マダム・リンダ
「おばあちゃん、いってきます」
「気をつけるんだよ」
私が家を出て三日。郊外のヨンドラ村に住んでいる、おばあちゃんのお家に住まわせてもらっていた。
おばあちゃんのお家から王城までは徒歩で二時間、馬車で一時間でちょっと遠い。
私は三時に起きて、まだ薄暗い中を王都の馬車の乗り場までテクテク歩く。
おばあちゃんには寝ていてとお願いしているのだが、毎朝私より早く起きて朝食を準備して、お見送りしてくれている。
本当にありがたい。
しかし、これ以上迷惑はかけられない。
早く下宿屋を探さなくてはいけない。
しかし、女の一人暮らしだ。
治安を考えて下宿屋を探すと高いし、安いと思うと治安が悪かったりと、なかなか良い物件が見つからないでいた。
私はやっと馬車に乗り込むと、その揺れが気持ち良く、気づいたら眠ってしまっていた。
「嬢ちゃん、起きろ。あとちょっとで着くぞ」
私は優しく声をかけられ、ゆっくりと瞼を開けた。
温かい何かにもたれていて心地いい。
「大丈夫か?」
すぐ近くからバルドさんの声がする?
数度瞬きをすると、ぼやけていた視力がはっきりしてきて、バルドさんの綺麗な青い瞳と目が合った。
え?
私はその近さに飛び上がった。
「ヒャア!」
その拍子にかけられていた、バルドさんの上着が落ちた。
「すみません」
私は慌てて拾って、彼に渡した。
「気にするな」
バルドさんは、ニカリと笑って上着を着た。
「よく寝ていたけど疲れているのか?」
「あ、いえ。朝三時起きなので眠いだけです」
「は?三時?嬢ちゃんはここ数日、いつもと違う所から馬車に乗って来ているが、もう旦那と暮らし始めてるのか?」
え?旦那?誰のこと?
私はよくわからずコテリと首を傾げたが、あ!と思い出した。
そうだった!彼には結婚して辞めると話していたのだ。
なんてことだろう。
メイド長のカレン様にはちゃんと話したのに、バルドさんには言うのをすっかり忘れていた。
あの日泣いてしまった私を、優しい彼はさぞ心配していただろう。
「すみません!」
私はアワアワと慌てた。本当になんて不義理なことをしてしまったのやら。
「よく考えた結果、私の人生に彼は必要ないと判断しましたので、婚約破棄したんです」
「へ?」
「私は、今の仕事の道を選びました」
私は、胸を張って宣言した。
「そっかぁ。はぁ〜〜〜」
なぜか、バルドさんは深く深くため息を吐いた。
「えっと、ご心配おかけしました」
「いや、大丈夫だ。うん。いい顔になったな。よかった」
バルドさんは私の顔を見つめ、安心したように微笑んだ。
その青空のような瞳がとても優しくて、私はドキリとした。
そうだった。彼はおじさんではなくで若い青年だった。
私は急に恥ずかしくなり、彼から慌てて離れた。
「あ、あの、私寄りかかって寝ていたようで、ご迷惑をおかけして重ね重ねすみません」
「気にするな。でも、三時起きって家から通っているんじゃないのか?」
「その、婚約破棄の一件で家を追い出されまして」
「はあ!?」
私がその経緯を話すと、バルドさんは渋い顔をした。
「で、おばあちゃんちはヨンドラ村だと?」
「はい」
「この馬鹿!女が一人、そんな暗い中歩いて危ないだろうが!」
バルドさんに、初めて怒鳴られてびっくりした。
「私なんか襲う人なんていませんよ?あ、物盗りとか?確かにそれは危険ですね」
平和な村だから失念していた。
悪い人はどこにでもいるものだ。
バルドさんの顔がものすごく怖い。
でも、それだけ心配してくれているのだと思うと、何やら心がムズムズした。
「はぁ〜〜〜」
また深いため息を吐かれてしまった。
なぜか困った人を見るような目で見られる。
「もう王城に着いちまった。嬢ちゃん、帰る時間は?」
「五時です」
もう少し仕事をしていきたいし、勉強会にも出たいが、今は下宿屋探しが先決だ。
「帰りこの前の裏庭で待っていてくれ」
「え?」
バルドさんは馬車から降りながらそう言うと、そのまま走って行ってしまった。
周りを見ると、私達が最後だったようだ。
急がないとまずい。
私も返事ができないまま、メイドの支度室に駆け出した。
◆
「すみません。お待たせしました」
仕事が終わり、急いで約束した裏庭に行くと、もうバルドさんは来ていた。
「いや、俺も今来たところだ」
そうニカリと笑うと、バルドさんはベンチから立ち上がった。
「よし、じゃあ行くぞ」
私は訳がわからず、目をパチクリさせながら、バルドさんのあとをついて行った。
着いたところは、三階建ての蔦が壁に這うこじんまりとした古い建物だった。
「おーい、リンダ婆いるか?」
「あいよ」
しわがれた声と共に、背中が曲がった小さなお婆さんが出て来た。
「この子かい?」
「ああ」
小さなお婆さんは、眼光鋭く私をジロリと見た。
「初めまして、お婆さん。私はセシリアと申します」
私はよく状況が把握できないが、挨拶をした。
「リンダだよ」
「え?」
「あたしのことはマダム・リンダとお呼び」
「は、はい。マダム・リンダ」
私は慌てて返事をした。
「あたしを見てどう思う?」
私は質問の意図がわからないが、思った通りに答えた。
「お婆さんだと思います」
だって、初対面だ。他に思うことはない。
「よし、合格!あたしは変に媚を売る奴は信用しないことにしているんだ。三階の部屋でいいね」
「いや、一階の部屋が空いてるだろ?」
「三階の部屋だよ。嫌なら他探しな」
一階?三階?
バルドさんは困ったように、バリバリと頭をかいた。
「あの?どういうことでしょうか?」
「ん?ああ、すまない。ここは下宿屋なんだ」
「下宿屋?」
「ああ。嬢ちゃん下宿屋探してるだろ?ここどうかと思って」
ここは王城に向かう馬車乗り場も近いし、周りのお店も賑わっていて治安も良さそうだ。
「ちなみにお値段は?」
「五千ディラだ」
治安がこれだけ良い場所で五千ディラ!?
「安すぎませんか?」
「リンダ婆が趣味でやってる下宿屋だからな。部屋も見てみるか?」
「はい!是非」
中に入ると、古いながらも綺麗に掃除されていた。
ギシギシ鳴る階段を三階まで登ると、二部屋並んでいた。
「この部屋だ」
バルドさんが開けてくれた部屋に入ると、狭い部屋ではあるが、ベッドや本棚、机も備えられていてキッチンやバス、トイレもちゃんと付いている。
日当たりも良い。
「本当にここ五千ディラですか?お化けが出るとか?」
いわくつきの部屋なのだろうか?
「失礼だね。誰が妖怪だい」
「いや、リンダ婆のことじゃないから」
「もしお化けが出るとしても、ぜひこの部屋をお借りしたいです」
お化けと同居だとしても、こんなに安くていい物件はない。
「ああ、お化けはいないが」
バルドさんが、気まずげに視線をさまよわせた。
「ヒョッヒョッヒョッ、この髭もじゃが出るさね」
へ?
私はキョトンとバルドさんを見た。
「俺の部屋が隣なんだ。おい、リンダ婆。やっぱり一階は駄目なのか?」
マダム・リンダはシワシワの指をチッチッチッと横に振り、ニヤリと笑った。
「この部屋以外は貸さないよ」
「う〜ん、嬢ちゃん。どうする?」
私の隣の部屋がバルドさん?
何か困ることがあるのだろうか?
「全く問題ありませんが、逆にバルドさんは何か困りますか?」
知り合いが隣は気まずいとか?あ、恋人に誤解される!?いや、イチャイチャしづらいのか!
確かに、お互い気まずいかもしれない。
「気が利かなくてすみません。恋人を部屋にお連れする時は、私はおばあちゃんちに行くので遠慮なく言ってください」
「ヒョッヒョッヒョッ!じゃあ、バルドのイチャイチャタイムは、あたしの部屋に来るかい?」
それはありがたい。
「はい。よろしくお願いします」
マダム・リンダが、バンバンとバルドさんの背中を叩いて大ウケした。
「いや、違うから!恋人なんかいないから!」
ん?では何が問題なのだろう?
私がコテリと首を傾げると、バルドさんは大きくため息を吐いた。
「嬢ちゃんが気にしないなら俺も問題ない。じゃあ、契約で大丈夫か?」
「はい。お願いします」
こんないい物件を逃せない。私は即契約書にサインした。
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