別れ
そうして穏やかに日々が流れ、とうとう明日はバルドさんとお別れの日となった。
バルドさんは第二騎士団の半分の騎士達を連れて国境近くのトルッカ砦へ遠征に行き、王城に戻ったらそのままガルオス侯爵家の領地に戻ることになっていた。
そのため、その前夜に下宿屋のみんなでバルドさんのお別れ会を開くことになった。
場所は私の部屋だ。私が部屋を飾り付け、料理はみんなで持ち寄りだ。
誰よりもご馳走を作って来たのはバルドさんで、みんなが大笑いした。
「何で送られる主役が一番料理を作ってくるのさ」
アーリヤさんが、呆れて言った。
「いや、最後だからみんなに料理を振る舞いたいって思ったら、この量になってたんだよ。まあ、食ってくれ」
バルドさんが、ニカリと笑ってテーブルいっぱいに料理を並べていった。
「バルド兄ちゃん、すげえ。どれも美味そう」
「おう、ジャックル。美味いからいっぱい食えよ」
「やったー」
ジャックル君は素直に嬉しそうだ。
「僕は、これ。じゃ〜ん、お酒を持って来たよ」
スミスさんが、二本のお酒を両手で振った。
「お、この酒強いけど美味いんだよな」
「そうそう。じゃんじゃん飲もう」
「おう」
男二人で楽しそうだ。
「あたしは、バルドの好物のミートパイを持って来てやったよ」
マダム・リンダがニンマリ笑った。
「やった。リンダ婆のミートパイは母さんと同じ味で好きなんだよな」
バルドさんはとても嬉しそうに言った。
「あたしがあんたの母さんに教えたんだから、そりゃおんなじに決まってるだろ」
私はその言葉に首を傾げた。
そういえば、バルドさんのお母様とマダム・リンダは知り合いなのだろうか?
「あの、マダム・リンダとバルドさんのお母様はどういうご関係なんですか?」
「ああ、話してなかったか。うちの母さんとリンダ婆は血が繋がらない親子なんだ」
「え!?」
他の人は特に驚いていないので、みんな知っていたようだ。
「母さんは早くに両親を事故で亡くして、隣に住んでたリンダ婆夫婦が母さんを育ててくれたんだ。で、年頃になって、ガルオス侯爵家のメイドになったんだけど俺ができて、父上から家とこの下宿屋をもらったんだ。で、母さんは育ててもらったお礼にってリンダ婆にこの下宿屋を譲ったんだ」
「あたしゃ預かってるだけだよ」
マダム・リンダがそっぽを向いて答えた。
「はいはい。じゃあ、これからもよろしくな」
バルドさんが、笑いながら言った。
マダム・リンダは、バルドさんにとっては血は繋がらないおばあちゃんなのだ。
確かに、二人には祖母と孫という家族のような繋がりを感じた。
「バルド兄ちゃん、早く食べたい」
「そうだな」
私達は、ワイワイと料理を食べた。
そして少しした頃、いきなりスミスさんが立ち上がった。
「報告がありま〜す!実は、私スミスとアーリヤが結婚することになりました〜」
「ヒョッヒョッヒョッ!また、妄想かい?」
マダム・リンダが爆笑していると、アーリヤさんが気まずげにそっぽを向いた。
「マダム・リンダ……それが本当さね」
「そ!スミス兄ちゃん、父ちゃんになった!」
一瞬の静寂の後、大騒ぎになった。
「ま、粘り負けさね」
そう言ったアーリヤさんの顔も、スミスさんもジャックル君も幸せそうだった。
「おめでとうございます」
「ヒョッヒョッヒョッ、これはたまげた。おめでとう」
「ありがとう。今は娼婦も辞めて、新しい就職先を探してるんだ」
私はそれを聞いた瞬間、ピッと手を挙げた。
「あ!あの!来年私がアルロニア帝国に行くまで、食事を作るお仕事をお願いできませんか?その後の就職先も、うちの実家の商会を紹介します。ちなみにお給金はこれくらいで」
「え!そんなにいいのかい?」
「はい!是非!」
ユリア様のアルロニア帝国への輿入れの準備で、これからどんどん忙しくなるのだそうだ。
自分で休みの日に作り置きするか、日持ちする食材を買い込むかしようと思っていたのだが、頼めるのならお願いしたい。
「うん、助かる。ジャックルもいるし、近いのはありがたいね」
「こちらこそ、助かります」
「うんうん。そのうち赤ちゃんもできるかもしれないしね」
スミスさんがニコニコとアーリヤさんの肩を抱くと、アーリヤさんが真っ赤な顔をして思い切り肘鉄した。
「父ちゃん……そういうの、みんなの前で言ったら母ちゃん照れて駄目なんだぞ?」
ジャックル君が呆れて言った。
「ま、とりあえず嬢ちゃんの食事問題が解決してよかった。スミス、アーリヤ、ジャックル、おめでとう!」
バルドさんがニカリと笑った。
その後も、みんなでワイワイと料理を食べ、お酒を楽しんだ。
それはマダム・リンダの誕生会の時と同じように楽しかった。
みんなで明るくバルドさんを送り出そうとする温かな優しさを感じた。
しかし、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
ジャックル君が小さなあくびをしたのをきっかけに、お開きとなった。
みんな、本当にあっさりとまた明日というように帰って行った。それは、バルドさんも望んだ別れ方だろう。
「バルドさん、明日は早いのですからもう休んでください。片付けは、私がしますから」
「あとちょっとだから」
結局、バルドさんは最後まで一緒に片付けてしまった。
「すみません。今日の主役なのに……」
「いや……楽しかったな」
バルドさんがしみじみと言った。
「はい……」
本当に楽しかった。
バルドさんの隣に住み始めてから、ずっと楽しかった。幸せだった。
「バルドさん。お体に気をつけて」
「嬢ちゃんもな……。シュリガンさんと幸せにな」
ん?なぜそこにシュリガンさん?
「あの、どうしてシュリガンさんと?」
「へ?だって、シュリガンさんと結婚するんだろ?」
びっくりな言葉を聞いた。
「しませんよ?」
「え?だって、答えが出たって言ってたろ?シュリガンさんと結婚を決めたとばかり思ってた」
なるほど。そこで勘違いをされてしまったようだ。
「シュリガンさんにはお断りしました」
「はあ!?何でだ!?あんなにいい男他にいないぞ!?」
私は、他ならないバルドさんに言われて少しムッとした。
「私は、ユリア様の専属侍女の道を選んだんです。バルドさんこそ、ミーア様とお幸せに!」
すると、今度はバルドさんが首を傾げた。
「なんでミーアと幸せにならなきゃならないんだ?」
「え?ミーア様と婚約されたのではないのですか?」
それとも、グラビス様が言っていたように婚約したという話はミーア様の嘘だったのだろうか。
「以前ホログリム子爵家からミーアとの婚約をお願いされたらしいが、断ったと父上が言ってたぞ。ミーアでは侯爵夫人は無理だろう。それに……」
そこで言葉を切り、バルドさんは一瞬複雑そうな表情をした。
しかし、その先の言葉を続けることはなかった。
そうか……ミーア様と結婚するわけではないのか。
とはいえ、近いうちにバルドさんが婚約をすることは変わらないのだが、それが少しでも先に伸びたのは未練がましいが嬉しかった。
「バルドさん、今までありがとうございました」
「うん。俺も今までありがとう」
バルドさんが、私に握手の手を差し出した。
ああ、これで最後なんだ。
明日からバルドさんはもういないのだ……。
私は、そっとバルドさんの手を握った。
大きく分厚い肉刺だらけの優しい手。
私は、バルドさんの青空のような瞳を見つめた。
青空の色は大嫌いだった。でも、初めて見た時からバルドさんの青空色の瞳は綺麗だと思った。
今は、一番好きな色だ。
「……最後にセシリアと呼んでくれませんか?」
バルドさんは、いつも私のことを嬢ちゃんと呼んでいた。最後に名前を呼んで欲しかった。
しかし、バルドさんは躊躇するように唇を結んだ。
「お願いします」
でも、私はどうしても呼んで欲しかった。
強くバルドさんを見つめた。
「セシリア……」
掠れた声が、私の名前を呼んだ。
胸が震えた。
「セシリア」
「はい」
その瞬間、バルドさんが私の手を引き、きつく抱きしめた。
「セシリア……!」
何度も私の名前を呼んだ。その声は熱を孕み、私の胸は焦がされるような心地がした。
私もバルドさんの背に手を回し、しがみついた。
耳を当てたバルドさんの胸はドクドクと鼓動が速く、それは私の鼓動も同じだった。
「一緒に……行くか?」
苦しそうなバルドさんの言葉に、私は頷きたかった。
でも、駄目だ。バルドさんの人生と一緒には行けない。
私は、ずっとユリア様の専属侍女としてついて行くと決めたのだ。それは、もう揺るぎない根幹としてあった。
私には、私が選んだ道がある。
「私は、行きません」
声が震えた。しかし、はっきりと答えた。
バルドさんが好きだ。バルドさんを愛している。いつの間にか恋をしていた。
でも、私達の道はもう交わらない。
コチコチと時計の音だけが部屋に響いた。
バルドさんが、深く息を吐いた。そして、笑った。
「クックックッ……それでこそ嬢ちゃんだ。すまねぇ、冗談だ。気にしないでくれ」
バルドさんが、ゆっくりと私の体を離した。
「嬢ちゃん、さよならだ。元気でな」
もうバルドさんの顔も声も、いつも通りに戻っていた。
本当に、これが最後なのだと思った。
「はい。バルドさんもどうかお元気で……」
だから、私は微笑んだ。
泣き顔なんて最後の記憶に残したくない。
笑った顔を覚えていてほしかった……。
これで第七章おしまいです。
『幕間 ミーア・ホログリム』を挟んで『第八章 私の選んだ道』へ入ります!
このまま本当にバルドとの未来はないのでしょうか!?
最後までお付き合いいただけましたら嬉しいです。
明日は一日お休みして、明後日から投稿開始します。
よろしくお願いします(^^)