番外編
「それにしても……あの扉ってまるでどこでも行けーるドアみたいですよね」
私がみんなの前でその話題を出したのは、こっちの世界に来て半年ほどが経った頃だった。その日はいつも通り、私と柿崎さんと早瀬家の皆で夕食を食べていた。
あの扉と和室が早瀬家に出現してから二か月ほど経ち国の知るところとなった頃、早瀬家は引越しをした。常に国の研究員が出入りしているあの家で日常生活を送ることは難しく、出て行かざるを得なかったのだ。お父様も怖がっていたし。
けれどお父様は新しい家を用意してくれるという国の提案を断って、自宅の隣に引っ越すことを決めた。そう。私と柿崎さんが暮らす予定だった隣の家に。
結局、隣の家への引っ越しは私と柿崎さん、そして早瀬家全員で行うことになったのだ。お隣の家はとても広くて、六人(柿崎さんは東京と埼玉を行ったり来たりしているが)で暮らしても余裕だった。それに来月からはお兄さんがこの家を出る予定なので、一人少なくなる。
そんな中で六人全員が揃う食事は、私にとって貴重なひと時だった。
そうやって家族全員で和気あいあいと食事を取っている最中、ふいに私はあの扉のことを思い出したのだ。
今もまだ隣の家に存在しているあの扉。
当時は恐怖が勝ってそんな共通点にはまったく気付かなかったし思い出しもしなかった。あの扉はそんなファンタジーな感じでは全くなかったし。
まあ和室は余計だし別に行きたい場所へ行けるわけでもないのだけれど、今思えば何もない空間に突然現れる扉なんて、まるであの扉そのものだ。
けれど皆にも同意してもらえるだろうなと思っていた私の予想は完全に外れた。私以外の全員が全員不思議そうな顔をしていて、お兄さんなんか「なんだそれ」なんて言っているものだから、私は驚きのあまり一瞬呆けてしまった。
「え? どこでも行けーるドアですよ?」
「いや、知らねーよ」
「……嘘ですよね?」
「何がだよ」
「え? 知らないんですか? あの有名などこでも行けーるドアのこと⁉」
「だからなんだよ、それ」
お兄さんの表情は真剣だ。私をからかっている訳ではないらしい。私は驚愕しつつもお兄さんに「どこでも行けーるドア」の説明をした。
「……国民的漫画『ニョラえもん』に出てくる七つの必殺道具の一つで、どれだけ遠い場所でもその扉を潜れば一瞬で行きたい場所に移動できるみんなの憧れの道具ですよ」
私がそう説明すると、お兄さんが「あれは行きたい場所へ行けるわけじゃねーだろ」と言って来たが想定の範囲内だ。確かにそうなのだが、扉を潜れば別の場所というところがミソなので、「今は細かいことはいーんですよ」と反論しておいた。
お兄さんとは反対に、私の説明に食いついてきたのが柿崎さんだ。
「それは興味深いね。まさかとは思うけど……ミノリさんの世界ではそれ実現されてないよね?」
「されてません! されてたらあの扉見てあんなに驚きませんよ!」
「だよねー」
「それよりも! 皆さん本当に知らないんですか? あの『ニョラえもん』のこと!」
驚きのあまり、私は箸を持つ手につい力を込めてしまった。全員の顔を見渡しても、全員が首を横に振っている。
「なんだよニョラえもんて……。ミノリンの世界ってネーミングセンスおかしくねーか? ぬかぼんとかさ」
「おかしくないですよ! っていうより、私今が一番この世界が異世界なんだって実感してます!」
「はあ?」
「あの漫画を知らないとかありえません! 日本どころか世界でも有名なのに……!」
まさかあの国民的漫画がこの世界になかったなんて、露程も考えはしなかった。もしやこの世界って、私や柿崎さんが思っているよりもかなり離れた世界なのではないだろうか。
けれど私がそう言っても、柿崎さんは「そんなことないんじゃない」と言って笑っている。
「まあ、エンタメって多分一番違いが顕著な分野の一つじゃないかな? 時代やタイミングによって流行るものも違うだろうし」
こともなげに言う柿崎さんに私は力説した。
「そんなことないです! ニョラえもんは五十年以上世界中で愛されているキャラクターなんですよ⁉ 私、ぬかぼんの前はずっとニョラえもんグッズ集めてたんですから!」
柿崎さんからは「えー、そうなの?」などという適当な言葉が返って来た。多分あまり興味がないのだろう。
「どんな漫画なんですか? そのニョラえもんって」
太一さんが興味を示してくれたので、私はニョラえもんのことを説明した。
「ニョラえもんはね。別の銀河からある惑星に住む男の子のところに異星間交流のためにやってきたライオン型のロボットなの。全身オレンジ色をしていて、普段は四足歩行だけどたまに二足歩行になるんだよ! ニョラえもんとその男の子が時に世界の命運をかけて宇宙からの侵略者と戦い、時に過去や未来に旅をする夢いっぱいのどきどきアクションアドベンチャー漫画なの!」
「……そうなんですね」
なんだか太一さんの様子がおかしい。ちょっと力説しすぎたから引かれたのだろうか。そういえば同じようなことを言ってお兄ちゃんにも引かれたことがあったなと何だか懐かしくなってしまった。
「そういえば……ベッドの上にライオンのぬいぐるみがありましたね」
「それ、UFOキャッチャーで取ったニョラえもんだよ」
一瞬、国の研究員の人に持って来てもらおうかなと考えたけれど、どうせ歪んでいるのだから意味ないかと思い直した。
「もしかして、部屋がオレンジ系統だったのって……」
「ニョラえもんカラーだね」
あの生地に一目ぼれした時には、まだ私はニョラえもん推しだったのだ。今でも好きだけれど、高校生になってからは熱も良い感じに冷めていた。
「なるほど……」
「あとぬかぼん」
ぬかぼんはご当地色として様々な色のマスコットが出ているけれど、ベージュ色がスタンダードなのだ。オレンジとベージュのチェック柄の布を見つけた時には、これぞ運命と感激したものだ。
「お前……いや、何でもねー」
「……何ですか?」
「何でもねーって」
お兄さんが何かを言いかけて途中で止めた。でも視線が雄弁に物語っている。きっとオタクかよとか思ってるんだ。
「……俺たちの持っている漫画見ますか?」
「見る!」
太一さんからの提案に、私は一も二もなく飛びついた。そういえばこの半年漫画も見ていないし本も読んでいない。こっちの生活に慣れるのに精いっぱいで、そんな心の余裕もなかったのだ。けれど今の会話で火がついてしまった。私は本も読むけれど漫画も大好きなのだ。
「俺はサッカー漫画しか持ってないぞ。お前だってほとんど持ってないだろ」
サッカー漫画でも何でも見るけれど、出来ればもっと色んな漫画が見たい。そう思っていたらお母様が「じゃあ、今度皆で本屋行きましょうよ」と言ってくれたので、嬉しくなった私は勢いよく「はい!」と返事をした。するとお母様もとても嬉しそうな顔をしてくれた。
「漫画か……。たしか怪異研究会の部室にホラー漫画の大御所の漫画が置いてあったような……」
「持ってくるなよ! ミノリさん! ホラー漫画だけはやめてくれ!」
「父さんが見なきゃいいだけだろ」
「この家にそんなものがあると思うだけで嫌だ!」
「……よく二か月もあの家で暮らせたよな、父さん」
「毎日気絶しそうだった!」
それにそんなに怖いのによく隣の家で我慢したものだと、私はお父様に感心した。まあ突然マイホームを奪われたのだから、せめて近くに住みたいと思う気持ちは分るのだけれど。
私だって、向こうの世界で住んでいた葉山に住みたい気持ちはあるのだ。でもそれ以上に早瀬家の皆さんと離れたくない気持ちの方が勝っているだけだ。それにこっちの葉山にはいつでも行ける。実際もう何度も皆で旅行しているのだ。
「ホラーは当分必要ないです。それよりも、こっちの国民的漫画が見たいです」
私がそう言えば、お兄さんが「国民的漫画……って何だ?」と太一さんに振り、「さあ……あんま漫画見ないから」と太一さんが答えた。二人とも漫画には興味ないんだなと思っていると、お母様が「あれじゃない? マキガイさん」と何となく既視感のある名前を出してきた。
「ああ……あれか。そうだな。俺が生まれる前から続いてるし……これも五十年以上か?」
「そういえばあったねー。あれ今もアニメ放送しているよね」
「小さい頃は一馬も太一も見ていたんだがな」
「もう覚えてねーよ」
「じゃあ、そのマキガイさんが見たいです!」
私のその一言で、次の休みには全員で本屋に行くことが決定した。別に私一人でも行けるのに、全員でって所が早瀬家らしい。
食事が終わり、私はお母様の後片付けを手伝った。向こうにいた時はお母さんの手伝いなんてほとんどしていなかったのに。私も成長したものだ。
食後少しだけ太一さんとお兄さんと談笑して、順番でお風呂に入り、それぞれの部屋に分かれて戻った。
こっちへ来てからもう半年だ。
別の世界なのに、同じように時が流れていく。向こうの世界でも、同じだけの時が流れているのだろう。
この半年、どうか悲しまないでと、私はいつも願って来た。向こうにいる私の家族に、私はこっちで幸せだから。だから悲しまないでと。
ベッド脇に置いてある写真立てを手に取り、そこに入っているちょっとだけ歪んでしまった家族写真に、微笑みながら「おやすみなさい」と言葉をかける。それをそっと元の位置に戻し、部屋の明かりを消して、早く次の休みが来るといいな、そう思いながら布団の中へともぐりこんだ。
そして夢を見るのだ。
とても、とても幸せな夢。
――向こうに残してきてしまった家族と、こっちで出来た新しい家族。皆が揃って、微笑みあっている夢を。
ミノリの世界もどこかの世界の並行世界です。




