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結局神奈川には私の家を確認しに行っただけ。泣いている私がいるせいでお昼もどこにも寄ることが出来ず、途中コンビニで買った昼食を車の中で皆で食べた。
私はといえば、お兄さんにおにぎりを手渡されたけれどとても食べる気にはならなかった。
早瀬家に帰ったあと、車の中でさんざん泣きつくした私が落ち着いた頃に「あいつに連絡してみよう」とお父様が言った。
あいつというのが誰のことなのか、当然ながら私は知らない。お兄さんも太一さんもその人物に心当たりがない様子だったけれど、お母様だけは誰か見当がついたようだ。
「あら。絶交だって言ってたのに」
「こんな時くらいしか役に立たんからいいんだ」
お母様曰く、「あいつ」とはお父様の学生時代の悪友らしい。太一さんが四歳くらいまでは交流があったらしいけれど、ある時その人はホラー嫌い(やっぱり)なお父様にホラーな悪戯を仕掛け、それにものすごく怒ったお父様が絶交を言い渡し、以来十年会っていなかったのだとか。
「もしかしてその人ってさ、柿崎の兄ちゃんか?」
どうやらお兄さんもその人物のことを思い出したらしい。兄ちゃんなんて言ってるのだから、当時は相当親しかったようだ。
「そうだ。お前がホラー好きになったのはあいつの悪影響だ」
そんなことを言いつつ、お父様はさっそく携帯でその人に連絡を取っていた。
お父様は苦虫を噛み潰したような顔をしていたけれど、連絡先を消していないのだからそこまで怒っていたわけではないのかもしれない。きっと意地になってしまったのだろう。私もお兄ちゃんと大喧嘩をしたあとは、いつも仲直りするタイミングがなかなかつかめないで困っていた。
お父様が携帯を耳にあててから数秒も経たないうちに、すぐに携帯が繋がった。十年連絡を取り合っていなかった割にはお父様の口調は淀みない。手短に相手と話をしたと思ったら、すぐに電話を切ってしまった。その人が住んでいるのは東京らしいのだけれど、新幹線ですぐにこちらに向かうと言ってくれたらしい。
「今から?」
「ああ。消えたら困るからだと」
お兄さんが「なんか考え方が太一に似てるな」と言えば、お父様は「……ぐうう。太一にも悪影響が出てたか」と大げさな仕草で頭を抱えた。
その柿崎さんがやって来たのは夕方の四時を過ぎた頃だった。
柿崎さんは大学の教授だった。怪奇現象に詳しいというから民俗学か何かの教授なのかなと思っていたら、なんと物理学の教授だった。物理学的観点から神隠しや異郷訪問譚などを研究しているらしい。そちらの専門である民俗学者とも付き合いがあるそうで、一応誘ってみたらしいのだけれど、さすがに急だったので断られてしまったらしい。まあ、信じて貰えなかったのかもしれないけれど。
柿崎さんは挨拶もそこそこに、「早く例のものを見せてくれ」と目をキラキラとさせながらお父様を急かしていた。
「おい、話を聞いてからにしろ」
「電話で聞いたよ」
「話してないこともあるんだよ」
柿崎さんはきょとんとお父様を見つめている。外見の若さも相まってなんだか少年みたいな印象だ。お兄さんがお父様と同年代の人物を「柿崎の兄ちゃん」と言っていた理由がなんとなく分かった。
お父様は電話で、「うちの息子たちの部屋の壁に変な扉が現れた。中にも入れたんだがちょっと問題が起きてな。ホラー好きのお前にはぴったりの案件だ」と言っていた。ほとんど核心は話していない。
(んん? 部屋に扉が現れたことが核心でいいのかな?)
そこからすべてが始まったのだから、そうと言えなくもない。
話を聞いた柿崎さんは、私の顔をまじまじと見つめてきた。
「僕達とまったく同じに見えるね」
「そう……ですよね」
確かに、外見上私たちは何ら変わりがないように見える。けれど今のところはあくまで外見上だけだ。
(内臓全部逆とかだったらどうしよう……)
実際にそういう人もいると聞いたことはあったけれど、もし手術する羽目になった時に大層困惑されそうだ。
「実際に君の家があるはずの住所に行ったんだよね? でもそこに家はなかったと」
私が「はい」と答えると「それでもどちらの世界にも埼玉県浦和市と神奈川県三浦郡葉山があるのなら、一応は並行世界ってことでいいのかな」と柿崎さんが言った。
並行世界という概念は私も知っている。自分たちのいる世界と、似ているけどどこかが違う世界。
「並行世界とは一口に言っても、すぐ隣り合った世界と端と端ほどに離れている世界とでは、まるで世界の起源からしてまったく異なるのではないかと思われる程の差異が出てくると予想されているんだ。あくまでも理論上はだけど。そうなると同じ人間という種がいたにしても、姿形が僕達の知っているものとは全く異なってくる可能性もある」
柿崎さんの言説を、私は不思議な気持ちで聞いていた。確かに私の家の住所には別の誰かの家が建っていた。けれど、それでも世界が違うなんていまだに心のどこかで信じることが出来ないでいる。
「それにしても……お前、話だけで信じるのか?」
お父様が呆れたような感心したような微妙な表情で柿崎さんを見つめている。
「いや。別にまるきり信じているわけじゃないよ? この目で確認しないことにはね。今のは理論上の話だよ。可能性としてなら、この子が精神に異常をきたしているって可能性の方が断然高い」
柿崎さんがそう言った途端、お兄さんが「はあ⁉」と声をあげた。
「確かにミノリンはボケかツッコミかで言ったらボケだけどな、さすがに異常者じゃねーぞ」
お兄さんが私の味方をしてくれたけれど、何だか微妙だ。
「異常者に見えない異常者もいるよ?」
「待て! そういう話をしてるんじゃないだろ。柿崎、お前はもう少し言葉を選べ。というか、さすがにあの扉の中に入ればミノリさんのことを疑う気は失せる」
ということはやっぱりお父様も最初は疑っていたのだ。だがそれは仕方のないことだということも分かっている。私がお父様の立場なら、やっぱり信じられないだろう。
私たちは一度封印した太一さんとお兄さんの部屋の扉の前の荷物をどかし、柿崎さんを中へと通した。
私たちにとっては残念なことに(とはいえあの扉がなくなったら複雑ではある)、そして柿崎さんにとっては幸運なことに、扉は未だ部屋の壁に存在していた。
「ほうほうほう……。うん。トリックアートじゃないようだね」
扉に近づいた柿崎さんが、興味深そうに扉を様々な角度から観察している。
「そりゃ考えなかったな」
「全部開けちゃってもいいかな?」
「いいけど……化け物がいるかもしれないから、一応気を付けろ」
そう言ったお父様の手にはトンカチが握られている。いざとなったらそれで戦うつもりらしい。お父様はそれを柿崎さんに渡そうとしていたけれど、すげなく断られていた。
扉を全て開き切ると、そこにはすでに見慣れてしまった薄暗い踊り場と階段、その奥には和室が見えた。
「うわー、気持ち悪い部屋……」
柿崎さんの第一声に、私たちは全員で頷いた。
私の部屋に行くのだから私が部屋まで案内したほうがいいのだろうけれど、さすがに今朝の今であの部屋に戻る勇気が出なかったしお父様とお母様にも止められた。
けれど同じようにあの化け物を見たはずの太一さんとお兄さんは柿崎さんについて行くという。私の時と同じようにお父様とお母様が止めていたけれど、大丈夫だと言って聞かなかった。
しかも太一さんなんて「ミノリさん。部屋から何か取って来て欲しいものはありますか?」なんてことまで言ってくれた。
欲しいものはいっぱいあるけれど、とりあえず私は何でも良いから数日分の服を持ってきて欲しいと頼んだ。さすがに下着までは頼むわけにはいかなかったので、それはこちらで買うことにした。
「ミノリさん。部屋の中色々見るけどいいかい?」
律儀にも確認を取って来た柿崎さんに、私は「いいですよ」と答えた。
「気になったものがあったら何でも持ってきてください」
本当は見られるのはあまり気が進まないのだけれど、今の状況で言えるわけがない。この人はこの怪奇現象を解明してくれるために呼ばれた人なのだ。そのためならば私の羞恥心などいかほどの価値があるものか。
太一さんとお兄さんは私の服を入れるためにお母様に渡されたエコバッグを持って、そして柿崎さんは意気揚々と私とお父様、お母様に見送られ、扉の奥へと消えていった。
残された私たちは、部屋から出来るだけものを運び出すことにした。朝は時間がなかったので必要最低限のものしか持ち出していなかったのだ。
誰か一人は常に部屋に残るようにして、私たちは荷物の移動を始めた。
これから先は柿崎さんが色々言いますが、あくまでフィクションです(念のため)。おそらく矛盾点なども多数ありますでしょうが、どうぞホラー+SFの雰囲気重視でお読みくださるとありがたいです。




