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「どうだった! 何かわかったか⁉」
そう言って戻って来た三人を前のめり気味に出迎えたお父様に、「まだわからないよ」と柿崎さんが答えた。
「何のためにお前を呼んだと思っているんだ!」
「そんなこと言われても、僕は別に霊能者でもなんでもないし」
「霊能者じゃなくても科学者だろ! それにお前怪異研究会なんてふざけたサークルの顧問しているって言っていただろうが! しかも昔幽霊見たことがあるって言ってなかったか⁉」
ヒートアップしているお父様をお兄さんが「落ち着けって」と宥めている。そんなお父様に比べて柿崎さんはあくまで冷静だ。
「そうはいってもね。世の怪異なんて解明されていないことの方が多いんだよ。僕の研究だってそっちがメインってわけじゃないんだ。それに厳密に言えば僕は科学者じゃなくて物理学者」
「同じようなもんだろが! メイン研究じゃなくてもこんなにはっきりとおかしなことが起っているんだぞ⁉ 科学で解明できないのか⁉」
柿崎さんが唸りながら「出来たとしても、多分数十年て先のことだよ」と答えた。
「あそこってさ、なんか空間が歪んでるような気がしたんだけど、君たちは気付かなかったの?」
「……そうか?」
お父様が「気付いたか?」といって私たちを見渡したけれど、誰も首を縦には降らなかった。
「うーん。僕が小さい頃幽霊らしきものを見ていたのは本当だけど……これってそういうことなのかな。なんかさ、あの部屋――この部屋から先は和室を含めてミノリさんの部屋まで全部。空気の密度が違うっていうか、重くて息苦しかったんだよね。なんだか夢の中にいるような気分だった。あそこはさ、正に亜空間だよ。何度も行くものじゃない」
そう言って柿崎さんは、教科書を私たちの目の前に掲げた。私の部屋にあった教科書だ。けれど何かが違う。何が違うのか最初は分からなかったけれど、違和感に気付いた私は思わず息を飲んだ。
文字が歪んでいたのだ。文字だけではなく、図も歪んでいる。材質もこんな感じだっただろうかと疑いを抱いてしまう程に、何だか違和感があった。私は本当にこの教科書を使っていたのか疑わしいくらいだ。
「これね。ミノリさんの部屋で見ていた時からこうだったんだよね」
柿崎さんが持っていた教科書を開いたのだけれど、中身はもっと酷かった。かろうじて文章の体を為している箇所もあったけれど、ほとんどの文字を判読することが出来なかった。
教科書を見た太一さんが何故か慌ててエコバッグの中から何かを取り出した。取り出されたものを見た私は「あっ」と声をあげた。
「それ……私の読みかけの本」
「はい。目に入ったから持って来たんですけど……」
太一さんが本をパラパラとめくると、教科書と同じようになっていた。そこで私も太一さん同様あることに気が付き「すぐに戻るから」と言って急いで部屋を後にした。私のことを呼ぶ声が聞こえたけれど、今はそれどころじゃなかった。私はリビングに置いてあるそれを急いで手に取り、部屋へと戻る。私の手に持っているものに気付いた太一さんが「ミノリさん……」と、私の名を呼んだ。
私がアルバムの頁を捲ると、案の定写真はほとんど歪んでいた。
「やっぱり……」
私の目に涙が滲んだ。お母さんの顔もお父さんの顔も、お兄ちゃんの顔も、私の顔でさえも歪んでしまっている。一縷の望みをかけて三冊全部見てみると、一枚だけ、去年家族で京都に行ったときに撮った写真だけが、なんとか全員顔の判別が可能だった。
普通ならこれも立派な心霊写真だけれど、今の私にとっては何よりも価値のあるものだ。お兄さんが「良かったな」と言って私の頭を撫でてくれた。
「……でもよ。太一がミノリンから貰ったキーホルダーは歪んでなかったぞ。あの変な妖怪の奴」
お兄さんの言葉を聞いた太一さんが、机の中からぬかぼんのキーホルダーを取り出して皆に見せた。
「これは?」
柿崎さんの問いに、太一さんがぬかぼんとの馴れ初めの説明をした。
「これは俺が最初にミノリさんの部屋に行ったときに貰ったものなんです。夢じゃない証拠が欲しくて……」
「……歪んでない?」
柿崎さんが怪訝そうに目を細めてぬかぼんを見つめている。お母様もお父様も同じ表情だ。確かにおでこがあり得ないくらい長いけれど、ぬかぼんはこれがデフォルトなのだ。
「これが正解なんです……」
「こっちからミノリンの部屋に持って行ったあのキーホルダーも別に歪んでなかったよな」
太一さんは私たちの目の前であのキーホルダーを掲げている。その時あのロケット型のキーホルダーには何の変化も見られなかった。持ち主である太一さんもその時一緒に見ているのだから、何か変化があったなら気が付くはずだ。
「なるほど……きっとそのキーホルダーをミノリさんが太一君に渡した時には、まだ本物のミノリさんの部屋と繋がっていたんだろうね。でも、今のあの部屋は元のミノリさんの部屋であってそうではなくなっているんだ。多分、もう完全に向こうの世界とは切り離されている。今のあの亜空間はミノリさんの部屋を模写したようなものだよ。だからあの部屋から持ち出したものはこちらに来るとこうやって存在が歪んでしまう。夢の中から物を取り出して現実に持って来たみたいにね。そしてこちらから向こうに持って行ったキーホルダーが歪まなかった理由は、その逆。こちらが現実の世界だから」
確かに夢の中の映像ってなんとなくはっきりしていない。それと同じようなものだろうか。
「今のミノリさんの部屋にある物たちはあくまで本物を模写したものなんだろうけど……でも見かけはまだマシだけど中身が酷い。手抜きだよね。だから教科書の文字がああなったんだと思うよ」
「なるほど……」
ひとつ謎が解けた(?)ことで、私も気になっていたことを柿崎さんに聞いてみた。
「あの……私の部屋に現れた扉を閉める前に廊下へ出る扉を先に開けていれば、私はあの部屋から出られたんでしょうか?」
私の質問を聞いた柿崎さんは「うーん、どうだろうね」と唸った。
「出られたかもしれないけど……もう検証は出来ないしね」
「あ……じゃあ、家族の誰かが私の部屋の扉を本来の廊下側から開けたとしたら……」
「それについては……多分、君たちが考えたとおり、その時に君の部屋は本来の空間から切り離されたんだろうね」
柿崎さんの言説に、私は言葉を失くした。
一体どうすれば良かったのだろう。どういう行動を取れば、私は部屋から出ることが出来たのだろうかと、後悔の気持ちばかりが湧いて来てしまう。
「きっと本来の君の部屋は元の空間にそのまま残っているよ。そうでなければ、君の家族が君の部屋の扉を開けた向こう側は、亜空間ってことになってしまう」
「そ、うですよ、ね……」
私は柿崎さんに力なく答えた。そして亜空間という言葉を聞いたことで、もうひとつの気になっていたことを思い出した。
「あの……だったら、窓の外で見た化け物って……」
元は人間だと言われれば、そう見えなくもない、あの化け物。もし私のように部屋へと取り残された人間が、窓の外に出てしまったのだとしたら。太一さんの言う通り、その成れの果てがあの化け物なんだとしたら――。
「……どういう感じだったの?」
私が恐ろしさのあまり言葉に詰まっていると、太一さんが代わりに説明してくれた。




