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「うおおっ……⁉」

「いやぁー⁉」


 お父様と私は同時に悲鳴を上げた。お兄さんが慌てて窓を閉めて鍵をかけ、太一さんが私とお母様を後ろに下がらせた。


「な、なんだあれ……⁉ おい! あんなのがいるなら先に言ってくれ!」

「いたら開けろなんて言わねーよ! 何だよあれ……⁉」


 お兄さんもちょっと動揺しているらしい。声が少しだけ上ずっている。私はといえば一言も発することが出来ずにただ震えていた。そんな私をお母様が抱きしめてくれたけれど、一向に震えは治まらない。


 目に焼き付いているのだ。窓の外にいた化け物の姿が。


「やばい……兄貴、今すぐ向こうに戻ろう!」


 太一さんが私の手を引き、お父様もお母様の手を引いて扉に向かっている。


「おう! 皆すぐにこの部屋出るぞ! ミノリンも急げ!」

「ま、待って……!」


 私は太一さんの手を振り切って本棚に向かった。本棚の一番下にはアルバムが仕舞ってある。うちはお父さんの趣味がアナログカメラだったから、今時めずらしくデジタルではなくアナログの写真アルバムを持っているのだ。


 震えて上手く動かせない手を一生懸命動かして、私は数冊のアルバムを棚から引き出した。でも焦っていたせいで上手く掴めなかった。


「ミノリさん!」


 いつの間にか後ろに来ていた太一さんが、私の代わりにアルバムを纏めて掴んだ。


「……また戻って来られます」


 そんな保証はない。いくら窓の外とはいえあんな化け物がいるのでは、もう安易にあの和室を通りここへ来ることは出来ないだろう。

 

 私は部屋の中を見渡した。


 十年以上ずっと使っていた、好きなもので一杯の部屋だった。カーテンもベッドカバーもお母さんの手作り。ベッドの上に乗っているぬいぐるみは、友達と一緒にUFOキャッチャーでゲットしたもの。思い出だらけの部屋だった。


 ここにはもう二度と戻れないかもしれない。心のどこかで私はその覚悟をしてしまっている。


 それでも太一さんの言葉は希望の言葉だった。


「……うん」






 扉の前ではお兄さんが待っていた。


「早くしろ!」

「兄貴! 扉は閉めないでくれ!」

「わーってる!」


 少し上の位置にある窓をなるべく見ないように、私は和室を走って通り抜けた。私と太一さんが部屋に戻ったあと、最後尾にいたお兄さんが部屋へと入り、和室へと続く扉を閉めた。私の部屋へと続く扉は開いているからこっちを閉めても多分大丈夫。でも、私がこっちに来てから今までずっと開けていた扉を、この時はじめて閉めたのだ。


 部屋に戻ってから私は床へとへたり込んだ。同じようにお父様もお母様も座り込んでいる。泣いてしまうかと思ったけれど、衝撃が強すぎて涙が出てこなかった。きっと悲しみはこれから時間差でやってくるのだろう。あるいは、いい加減私も慣れたのだろうか。


「何だったんだ、あれ……」


 お兄さんの呟きが、静かに部屋の中に落ちた。


「……あれが、あの和室の本体じゃないのか? あるいは――」

「あるいは……?」

「外に出てしまった人間の成れの果て……とか」

「怖えこと言うなよ!」


 もう本当に怖すぎる。それって下手をすれば私もああなっていたかも知れないということだ。同じように一度は外に出ようとしたお兄さんも蒼白だった。


「……あれは初めて姿を現したんだな?」


 お父様の言葉に、私たちは静かに頷く。あんなものは一度も見たことがない。都合三度も私の部屋の窓を開けたけれど、一度としてあんなものは現れなかった。けれど――。


「……ミノリンさ。あの和室の窓でなんか見た気がするって言ってたよな?」


 私と同じことを考えていたらしいお兄さんからかけられた言葉に、私の身体がびくりと震えた。


 そうなのだ。私は昨日あの和室の窓の外に、何かを見たような気がしたのだった。


「でも、本当に一瞬だったからあれだったかまではわかりません……」

 

 私が見たのは窓の外をサッと横切った影だけだ。


「……でもよ。もしそうだとしたら、あいつずっと窓の外にいたのか?」

「どうだろう。でも俺たちが見ていたのは窓枠から見える範囲だったから、その可能性はあるな」


「あー、怖っ!」


 お父様が叫んだ。


「間近で見ちまった……」


 お父様の言葉で私の頭の中にあの化け物の姿がフラッシュバックした。


 毛穴なんか一つもないんじゃないかというような、つるんとした灰色がかった桜色に近い肌。凹凸があまり見られない顔面の中央で、充血した小さな両目が潤んでいた。


 怖い。とても怖い。何が怖いって、あれを元人間とするならばなんとなくそう見えなくもないことが怖い。


「ミノリさん……」


 何となく躊躇いがちにかけられた太一さんの声に、私だけではなく皆が反応した。視線が集まって来るのがわかる。


「これ」


 そう言って太一さんが差し出してくれたのは、太一さんが私の代わりに運んでくれた三冊のアルバムだった。私はそれを無言で受け取る。受け取って、その重みをしっかりと手に感じてから「ありがとう」と小さな声でお礼を言った。その間皆はずっと無言だ。


 十数秒程そんないたたまれないような時間が続いたあとに、お父様が「あー」とか「えー」とか声を詰まらせたあと、何かを決意したように私に話しかけてきた。


「……ミノリさん。何故君がこの部屋に来たのか、その理由が嘘ではなかったことはわかった」


 私はお父様の目を見つめ、「はい」と返事をする。お父様の隣にいるお母様は痛ましそうに私を見つめている。


「あの和室から続く扉を開けて出た君の部屋には、他に扉はなかった。そして窓の外にはあいつだ。ありゃ無理だな」

「……ですよね」

「でも、それならこの家から君の家に帰ればいい……と普通は思うんだが、それも出来ないって言ってたか?」

「よく覚えてたな」


 お兄さんの言葉にお父様が「当たり前だ。父さんは記憶力が良いんだ」と自慢げに胸を張っている。


「だがその理由は聞いてないよな」


 私と太一さんとお兄さんは顔を見合わせた。こっちの問題は私もまだ半信半疑だったけれど、それでもお父様に説明しないわけにはいかない。その理由については太一さんが代表してお父様とお母様に伝えてくれた。


 お父様もお母様も黙って太一さんの説明を聞いたあと、お父様は両手で顔を覆い、お母様は俯いてしまった。


「……あの化け物よりこっちの方が信じ難いな」

「でも――」


 はっきり信じられないというお父様とは反対に、お母様が「ミノリさんの部屋にあった卓上カレンダーには、令和七年ってあったわよ?」とお父様に言っている。ばっちり机の上を見られていたらしい。本当に片づけておいて良かった。


「レイワって読むのよね? あれ」

「そうです、そうです!」


 私は前のめりになって頷いた。


「こっちは今年平成三十七年よね」

「そうなんです! びっくりしました!」

「ええ……? ――本当に?」

「本当よ。ちゃんとそう書いてあったもの」


 疑いを前面に押し出したような表情をしているお父様に対し、お母様が本当だと請け負う。


 でもいうなればそれだけなのだ。それだけでここが私のいた世界とは別の世界だと決めつけるのは危険すぎる。


「あっ……てか父さん仕事どうすんだ?」


 壁にかけられた時計を見ながらお兄さんがお父様に聞いた。


 お兄さんに言われてはじめて気付いたけれど、今は朝の七時半を過ぎている。よっぽど近くない限り、仕事に行くにも学校に行くにもこれから準備していたら結構ギリギリの時間じゃないだろうか。


「ああっ⁉ ……て、さすがに行けないだろ、今日は。お前たちだってどうせ学校行く気はないんだろ?」

「え? でもお兄さん部活があるって……!」


(いや、部活よりも学校かもだけど……!)


 私が慌てていると、お兄さんに「困っているミノリン残して行くほど薄情じゃねーぞ」と返されてしまった。


「ミノリさん。もともと俺たちはミノリさんの事が解決するまで学校は休むつもりでした。それか俺と兄貴で交互に学校行くかです。すぐに夏休みにもなりますし問題ないですよ」

「……でも!」


「まあ、俺がずっと仕事休むわけにも行かんからな。しょうがない。ミノリさんの事が解決するまでは大目に見よう。……あんな奴見ちまった後だと、ちょっとほっとけないしな」


 そう言ったお父様の顔色は何だか悪い気がする。お兄さんがホラー好きなのに対し、どうやらお父様は怖いことは嫌いなようだ。ちらりと横目で扉を盗み見たお父様はすぐにサッと視線を逸らし、そして言い放った。


「とりあえずは、あれだ。あの扉塞ぐぞ!」

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