16
翌朝、ごそごそとした音で目を覚ました私は携帯で現在の時刻が五時ちょっと過ぎであることを確認して、カーテン越しに動いている太一さんかお兄さんどちらか分からない気配に「おはようございます」と声をかけた。戻って来た返事は太一さんのものだった。
「すみません、起こしちゃいましたね。まだ眠っててもいいですよ」
「ううん。もう大丈夫」
普段こんなに早く起きることなんてないけれど、今日はスッキリと目覚めることが出来た。きっと随分と深く眠ったんだろう。
「よく眠れたましたか?」
「うん。意外とよく眠れたよ。絶対眠れないと思ってたんだけど」
私は太一さんと話しながら太一さんから借りた服を脱ぎ、昨日来ていた服に着替える。汗は掻いていないから臭くはないはずだけど、この季節に同じ服を二日続けて着るのは乙女としてはアウトではなかろうか。特に下着とか。
私は今日は部屋に行ったら、絶対に着替えを持ってこようと決意した。
「そりゃあ、あんな経験すれば疲れますよ。兄貴は今下で両親と話してます」
「え? 話って?」
「兄貴いつもはこのくらいの時間には起きていて、これから部活の朝練に行くんですよ。でも今日は休むって言ってたから、ミノリさんのことも含めて今大まかな説明を両親にしてくれてます」
「それって……! 私のせいだよね、ごめんなさい!」
私は慌てて仕切りのためのカーテンを開けた。カーテンの向こうでは太一さんが目を丸くしていた。いきなりカーテンを開けたから驚いたらしい。
「太一さんやお兄さんにだって生活があるのに……私の世話している場合じゃないよね」
「ミノリさんのせいじゃないですし、人間困った時はお互い様です。俺がミノリさんの立場になっていた可能性だってあるんですから。それに部活って言っても夏が終わったら辞める予定ですし、兄貴はもともと身体痛めすぎなんですよ。朝練くらいサボって丁度いいんです」
「でも……」
「それよりも……ミノリさんだって学校、まだ夏休みになってないですよね?」
太一さんの言葉に私はハッとする。確かに今はまだ七月になったばかりの夏休み前だ。
「もしかして私……失踪扱い?」
「……失踪と言うか、家出したと思われるてるかも」
「嘘……」
学校なんて皆勤賞狙ってたくらいなのに、病欠でもなくまさかの失踪事件――いや家出か。何が違うんだろうと思わないでもなかったけれど、家族に無断でいなくなったことだけは確かだ。でもまずはあの部屋に入れなくちゃどうしようもないと思うのだけれど、そこはどうなのだろう。
「……ねえ。私の部屋って、廊下側から家族が私の部屋に入ろうとしたらどうなっちゃうのかな?」
私がそう聞けば、太一さんが何とも言えない表情をした。何だかちょっと困ったような、何かを話すことを躊躇っているようなそんな表情だ。
「それなんですけど……もしミノリさんのご家族がミノリさんの部屋の扉を開けられたとして、そしたら廊下側にあったはずの和室はどこに行くんだと思いますか?」
「え? どこって……?」
妙に真剣な表情の太一さんに嫌な予感がした。
太一さんたちの部屋に繋がっている和室は、反対側では廊下側から私の部屋へと入る扉に繋がっている。私の部屋の中から見れば、和室は廊下側にあるのだ。ならば、もし家族が私の部屋の扉を開けてしまったら、和室と私の部屋との繋がりは一体どうなってしまうのか。
「あの和室はミノリさんの家の廊下側にあります。だから俺たちには本来の廊下側がどうなっているのかわかりません。でもミノリさんの部屋の閉まったままの窓からは、本来の庭が見えましたよね? そして開けた瞬間に別の空間に繋がったけれど、何度開けても、窓を閉めればまた元の風景が映ってました。だったら、窓を閉めたままで、もし誰かが外から窓を開けた場合、あの部屋はそのまま本来の外の空間に繋がっていた可能性があるんじゃないかと思ったんです」
裏庭の紫陽花が見えていた窓のように、切り離されたかに見えていた私の部屋と廊下が実際には繋がっていたら。
「あの和室と扉は切り離せません。理屈はわからないですけど……和室が繋がった部屋の内側から扉を開けた瞬間に、部屋の外があの和室が支配する空間に繋がるのなら、それまでは本来の空間と繋がったままだと考えることも出来ます。何度も扉を開け閉めしてなお、空間が再度繋がる理屈もわからないんですけど……」
こちら側から窓を何度開けても、窓の外には裏庭が見えていた。窓はこれまで一度も外側から開かれてはいないから、真実はわからない。けれど――。
「もしかして……家族の誰かが私の部屋に入った瞬間、あの和室と私の部屋との繋がりが切れるかも?」
「もしかしたら……」
私が部屋に閉じ込められた時間はもうすぐ夕食という時間だった。私が夕食を取りに行かなかったらきっと誰かが部屋まで呼びに来たはずだ。お兄ちゃんが来ても私の返事がなければきっとすぐほっといて戻ってしまうだろうけど、その後にはお母さんが来るはずだ。
「もしかして私……あのまま和室に続く扉を閉めたまま部屋にいれば、部屋から出られたのかな?」
だとしたら間抜けにも程がある。私は自分からその機会を不意にしてしまったのだ。
「いえ……今の話はあくまで可能性です。俺の勝手な憶測です。そういうこともあるかもって思っただけなんです。もし本来の空間と和室との繋がりが切れたのだとしたらミノリさんの部屋が残ったままなのもおかしいです。それに、もしかしたら、まだ誰も来てないのかも知れませんし……」
「でも! 私が部屋で寝ちゃってても、いつもお母さんは食事の時間には起こしに来てくれてたんだよ!」
私は動揺するあまり声を荒げてしまった。
私が自分の部屋から出た時間は大体夜の七時過ぎ。私の家は多少の誤差はあれどいつもそのくらいの時間に夕食を取る。私が何も言わずに夕食を取らないなんてことは、私が覚えている限り多分一度もなかった。食欲のない時や誰かと外で食べる時は必ず家の誰かに伝えてた。
「あのままもう少し待っていれば良かったのかな……」
そしたら普通にお兄ちゃんかお母さんが部屋の扉を開けて入って来て、私はそのままあれは夢だったんだって、笑い話にすることが出来たのに。
「馬鹿だ……。私って、本当に馬鹿」
私が自分の馬鹿さ加減と間の悪さを嘆き両手で顔を覆って泣いていると、ふわりと暖かいものが私を包み込んだ。太一さんに抱きしめられたのだと気づいた時には、驚きで涙が止まっていた。
「ミノリさんは馬鹿じゃありません。あんな目に合えば、誰だって気が動転します。それに、ミノリさんが扉を開けたままにしておいたのは、俺がそうしていたのを先に見ていたからです」
太一さんの言葉に止まっていた涙がまた溢れそうになった。
「俺の方こそ、昨日の内にそのことに気が付いていたら……」
「それこそ太一さんのせいじゃないよ」
もし太一さんが昨日の内にそのことに気が付いていたとしても、私が太一さんに再会できたときには多分もう手遅れだったろう。
本当に太一さんは優しい。お兄さんだって優しい。いきなりあんな扉が部屋に出現したり閉じ込められたり、私って実は運がなかったんだって思っていたけど、太一さんとお兄さんに会えたことだけは幸運だったのだと思う。こんなに優しくて頼りになる人達に会えたんだから。
「今のはあくまで俺の考えです。まだそうだと決まったわけじゃありません。あの扉のことは、まだ何もわかっていないんです」
「うん……」
「……脅すようなこと言ってすみません。それでも、気付いたことは共有しておいた方が良いと思って……」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「……とりあえず、朝飯食べに下に降りましょう」
「……うん」
ひっついていたお互いの身体を離す時には妙に照れてしまった。太一さんはただ私を慰めようとしてくれただけだったのだろうけど、男の子に抱きしめられたのなんてはじめてだったからどきどきしてしまった。
どうにかそんな心情を悟られまいとしたけれど、きっと私の顔は赤かっただろうから太一さんにはバレバレだっただろう。太一さんの顔を見る余裕はなかったから、太一さんがどんな表情をしていたのかはわからないけれど。
「それで、あの……」
「何?」
太一さんが言いにくそうに言葉を濁した。これ以上まだ何かあるのかと私はちょっと身構える。
「両親には盛大な勘違いをされる可能性が大なんですけど……そこはちょっと勘弁してください」
「盛大な勘違い?」
「えっと、これから朝飯を食べるにあたって、ミノリさんのことを両親に説明しなければならないんですけど……」
「そうだよね……。私ご両親にご挨拶もしないで泊まっちゃったし……」
「……うちには俺と兄貴しか子どもがいないんで……必然的にどっちが泊めたんだということに……」
太一さんの言葉を頭の中で反芻した私は、数秒後その言葉の意味に気付いて声を上げた。
「………うわ、そういうこと⁉」
太一さんが言いにくそうにしていた理由が分った。ここは友達の家でもなんでもない。昨日はじめて会った男の子の家だ。私が男だったらまだしも、両親に内緒で異性を家に泊めたなんてことになったら、うちだったら即家族会議ものだ。
「今兄貴が時間稼いでくれてるんで……早く加勢に行かないと」
「うん……そ、そうだね。ご挨拶しなきゃ」
「事情は俺と兄貴から話すんで、ミノリさんは自己紹介だけで。あと、もしなんか親に聞かれたら正直に話してください。もちろん、答えられる範囲でいいので」
「わかった……!」
私は太一さんにこくこくと頷いた。
「あと、ミノリさんの部屋両親に見せることになってもいいですか?」
「もちろんいいよ!」
信じて貰えるなら何だってするつもりだ。というか見て貰わない限りは信じて貰えないと思う。私だってご両親の立場なら信じない。もし私が太一さんとお兄さんのお母さんだったら、親に内緒で勝手に彼女(違うけど)を泊まらせるなんてって言って泣いちゃうかもしれない。
(これ、結構まずいんじゃ……)
今更ながら自分たちの置かれた立場が相当ヤバイことに気付いた私は、内心かなり慌てふためいていた。