礼儀作法の講師と護衛騎士 前編
侍女試験は三ヶ月後とのことだった。
それまでに、私は伯爵家レベル以上の礼儀作法を身につけなくてはならない。
侍女試験までのの三ヶ月間、希望者には個別で礼儀作法の講師の指導を受けられるので、私も申し込んだ。
侍女試験は、妨害行為を受けることもあるらしいので護衛騎士がつけられるそうだ。
騎士団は高位の貴族で構成される第一騎士団と、低位の貴族と庶子や平民から構成される第二騎士団の二つがある。
第一騎士団は近衞騎士として王族や王城を守るのに対して、第二騎士団はそれ以外を守る騎士団だ。
第一騎士団はみな級を与えられるが、第二騎士団は初めは級外からスタートする。
護衛騎士には、第二騎士団の級外の騎士がつけられるそうだ。
騎士にとっては昇給試験で、対象者を守りきれれば階級が上がり、級外から五級になることができるのだ。
◆
侍女長のハヌス・ダフロネ様から礼儀作法の講師と護衛騎士が決まったと連絡を受け、私は侍女長室を訪ねた。
「あなたが侍女試験を受ける平民か」
ダフロネ様は、背筋の伸びた針金のように細い体に、白髪をきっちり結い上げた、細面に細い釣り上がった眉の神経質そうな女性だった。
元は王太后殿下の侍女だったそうだ。
「はい。セシリアと申します」
「ああ、別に名前はいい。どうせ今回限りでしょうから。講師は、ナウリー・ドマネス伯爵夫人が指導にあたる。王太后殿下が直々にお選びくださったのだから感謝するように」
ソファに座っている、柔らかな緑色の髪に、クリクリとした焦茶色の瞳の、四十代くらいの女性がニコニコと優しげに微笑んだ。
「ナウリー・ドマネスですわ。平民なのに、礼儀作法を覚えようなんて素晴らしいですね。犬や猫に教えるつもりで、がんばりますわ」
その優しげに柔らかな口調で失礼な物言いをするドマネス様に、心の中で眉を顰めたが、そのまま表情には出さずお辞儀をした。
「プッ。これは先が長そうですわね」
吹き出すドマネス様の向こうで、ダフロネ様が扇子で口元を隠してクスクス笑った。
自分では、どこが悪かったのかがわからない。
「こちらは、護衛騎士として第二騎士団から派遣された、ラウンドア子爵家次男ニルスだ」
「チッ」
こちらは舌打ちして、私をチラと見るだけだ。
赤茶色の短髪に、丸顔に団子鼻で、小さな暗い緑色の瞳の、不機嫌丸出しのニキビ面の青年だった。騎士のはずだが、少しお腹が出ていて、あまり強そうには見えなかった。
明らかに、平民の護衛に不満があるのが、丸わかりだ。
ああ、これがエリザベート王太子妃殿下が懸念されていたことか。
侍女試験は、王太后殿下と王妃殿下の管轄なのだそうだ。
いかに王太子妃といえど、口出しができないと悔しげに言っていた。
王妃殿下は揉め事を嫌い、王太后殿下にほとんど逆らわないそうだ。
もしかしたら、嫌がらせがあるかもしれないと事前に言われていた。
明らかに私を平民と蔑む二人に、心の中で嘆息した。
しょうがない。覚悟して侍女試験に挑戦すると決めたのだ。
「どうぞよろしくお願いします」
私は深々と二人に頭を下げた。
◆
私がキャサリン様に侍女試験のことを伝えると、初めは想像通り、エリザベート王太子妃殿下にお会いしてずるい〜と大騒ぎだった。
しかし、彼女は応援します!すぐにあとを追います!と今まで以上にやる気をみなぎらせたのだった。
私も何としても残り三ヶ月で一通りのメイドの仕事を叩き込むことを決意したのだが……。
護衛騎士のニルス・ラウンドア様は、困ったことにうるさかった。
「おい!平民!何をキャスタール様にやらせるんだ!?」
また、始まった……。
私はそっと嘆息した。
ラウンドア様は、護衛ということでメイドの仕事中も私に張りついた。
そして彼は、キャサリン様と初めて顔を合わせた時から媚びへつらった。
「何をとは?仕事を教えているのですが?」
私は持っていた雑巾を見せた。
「そんな汚い物は、平民の貴様がやればいいだろう!」
「それでは仕事を教えられません」
万事が万事、この調子だ。
彼は、私にいちいち噛み付いてくるのだ。
「セシリアさんに向かって貴様とは何なんですの!?」
「だってこいつは平民です」
「こいつですって!?」
「キャサリン様。時間が惜しいです。そこまでで」
言い合いが始まりそうな二人を止めた。
「わかりましたわ」
渋々、キャサリン様が引いてくれた。
「では、昨日の復習をしましょう。雑巾を絞ってみてください」
「わかりましたわ」
キャサリン様は昨日教わった通りに、ゆっくりではあるが雑巾を握り絞った。
グシャグシャと濡れた雑巾を丸めて握って、できましたわと水浸しの雑巾を見せた、昨日から比べると大進歩だ。
「セシリアさん、見てください。水がビシャビシャ出なくなりましたわ」
「はい。昨日よりよくなりました。ではよく見ていてくださいね?」
私は、ギュッと力を入れて絞って見せた。
ザバザバと水が出る。
「貴様!キャスタール様に対して無礼だろう」
「セシリアさん、今のはどうやったのですか?」
キャサリン様は、ラウンドア様を無視して尋ねた。
「はい。こう握ってひねったら、またひねるのです。で、それを繰り返し」
「貴様!私を無視するのか!?」
ラウンドア様が、ギャンギャン吠える。
躾の悪い犬がいるようだ。
私は一回、天井を見た。
そして、フッと息を吐いた。
なるべく揉めずにいきたかったが、仕事が進まないのは困る。
キャサリン様に教える貴重な時間を、これ以上邪魔されては堪らない。
「ニルス・ラウンドア様。あなたは何のためにここにいるのでしょうか?」
私は背筋を伸ばして立ち、真っ直ぐ彼の目を見て訊ねた。
「は?そんなのは護衛に決まっているだろう。じゃなかったら、誰が平民のそばになどいるものか」
「では、護衛の仕事は何でしょう?」
私は、表情を変えずに訊ねた。
「危険がないように守ることだ」
「あなたがされていたこととは違うようですが?あなたがされていたことは、キャサリン様に仕事を教える私に文句をつけることだったと記憶してます。これも護衛の仕事なのでしょうか?」
「いや、それは貴族としてだな」
「貴族としてここにおられるのでしたら、どうぞお引き取りください。邪魔です。仕事が進みません」
ラウンドア様は、グッと詰まったように喉を鳴らした。
「あら、あなたは貴族としていらしたの?でしたら、私も遠慮なく侯爵令嬢として言えますわ。仕事の邪魔ですわ。消えなさい。私はあなたが、護衛騎士だからここにいることを我慢していたのですわ」
「そんな!私はキャスタール様のために」
「それが護衛騎士としての言葉でしょうか?」
「え?いや、だって」
「ラウンドア様は、私の護衛騎士としてここに仕事に来ているのです。私が平民だとしても、きちんと仕事をしていただかないと困ります。無理ならできないとちゃんと上におっしゃってください。どうなさいますか?」
ラウンドア様は、顔を真っ赤にして屈辱にブルブル震えた。しかし、小さく申し訳ありませんとモゴモゴ言って、やっと護衛騎士らしく脇に控えた。
その目は憎々しげに私を睨んでいたが、これでやっと仕事が進められる。
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