4.2 クロスフィールド家の宮廷邸宅
クロスフィールド家の宮廷邸宅は、貴族区の北東、宮殿を望む高台に建っていた。門を潜ると、三層構造の白亜の建物が威厳を湛えて佇んでいる。領地の城とは違う、洗練された装飾と計算された美しさ。
「公爵様、お嬢様、お帰りなさいませ」
出迎えた執事長ヘンリーと従者たちが一斉に頭を下げる。
私は貴族令嬢としての完璧な微笑みを浮かべながら会釈を返した。「お世話になります」
内心では建物の構造を分析していた。前世の視点で見れば、この邸宅はセキュリティ、情報収集、社会的地位の誇示という三つの機能を巧妙に融合させた建築物だ。入口の結晶灯の配置は単なる照明ではなく、訪問者の魔力痕跡を記録するセンサーの役割も果たしている。壁の装飾模様は、音波を増幅し会話を運ぶ音響設計になっている。
父が執事長と今後の予定について話し合う間、私は自室へと案内された。それは三階の東側、宮殿を一望できる位置にあった。
「お嬢様、お部屋はお気に召しましたか?」
案内してくれた侍女のアリシアが小声で尋ねる。彼女は領地から同行した、数少ない信頼できる人物だ。
「ええ、申し分ないわ」
ドアを閉め、魔法結晶を手に取って部屋の隅々を照らす。「監視魔法はある?」
アリシアは首を横に振った。「昨日到着後、徹底的に調べました。現在この部屋に監視魔法はありません。ただし…」
「ただし?」
「壁の向こう、廊下側に聴音結晶が二つ。宮廷では標準的な配置です」
前世でいう盗聴器。私は頷き、首元のペンダントに触れた。「グリフォン、対策を」
ペンダントが青く光り、微かな波動が部屋中に広がった。
「聴音遮断フィールドを展開しました。向こうには沈黙か、無害な会話しか聞こえません」
技術的には、特定周波数の音波を相殺する波を発生させているだけ。前世の雑音キャンセリング技術のようなものだ。だが魔法という文脈では、音を遮る結界として機能する。
「これで安全ね」私はベッドに腰掛けた。「アリシア、宮廷の情報は?」
彼女は姿勢を正し、まるで軍の報告のように整然と話し始めた。「現在、春季宮廷シーズンは三週目に入っています。皇族では皇帝陛下は体調不良で公式行事には稀にしか現れず、エドガー皇太子が実質的な代理を務めています」
「トルマリン家の動向は?」
「エルナルド・トルマリン伯爵は皇太子の側近として頻繁に謁見室に出入りしています。また、『星天魔導研究会』と呼ばれる学術サークルを主宰し、若手貴族を多く集めています」
技術の神官団の表の顔か。私は思考を整理する。表向きは学術研究を装った組織。それが実際には何を目的としているのか。エルナルドの野望は何か。そして彼もまた転生者なのか—そう考えると、腹の底に冷たいものが沈殿するような感覚がある。
「リリア・フォスターという名前は?」
「はい、王立学院から特別枠で入学した平民出身の才女です。皇太子の庇護を受けており、宮廷でも評判です。茶色の髪に、穏やかな瞳の少女—」
「わかっている」と私は言葉を遮った。原作ヒロイン。そして私がいじめる設定の相手。だが、彼女の目に私が感じた違和感。あれは転生者特有の「知っている」という眼差しだった。
私はペンダントに語りかけた。「グリフォン、リリア・フォスターの情報を整理して」
「現在のデータポイントは不十分です」グリフォンの声が静かに答える。「家族背景、教育履歴、能力評価などの基本情報が欠落しています。ただし宮廷での立ち位置については、以下の仮説が立てられます」
ペンダントから青い光が立ち上り、空中に情報図が描かれる。人物関係図、時系列、確度評価。科学者だった前世の私にとって、このデータ可視化は心地よい懐かしさがある。
「皇太子との関係が鍵です」とグリフォンは続ける。「平民から王立学院、さらに宮廷というキャリアは、強力な後ろ盾なしには不可能。皇太子がそれを務めているなら、何らかの価値を見出している可能性が高い」
私は唇を噛んだ。「転生者としての価値かもしれない」
アリシアは戸惑いの表情を浮かべた。彼女には転生の話はしていない。グリフォンの正体すら、「特殊な予言魔法」としか説明していない。悪い気はするが、情報は必要に応じて小出しにするのが鉄則だ。
「アリシア、今後の宮廷行事の予定は?」
「明日は皇太子主催の庭園茶会。明後日は魔法省の新政策発表会。三日後に月見の舞踏会があります。そして五日後、フォンターナ伯爵家の晩餐会にお嬢様は招待されています」
私は頭の中で日程を整理した。各イベントでの情報収集の優先順位、接触すべき人物、収集したいデータ。すべてを効率的に進めるためのスケジュールを組み立てる。
「庭園茶会でリリアと接触する必要があるわ」
「危険では?」グリフォンが警告した。「彼女も貴女と同じリスク認識能力を持っている可能性があります」
「だからこそよ」私は答えた。「彼女が本当に転生者なら、私たち二人だけが共有する視点がある。それを確かめる必要がある」
アリシアは優雅に一礼し、退室の許可を求めてきた。「お休み前の準備をして参ります」
彼女が部屋を出ると、私は窓辺に歩み寄り、宮殿の方向を見つめた。七色に輝く塔群は、夜空に映えて神秘的な美しさを放っている。かつての私—佐倉葵—は実験室の無機質な世界を好んだ。だが今の私は、この美しさの中に科学の法則を見出す喜びを知っている。
「グリフォン、移植後の状態はどう?」
「すべての機能が正常に作動しています」彼の声は以前よりも澄んでいる。「ペンダント形状への移植は大成功です。携帯性と機能性のバランスが最適化され、魔力の共鳴効率も22.7%向上しました」
私は微笑んだ。何週間もの試行錯誤の末の成功。特に難しかったのは、複雑な多層魔導回路を小型化しながら、自己学習機能を損なわないようにすることだった。
「今後の優先事項は?」
「三つあります」ペンダントが脈打つように光る。「第一に宮廷内の権力構造の詳細マッピング。第二にエルナルドの『技術の神官団』の調査。第三にリリア・フォスターの転生者としての確認と、彼女の意図の把握」
私は窓に映る自分自身を見つめた。翡翠色の瞳と金色の巻き毛。前世の自分からは想像もできなかった美貌。この姿で、悪役令嬢の運命を書き換える。
「それが私たちの実験ね」
一人の科学者、一つのAI、そして未知の転生者たち。この宮廷という実験場で、どんな化学反応が起きるのか。未知への恐怖よりも、好奇心の方が強く私の胸を満たしている。
「明日から始まるわ」
空から降り注ぐ星の光の下、私は新たな実験の成功を静かに祈った。




