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彷徨うセカイとあなたと私  作者: 星河雷雨


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 俺はもう一度出来るだけ詳細にあいつの姿を頭に思い浮かべた。


 あいつは窓の外に、俺たちと同じように立っていた。全体的に肉の少ない身体。そして目は小さく眼球は濁っていた。あれではこちらが碌に見えていなかったのではないだろうか。そして確認できた範囲に体毛はなく、肌は薄い灰色のような桜色のような微妙な色だった。


 柿崎さんは真剣な表情で俺の話を聞いていた。


「現実と切り離された空間に置き去りにされた人間……という可能性は確かにあるね。亜空間は実際には存在しない空間、あるいは物理法則が通用しない空間という定義を持っているから、あの部屋にも当てはまる。そんな空間に取り残された生物の肉体がどういった経過を辿るのかなんて、想像するしかないからね」


 あの化け物が人間だったのかもしれないと考えれば、恐ろしいと思っていただけの感情に、もの悲しさが加わる。


「ミノリさんは幸運だったね……」


 柿崎さんの呟きに、全員が一瞬言葉を失くした。しばらくして口を開けたミノリさんの顔面は蒼白だった。


「……やっぱり……私もああなっていたかもって……ことですか?」


 とぎれとぎれに紡がれたその言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が嫌な音を立てた。きっと顔色も青くなっていたに違いない。俺だけじゃない。見れば皆同じように顔色が悪い。


 それはもう回避されたことだ。けれどミノリさんがああなっていた可能性もあったのだと考えるだけで、心臓が凍りつきそうな気がした。


「かもしれない。でもそれはあくまで、あのままあの和室か窓の外の空間に取り残されていたらってことだよ」


 柿崎さんのその言葉を聞いた皆の口から安堵の溜息が漏れた。分かっていても心臓に悪い。


「君はこちらに来ることが出来た。ここは君のいた世界とは別の世界かも知れないけれど、亜空間じゃない。もし物理法則が向こうとまったく同じとは言えなくても、身体に変調をきたす程にはかけ離れてはいないと思う」


 多分大丈夫だとは思っていたけれど、他人から、しかもそういうことに見識があるであろう科学者から言われると安心感が違う。


「よ、よかった……」


 そう言ったミノリさんの目には涙が浮かんでいる。でもそれはきっと安堵の涙だ。思わず俺も泣きそうになった。


「……あの和室の仕組みが解明されるのは、少なくともあと数十年はかかる。そして万が一解明されたとしても、異なる世界同士を繋げる術が解明されるのは、さらに遠い未来のことだろう。現状ミノリさんが向こうの世界に帰ることは不可能に近いだろうね」


 柿崎さんは説明している間、ずっとミノリさんから目を逸らさなかった。ミノリさんはしばらくの間泣くのを堪えるように俯いていた。そして顔を上げてはっきりと言った。


「……心のどこかで、わかっていました。窓の外にあの化け物――ううん。私がなるかもしれなかった姿を見た時から、もう二度とあの部屋には戻れないかもしれないって、予感がありましたから」


 ミノリさんの表情は暗かったけれど、瞳にはちゃんと力が籠っていた。多分、色々なことを――それこそ俺なんかには想像すら出来ないことを飲み込み、決意したのだろう。そんなミノリさんに柿崎さんも神妙に頷いている。


「うん。そうだね。……あそこはまだ何の解明もされていない空間だ。これ以上自由に向こうに行くのは止めた方が良い。身体にどんな影響が出るかは未知数だからね。君はたまたま取り残されることなくこちらへ来ることが出来たけれど、あの空間にはもしかしたら君たちが見たという存在以外にも何かがいるかもしれない。それに――」


――あそこの時間の流れがどうなっているのかもわからないしね。


 柿崎さんのその言葉に、俺は改めてぞっとした。


 俺たちのような目にあった人間があと何人いるのかはわからない。けれど少なくとも一人、あの空間にはそうやって取り残されたかもしれない存在がいるのだ。今の時点ではただの憶測だけれど、無視するには危険すぎる。


「でも、今はまだ、というだけだよ。並行世界のことはすでに海外などで研究されているんだ。君が来た世界が異次元なのか並行世界なのかでまたちょっと話は違ってくるだろうけど、あの部屋と向こうの世界についてはこれから調べて行けばいい」

「調べて……?」


 ミノリさんが首を傾げている。確かに先ほど柿崎さんはこの部屋の解明には数十年はかかると言っていた。てっきりこのまま開かずの間にするのかと思っていたのだが、まさか本当に調べるつもりなのだろうか。


(けど確かに滅多にない研究材料だよな……)


 俺がその道の研究者なら間違いなく狂喜乱舞しただろう。こんな研究材料、望んで手に入るものではないのだから。


「そうだよ。本来ならまずこの部屋の亜空間を固定する方法を見つけなければいけないところだったんだけど、幸いにも扉が開いている状態ならあの和室はどこへも行かないようだしね」


 助かったよ、と言って柿崎さんは笑った。


「これはいずれ国を巻き込んだ研究になるよ。まずはうちの大学でチームを作って解明に取り組む。国に知らせるのはその後だ。下手をすると僕は関われなくなってしまうからね」


 そう言って子どもみたいに目を輝かせている柿崎さんとは反対に、父さんは目を剥いている。


「おい! そうなるとうちはどうなるんだ。お前のところの研究チームがいつもうちに出入りするってことか?」

「よろしくね?」

「よろしくねじゃねーよ! それにそれって、あの扉が常に全開ってことだろ! 怖いだろうが!」


 父さんの顔面は蒼白だ。よほどあの扉――いや、窓の外にいた奴が怖いのだろう。あいつが外側から窓を壊して入って来られるのかは分からないが、確かにいい気はしないし安心も出来ない。


「国が関わる段階になれば、きっと他の家を用意してくれるよ。そしたら引っ越せば?」

「今でも引っ越しを考えているくらい怖いんだが⁉」


 父さんが泣きそうになりながら柿崎さんに抗議しているが、元はといえば俺がミノリさんの部屋に行ったことが原因だ。息子の仕出かしたことなので申し訳ないが親にも我慢してもらうしかない。それにしても――。


「……そもそも、なんで俺の部屋に現れたんだろう、あの扉」


 全員の視線が俺に集まった。なんだかんだ言いつつ、はっきりとあの扉と部屋について解明出来ていることと言えば、すでにミノリさんのいた世界には繋がってはいないということだけだ。

 あとはあの和室が半地下だということも、あの化け物が亜空間に取り残された人間かもしれないということも、憶測の域を出ない。


 そして何よりも俺が気になることは、何故あの扉が俺の部屋の押し入れに現れたのかということだった。


「ああ~、それね。怪異って理由を求めてはいけないのが鉄則なんだけど……」


 柿崎さんはどこかで聞いたようなことを言ってから、「でも、誰かが何かを呪ったり祟ったりする場合って、大抵理由があるよね」と恐ろしいことを言った。


「俺が呪われていたってことですか?」


 俺は驚いて柿崎さんを凝視した。人に恨みを買うような人生は送ってこなかったはずなのだが、たとえ俺がそう思っていても無意識に何かやらかしたという恐れは確かにある。それすらないとは、さすがに言い切れない。


「いやいや。そりゃ当初は特定の個人を呪っていた可能性はあるよ? でも太一君個人が呪われていたわけじゃないよ。たまたまだって、たまたま。君も言っていただろう? あの半地下には、誰かが閉じ込められていたんじゃないかって」


「……はい」


 半地下の和室は、高い場所だが窓があって、畳もあって、電気も通っていた。誰かが利用しないのなら、わざわざあんな半地下を和室にする意味はない。


「もしかして……部屋から出られなくなるのは、自分のされたように誰かをあの場所に閉じ込めるため?」


 だから閉じ込められる。だから出られない。


「そうかもね。それと同時にこの部屋ではないどこかへ行きたいと思っても不思議ではない。きっとその誰かにとっては、あの狭い和室だけが世界のすべてだったんだろうからね」

「だから心象風景が窓の外に移し出されるんでしょうか……?」


 どこか別の場所に行きたいという思いが、共鳴したのかもしれない。


「うーん。あの空間がどんな性質を持っていて、どんな物質で満たされているかわからないからね。人間の思考って波動というかエネルギーの一種だから、それがあの空間に満たされているものに映し出されたって可能性はあると思うよ」


 だから心の奥底に残る風景へと繋がる。部屋の住人が、ここではない何処かへ行きたいと願っていたように。


 柿崎さんが遠い目をして言った。


「怪異ってさ……そうやってどこかの誰かの悲しく切ない想いが作り出しているものなのかもね」

「お前……良い感じで締めくくろうとするなよ。適当なだけだろ。ちゃんと決着付けろよ! 怖えーだろうが!」


 ――言ったのだが父さんにキレられ少しだけ慌てていた。


「だからー、そういうの知りたければ僕じゃなくて住職呼んできなって。まだ現役でしょ? あの人」

「俺は科学的に説明を付けて欲しいんだよ! それにあの人はあの人で怖がらせようと驚かすから嫌なんだよ!」

「じゃあ、窓の外の人に直接聞いてみれば? 何でこんなことしてるんですかって」

「出来るわけないだろ! てかお前! お前……あれは違うんだろ? あれは、元は俺たちと同じ……」


 父さんの声に勢いがなくなっていき、最後には空気に溶けるように消えていった。きっとそれは皆考えないようにしていたことだ。深く考えてしまったら、どうすればいいか分からなくなってしまうから。


「もしそいつが本当に僕の考えている通りの存在だとしても、今はまだどうしようもないよ。それにそうは言ってみたけどさ、確かに人だとしても、単に別の世界の住人て可能性だってあるわけで……」

「……は?」


 父さんが間抜け面を晒しているが、きっと俺も同じような表情をしているのだろう。


「ほら、ミノリさんの世界とこっちの世界が繋がったように、窓の外の景色が心象風景を映しただけだっていうのなら、実際にはそこにだって別の世界が広がっている可能性もあるわけだし」


 そうだ。確かに柿崎さんは言っていた。



――端と端ほどの遠い場所に位置する世界では、人間だって姿形が俺たちの知るものとは異なっているのかもしれないって。

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