雑巾を絞る?
王城では、必ずメイドの仕事を経験してから侍女になる流れだ。
他の国では違うようだが、何代か前のお妃様が何事も経験が大事だと定められた。
メイドを経験することにより、下々の気持ちや仕事の大変さを知りましょうというのが発端らしい。
『驕ることなかれ。謙虚であれ。公平であれ』
王城の侍女に求められる資質だ。
そのため、どんなに高位の貴族でもメイドの仕事から始め、昇格試験を受けて侍女に上がるのだ。
まあ、さすがに平民は侍女にはなれないが。
メイドの仕事は、王城を美しく清潔に保つことが主な仕事だ。
そして、メイド班長は十人のメイドをまとめることと、新人メイドの指導も仕事に加わる。
私は、勤めてすぐにメイド班長となった。まだ十六歳だった。
あの当時は、特に個性豊かな貴族令嬢が揃っていて、次々とメイド班長を辞退してしまったからだ。
気づいたらもう四年だ。月日の経つのは早い。
高位の貴族令嬢は、侍女を目指しているのでメイドに留まることはほとんどない。
なので、必然的に低位の貴族か平民がメイド班長になるのだが、高位の貴族令嬢の上の立場になるのは、なかなか難しい。
大抵の貴族令嬢は、掃除なんてもちろんやったことがない。
しかし、侍女になるためには経験しなくてはならないことだ。
正直、貴族令嬢の指導は大変だ。
今まで傅かれるのが当たり前の、貴族令嬢ばかりなのだ。
男爵令嬢ですら侍女にはなりたいが、平民の私の指導は受けたくないと駄々をこねた。
まずは、侍女になるために我慢しましょうから始まって、お話を聞きましょう、言われたことをやってみましょう、できないことは教わりましょうと指導していくようなので、とにかく指導する以前の手間がかかった。
もちろん、どうしても嫌だと辞めてしまう貴族令嬢も過去多数いた。
それでも侍女試験を受けられるまで鍛えるのがメイド班長の仕事の一つである。
この試練を超えれば、あとは貴族令嬢が当たり前に身に付けている知識や礼儀作法が活かせるのだ。
夢を持って侍女を目指す貴族令嬢達が、無事に侍女試験を受けられるまで指導することはやりがいもあり、応援したいといつも思って指導してきた。
キャサリン様は、修道院に入られるのが嫌で王城に勤めることにしたのだろうか?
それとも、侯爵家の方に侍女を目指すように言われたのだろうか?
もし、ほとぼりが冷めるまでのつもりなら、そこまで厳しく指導をする必要がない。
とは言え、お給金をいただくのだから、全く仕事をしないというわけにもいかない。
まずは確認するべきだろう。
「キャサリン様は、侍女を目指されるのでしょうか?」
「もっちろんですわ!私は侍女に絶対なりたいのですわ!」
キャサリン様は、野望に満ちたギラギラとした瞳で私を見た。
その瞳に、私の闘志も燃え上がる。
いいでしょう。やる気を持ってメイドを勤めるなら私も全力で応えましょう。
「わかりました。全力で指導いたします」
「よろしくお願いしますわ!」
私とキャサリン様はガッチリと握手した。
「みなさん、今日の私達の担当は王太子妃宮です。がんばりましょう」
「はい!」
各々私の指示に従い、担当の場所を掃除を始める。
私はキャサリン様に付き、徹底的にマンツーマン指導だ。
「キャサリン様、まずは雑巾を絞ってください」
「はい!」
キャサリン様がキラキラした瞳で返事をした。
「で、雑巾とは何でしょう?」
彼女はワクワクと私を見つめた。
「…………」
おかしい。もう三日目のはずだが?何も教わってなかったのだろうか?
いや、大丈夫。貴族令嬢とはこんなものだ。
ちゃんと、話を聞く、わからないことを尋ねるができるキャサリン様は、優秀なくらいだ。
「雑巾とは、この布です」
「わかりましたわ!」
「絞ることはわかりますか?」
多分、雑巾がわからなければ無理だろうが、まずは確認する。
「わかりますわ」
キャサリン様が胸を張って答えた。
意外なことに雑巾を知らないキャサリン様は、絞る行為は知っていた。
「ではまず雑巾を絞ってください」
「この布はどちらに絞りますの?」
私は首を傾げる。どちらにって木桶の他にどこで絞るのだろう?
「そこの木桶です」
何となく不安を覚え、キャサリン様を見守った。
キャサリン様は座り込み木桶の持ち手に雑巾を器用に結んだ。
複雑な結び方のようで、まるで牡丹の花のようにとても美しいが、何をしているのだろう?
「しぼりましたわ」
「それはしばるです」
私は冷静につっこんだ。
わかった。彼女は最初に見本を見せた方がよいタイプだ。
私は、一つ一つ確認しながら雑巾がけを教えていく。
真剣な顔で、キャサリンは私の説明を聞いている。
高位の貴族令嬢なのに一生懸命なその姿に、私は好感を持った。
「では、こちら側からキャサリン様は雑巾で床を磨いてください」
私は雑巾に両手をのせ、お尻を上げ一気にかけ始めた。
「は、速い」
「初めは無理せずに、ゆっくりで大丈夫です」
「わかりましたわ!」
そして、雑巾をかけようとしたキャサリンは一気に顔から崩れた。
「キャサリン様!大丈夫ですか!?」
「イタタタ……大丈夫ですわ」
そう勢いよく顔を上げたキャサリン様の鼻から、鼻血がツーと垂れた。
「ああ、鼻血が!」
私は慌ててハンカチをキャサリンの鼻に当てた。
「止まるまで、そちらで休んでいてください」
「うう……申し訳ありません」
私は一気に雑巾をかけ始めた。
「何のお役にも立たず申し訳ありませんわ」
キャサリン様がしょんぼりと肩を落とした。
結局、午前中の仕事は休んでいるだけで終わってしまった。
「大丈夫です。また次からがんばりましょう」
他のメイド達は担当の掃除を終わらせ、もう休憩に入っている。
「片付けは私がやっておくので、キャサリン様は休憩に入ってください」
「いえ、それくらいは私がやりますわ」
「駄目です!お待ちください!」
「お任せくださいませ」
キャサリン様は私が制止するのも聞かずに、水のたっぷり入った木桶をサッと持ち上げた。
しかし、やる気は満点でも高位の貴族令嬢だ。
重い物など持ったこともない嫋やかな細腕だ。
「あ」
すぐにバランスを崩し、中の水をぶちまけた。
雑巾がけ用の水には特殊な洗剤が入っていてぬめりがある水だ。
乾いたら艶々になって綺麗なのだが、濡れた状態は滑りやすかった。
そこに慌てたキャサリン様が、勢いよく足を踏み出してしまった。
「キャ、キャア〜〜〜」
靴によく滑る水がついた状態で、結構なスピードでツーッと滑り出してしまった。
「キャサリン様!」
私は慌てて後を追いかけるが、キャサリン様が慌てれば慌てるほどスピードがあがっていく。
そしてあわや壁にぶつかるという時、サッと現れた方がキャサリン様を抱き留めた。
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