七 走って、転んで、飛んで
黒いワンピースに、長い髪が揺れる。
まるでのんびりとその辺を散歩するように、女は路地をてくてくと歩いて行く。
この辺りは戸建ての住宅が多い、この近所に暮らしているのか迷わずに進んでいく。
とはいうものの、のんびり歩いて行くので、うまく調整しながら尾行しないと相手を追い越してしまう。
二人で尾行しているので、一回ぐらいなら追い越してもやり過ごせばいいんだけど、二度、三度と繰り返すと怪しまれる。
特に楡松さんは、背が低いから印象に残りやすい。尾行に向かない彼女は、少し離れてバックアップをしているので、あたし一人がうまく尾けないと気づかれる。
最初のうちは人通りが多くて、なんとかなっていたけど、人通りが少なってくると厳しくなってきた。
もっと早く歩いて!
我ながら尾行対象に理不尽な怒りを向け始めたころ、女はやっと家の門をくぐった。
少しばかり通り過ぎて振り返るが、出てくる気配はない。
追いついてきた楡松さんと合流して、女の入った家の前に立った。
古民家っぽいような、土壁の家は周囲の家からも浮いていて悪目立ちしていた。
「お化け屋敷ですね」
家というより屋敷っぽいそこには、これまたこんもりとした大きな木が二本も生えていて、さぞかし近所迷惑なことだろうと思った。
「高崎」
楡松さんが、場違い感のある表札を声に出して読んだ。
「本名? なんですかね?」
「それは本人に聞くさ」
楡松さんはそう言うと、敷地に足を踏み入れた。
あたしも続いて、敷地に足を踏み入れると思わず叫んでしまった。
「か、金のなる木」
大きな木の陰になって見えなかったのか、外からは見えなかったが葉っぱのかわりにお札が生えた非常識な木が生えていた。
「なるほど、金のなる木だな」
楡松さんはそう言うと、足元に落ちている一万円札を拾った。
「見たまえ、例のニセ金だよ」
受け取ってみると、確かに例の番号が刻まれたお札だった。
「この辺だけでも十万円ぐらいはあるな」
「どれも、同じ番号ですよ」
あたしも、足元に落ちていた一万円を何枚か拾って番号を確かめる。
「決まりだな」
あたし達がそう頷きあった時、上から声が響いた。
「なにが決まりなの?」
見上げると、屋根に腰掛けた女が一人にっこりと笑っている。
ざっくり、ゆったりした黒いワンピースに腰まで伸びた長い髪。どこかのんびりした雰囲気があるが、この状況で笑っているのだから普通ではない。
「高崎……さんというのは君か?」
楡松さんが聞いた。
「その通り、ついでに言えば本名よ」
「なるほど」
楡松さんは頷くと言った。
「気がついていたのか?」
「どうしてここにたどり着いたか知らないけど、門の前で話していたのは全部聞いたわ」
高崎はニコニコしていたが、よく見ると目が笑っていない。
「どうせ、その手に握った金の件でしょ? 偽物か本物か分からないなら、それは本物よ」
今にも高笑いしそうな声で、高崎は続けた。
「本物なら捕まえられないでしょ?」
「素人判断はやめてください!」
あたしは高崎に向かって言った。
「管理されていない通貨は偽物で違法です!」
「だそうだ、任意だが署まで同行願おうか?」
楡松さんはそう言うと、高崎に降りてくるように手で合図した。
「降りたまえ」
「つまらないわ、そんな杓子定規な考え」
屋根の上に立ち上がると、首を振った。
「人生面白くするなら、冒険しないと退屈しちゃうわ」
「つまらなくて結構、公務員なんでね」
楡松さんは言い返した。
「本部に応援を呼ぼう、流石に二人には広すぎる」
そういわれて、あたしは本部に応援を呼ぼうと携帯を取り出した。が、次の瞬間に楡松さんに押し倒された。
何ですか急に、と言おうとしたが言えなかった。それは目の前を、黒塗りベンツが猛スピードで通り過ぎたからだ。
「怪我はないか?」
呆然とするあたしに、楡松さんが声をかける。
「あ、あの」
「良かった、無事だな」
「ひゃい」
あわわわ、早くどいてくれないと……理性が………。
「ゴルァ! この魔女が!」
突っ込んできたベンツから、ダミ声の男が転がりおりた。
ちょっといい雰囲気? だったのに何なのこのダミ声のおっさんは。
「野村さん、これはあまりに乱暴よ」
乱暴という割には、嬉しそうな声で高崎は言った。
「何のご用かしら?」
「サツが嗅ぎ回ってるぞ、バレてるじゃないか!」
もう、今まさにバレバレになった。
「申し訳ないが、我々がその警察だ。君がニセ金の依頼主かね?」
楡松さんは、立ち上がるとスーツのホコリをはらった。
「てめえ! 俺を売りやがったな!」
「勝手にペラペラ喋ってるだけじゃない?」
「うるせえ!」
そう怒鳴ると、男は拳銃を取り出した。
今度は、あたしが楡松さんを抱えて木の影に入った。
「署に連絡します」
「そうしてくれ、流石に手におえない」
そう言ってる側から、地鳴りが響いた。
「地震? あ、関根です。至急応援を、住所は……」
そう言いながら、振り返ったあたしは目を疑った。
あまりの現実感のなさに、思わずほっぺたをつねるぐらいには驚いた。
「夢じゃないですね」
「いずれにせよ、これは悪夢だよ」
目の前の大きな木が突然動き、太い枝を腕のように伸ばすと、怒鳴り続ける男を握り潰そうとしていたのだ。
「た、助けて」
男は先ほどまでの威勢はどこへやら、か細い声で助けを求めていた。
「いい暇つぶしになったわ」
声のする方を見ると、高崎はホウキに乗って空に浮かんでいた。
「また会いましょう」
そう言うと、高崎はホウキに乗って笑いながらどこかに飛び去っていった。