三 あたしとあんたと万札と
「二人そろって不景気な顔ね」
七海はグラスを置きながらニヤニヤと笑った。
捜査開始から一週間、あたしたちの聞き込みの範囲はとなり町まで広がった。なのに、まったくゼンゼン犯人は尻尾を見せる気配すら見せない。
「疲れた」
「あたしもです」
あたしたちは、行きつけのバー『プラム』に着くなりへたり込むように椅子に腰かけた。
「なに? また事件で手間取ってるの?」
気を利かせた店主の七海が、水の入ったグラスを置いた。
気をつかってくれるなんて、珍しい。
「ありがと、手間取るっていうか、全然ダメ」
「犯人の影も見えやしない」
あたしたちは口々に愚痴をこぼした。
「ダメねえ」
「ちょっと、少しは労ってよ」
いきなりダメ出しされて、さすがのあたしも拗ねる。
「ダメ。毎日、お札が本物かどうか見分ける自営業の身にもなって」
七海はたしなめるように言うと、グラスを置いた。
「で、注文は? いつものでいいの?」
「はーい、いつもの」
「右に同じく」
透明なグラッパと、琥珀色のバーボンがあたしたちの前の置かれた。
「ほんと、迷惑な話」
七海も自分のグラスを用意すると、あたしたちの前で飲み始めた。
「苦情なら苦情係に言ってくれる?」
あたしはグラッパを飲みながら答えた。まったく、ブドウの香りを楽しむ余裕もないじゃない。
「ケーサツに文句はないの、言ってもしょうがないし」
七海は、肩をすくめるとタバコに火を着けた。
「信用してないわけじゃないの、例のニセ金が良く出来すぎってこと」
「本物と見分けがつかないよね、七海はどうやってるの?」
ニセ金を見破るコツがあるなら、知っておきたい。
あたしは、素朴な疑問を七海に聞いてみた。
「勘よ、勘」
七海はドヤ顔で、期待外れなことを答えた。
期待して損した。
「ピーンって来るのよね、札が光って見える。そう、そんな感じ」
「全然参考にならんね」
楡松さんは面白くなさそうな顔をしながら、バーボンを一口飲んだ。
「結局は、番号を確認するしかないのか」
「う、あたしもう目が限界ですよー」
思い出したくない紙幣番号がまぶたにちらつき、あたしはカウンターに突っ伏した。
「二人とも大変ね」
七海は人ごとのように——実際に人ごとだけど——言った。
「大変どころじゃないの、もう、家帰っても何にもする気が起きないぐらいなの」
「なら明希にやってもらえば、家事」
七海から急に指名されて、楡松さんはギョッとした顔をあげた。
「いや、私も疲れてるし、最近は少し手伝って……お手伝いしているし。ねえ?」
「え、ええ」
あたしにもそんな考えはなかったので、思わずキョドった。
「あらあら。あんた達、やっぱり付き合ってるのね」
「違うから、まだ違うから」
「そう、まだ違うぞ」
慌ててあたしと楡松さんは、七海の言葉を否定する。
「ちょっと、逆に聞くけどまだ付き合ってないの?」
「ちょっと待って、なんで付き合うことが前提なの?」
「だって、一緒に暮らしてるじゃない?」
「ど、同居ぐらいするだろ」
動揺を隠すように、楡松さんはグラスに口をつけた。
「ルームシェア、ルームシェアだよ」
あたしも、言い訳がましく付け加える。
「家賃だって、入れてもらうんだから」
なんか、ずっと一緒に暮らす前提だぞ。
というか、最初は仕方なく一緒に暮らしてたけど、いまさら楡松さんに出て行ってもらうのもなんか嫌だな。
あたしは、そっと楡松さんを顔を眺めた。
いつの間にか楡松さんのグラスは、三回も変えられていた。美少女のようなその目元に赤みがさして、思わず見とれてしまった。
カワイイ。
「大体、いい女が一つ屋根の下で暮らして、何もないわけないじゃない?」
七海の暴言で、あたしは我に帰る。
「それはセクハラじゃない?」
「だって、ここは出会いの場よ」
「開き直ったな」
確かにここ『プラム』は、女性が好きな女性のためのバー。メンドウな世間からちょっと離れて出会いを求める、それがここだ。
とはいえ、それ言っちゃダメだろ。
たまには、言ってやんないと。
「あのさ……」
「お客さん、そのお金は受け取れないよ」
あたしが、七海に抗議しかけたちょうどそのタイミングで、当の本人がお会計をしているお客さんに声をかけた。
「なんなの?」
カウンターを出て、ズカズカと歩き出した七海にあたしは声をかけた。
「あんた達も来なさいよ、例のニセ金よアレ」
「よくわかったな」
楡松さんがそう言って、困惑している女性に近寄った。
女性しかいないんだけどね。
困惑している女性と、そのパートナーらしき女性。
見たところ社会に出て二、三年のOLっぽい。お揃いのブランドのバッグを持っていて、そーゆーのいいなあって感じの、お似合いの二人。
困惑している女性がセミロングぐらい、そのパートナーがお団子にしてるけど、あれは腰ぐらいまでのロングね。
刑事の勘では。
「間違いない、例のやつだ」
セミロングさんからお札を受け取った楡松さんが、あたしにそれを渡した。
「例の番号ですね」
受け取ったあたしも、ニセ金の番号を確認した。しかし、あらためて手に持ってみても全然違和感がない。透かしにエンボス、さらにはホログラムまであった。
「これはどこで?」
「銀行で……今日下ろしたばかりなのに……」
急にニセ金を指摘されて、セミロングさんは泣きそうな顔でオロオロするばかりだ。後ろにいたお団子さんが、勇気づけるようにそっ肩を抱き寄せる。
「嘘じゃありません、あたしも一緒に銀行に行きました」
「疑っていませんよ、えっと、どうしましょう?」
正直に警官の身分を告げたものか、あたしは振り返って楡松さんを見た。
「お嬢さん方、名刺をお渡ししておこう」
楡松さんはそう言いながら、二人に名刺を差し出した。
「明日、銀行で下ろしたお札が、偽物のようだと言って私に相談に来てもらおう」
二人とも、楡松さんの名刺を見て目を丸くしている。
刑事の名刺だって珍しいのに、本人の見た目はともかく『警部』の名刺だ。驚かない方が難しいだろう。
「大丈夫、どこであったかは秘密にしておくさ」
キザに言い切ると、楡松さんは意外とカッコよく見えた。
「え、ええ」
そう言われても、二人は顔を見合わせるだけで半身半疑のようだ
あれ? カッコよく見えたの、もしかしてあたしだけ?
「とにかく、この人たちは刑事さんだから。疑ってもいないし、秘密厳守だから明日警察に行ってね」
七海に言われて、二人はようやく納得したようだ。
「分りました」
「よろしくお願いします」
二人は口々に七海に礼を言うと、帰って行った。
「あんた達も、早く帰って寝たら?」
七海に言われるまでもなく、あたし達はすごすごと家に帰ったのだった。
次回は明日(12/26)8時公開予定です。
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