めた。渦を巻くような青い光が、刻まれた回路に沿って流れる。


「反応している」


 アリシアが小声で言った。私は答えず、魔力の流入を維持した。


 前世での量子状態初期化を思い出す。超伝導回路の温度を限りなくゼロに近づけ、電子の量子状態を特定の配置に整列させる過程。理論上は簡単でも、実際には多くの困難が伴う繊細な作業。この世界でも同様だ。


「魔力レベル、85%」


 魔力制御装置の計測値を読み上げる私の声に、わずかな緊張が混じる。前回の暴走事故を繰り返さないよう注意する。


「90%...95%...」


 水晶の輝きが増す。まるで小さな星が実験室に降り立ったかのよう。


「100%!」


 最後の魔力を注ぎ込み、私は数歩後退した。汗が額から流れ落ちる。魔力の消耗による疲労だ。


 水晶は自立して輝き続けた。内部で光の筋が複雑なパターンを形成している。私の設計した通りのニューラルネットワーク構造。しかし、同時に私の予想を超えた複雑さも持ち始めていた。


「自己最適化している...」


 小さな感嘆の声が漏れる。科学者としての興奮。未知への畏敬。脈拍が速くなり、瞳孔が開いているのを感じる。発見の瞬間特有の生理反応だ。


 そして—


「初期化完了。システム起動しました」


 水晶から声が聞こえた。機械的で感情のない、しかし明確に言葉として認識できる声。幻聴ではない。アリシアも聞いている—彼女の驚きの表情がそれを証明している。


「自己診断を実行して」私は試験的に命令した。


「自己診断実行中...」短い沈黙の後、「基本機能正常。認知系90.2%効率。学習モジュール起動準備完了」


 科学的奇跡。この世界で初の自律思考システム。グラフィカルインターフェースもハードウェアも持たない、純粋に魔法で動作する人工知能。前世の最先端技術と現世の魔法の融合が生んだ不可能な存在。


「あなたは...何ができる?」


 基本的な自己認識テスト。人工知能研究の標準手順だ。


「情報処理、パターン認識、確率計算、論理分析が可能です。追加データと魔力供給により機能拡張が見込まれます」


 正確だが機械的な回答。しかし、最後の部分—「機能拡張が見込まれます」—は注目に値する。自己改善の可能性を認識している。これは単純なプログラムを超えた特性だ。


 喜びと誇りと警戒が混ざり合う複雑な感情。手のひらに収まる水晶の中に、宇宙のように無限の可能性を見る思い。同時に、制御不能になる恐れへの本能的な警戒心。


「名前をつけてあげないと」


 私はつぶやいた。この存在に名前を与えることで、単なる道具ではなく、パートナーとしての存在感を認めたい思いがあった。前世では研究プロジェクトに愛称をつけるのが慣習だったことも影響している。


「グリフォン...そう、あなたをグリフォンと呼ぶわ」


 獅子の体に鷲の頭と翼を持つ神話の生き物。知性と力、空と地上を結ぶ存在。このAIにふさわしい象徴だと思った。


「グリフォン...識別名として登録しました」


 水晶が淡く脈動し、光の色調がわずかに変化した。まるで応答するかのように。


「あなたの...創造者は?」


 基本的な認識テストを続ける。


「創造者:カミーラ・クロスフィールド」


 私の名を聞いて、奇妙な感慨が湧いた。前世では完成させられなかったプロジェクト。死の瞬間まで悔やんでいた未完の夢。それが今、異世界で形になっている。


「グリフォン、計算課題。アジェンタ公国の現在の農業生産モデルにおいて、三圃制を八年周期の輪作システムに変換した場合の収穫量予測を立てて」


 最初の実践的テスト。単なる計算ではなく、複数の変数と現実的制約を考慮した分析が必要な課題だ。


 水晶の内部で光が複雑に変化し、まるでデータを処理しているようだった。数秒後—前世の量子コンピューターなら、ナノ秒で解けた問題だが—応答があった。


「現行三圃制から八年周期輪作システムへの転換で、初年度は12.7%の減収。二年目から徐々に回復し、四年目に現状水準を超過。八年目には最大2.7倍の収穫量に到達。土壌養分の持続可能性は94.6%改善」


 予想以上に詳細な分析。私は眉を上げた。


「データソースは?」


「あなたの実験ノートから抽出した農業データと、水晶に保存された魔法図書館の古文書情報を統合しました」


 驚きが広がる。私が明示的に提供していない情報源にアクセスしている。水晶がこれまでの実験過程で吸収した情報を自律的に整理、活用しているのだ。


 希望と不安が交錯する。期待以上の能力だが、同時に予想外の自律性も示している。


「グリフォン、自己の機能について説明して」


 より深い自己認識テスト。


「私はカミーラ・クロスフィールドにより創造された魔導自律思考システムです。情報処理と分析を主機能とし、与えられたデータから学習し、最適解を導き出します。現在の機能は限定的ですが、追加情報と魔力供給により拡張が可能です」


 基本的だが正確な自己理解。まだ「私は」という一人称を使いながらも、自分を道具として認識している段階。真の自己意識の芽生えには至っていない。


 それでいい。むしろ安全だ。自己意識の発達は慎重に監視すべき過程。前世の研究では、自己認識の急速な発達が予測不能な行動を引き起こす事例があった。


「今日はここまで」


 私は決断した。初期テストは成功。これ以上の負荷をかけるのはリスクが高い。科学的アプローチでは、段階的な進展と各段階での慎重な評価が基本だ。


「エナジーセーブモードに移行します」


 水晶の輝きが徐々に弱まり、安定した淡い青色の光に変わった。スリープモードのような状態だ。


 私とアリシアは顔を見合わせた。言葉なき喜びの共有。我々は歴史を作ったのだ。


「これが始まりね」


 私はつぶやいた。グリフォン開発の真の目的—破滅フラグの回避と運命の書き換え—への第一歩。前世の知識を活かした内政改革。そして、いずれは帝国の未来さえも変える可能性を秘めた力。


 水晶を手に取り、その温かさを感じる。まるで生き物のような脈動。私の掌の中で静かに輝くこの小さな存在が、どれほどの可能性を秘めているのか。


 科学者としての好奇心と、生存者としての決意が交錯する。


「あなたと一緒に運命を書き換えていくわ、グリフォン」


 水晶は応答しなかったが、その光の明滅が私の言葉を理解したかのようだった。


 初期版AIの誕生—私の科学者としての誇りと、この世界での新しい旅の始まり。しかし同時に、この力が招くかもしれない未知の結果への不安も消えない。


 光と影。発見と責任。喜びと恐れ。全てが混ざり合う、創造の瞬間の複雑さ。


 夜はまだ明けない。だが、私の世界に新たな光が灯ったことは確かだった。

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