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「……ミノリさん。これ、本当に番号合ってますか?」
「合ってるよ! 何で⁉」
太一さんが無言でお兄さんに画面を見せると、お兄さんはすぐに眉を顰めた。
「080だあ? やっぱ間違ってんじゃねーか」
「え?」
何が間違っているのが分からず私がおろおろしていると、太一さんがお兄さんの言葉を補足してくれた。
「……ミノリさん。こちらでは080で始まる携帯番号はありませんよ? こちらは040か030、あるいは060です」
「……え?」
「それに桁数も違うな。多すぎだ」
「え? 多すぎって」
「ミノリさんが打った携帯番号は十一桁ですが、現在の使われている携帯番号のほとんどが九桁です」
「え? え? 九桁?」
一度に与えられた情報が多過ぎてあたふたする私を見ながら、太一さんは何か考え事をしているようだ。
「……ミノリさん。ちょっと……ここから家に帰るのは待ってください」
「……太一さん?」
真剣な表情の太一さんに、何故か胸の奥がざわついた。そんな私の心境に気づいたのか、太一さんが真剣な表情を崩して笑顔をつくった。
「まずはミノリさんの部屋から帰れるか試してみましょう。俺と同じように行動すれば元に戻る可能性はあります」
「でも……! そしたら今度はこの部屋が……!」
確かに太一さんが取った行動と同じ行動を取れば、私は部屋から出られるかもしれない。でもその後は太一さんたちの部屋が私の部屋と同じ状況になってしまう。
「そこはどうにか考えます」
太一さんに賛同するように、お兄さんも頷いた。
「……そうだな。俺か太一のどっちかが外に出といて、この部屋の扉を開ければ大丈夫じゃねーか? ま、どうにもなんなかったら俺たちがあんたの家から外に出て、最終的にはこの部屋を開かずの間にするよりしょーがねーな」
「開かずの間⁉」
確かに私も自分の部屋に一生入れなかったらどうしようと思っていた。お兄さんの言う通り、正に開かずの間だ。
でも二人とも随分とあっけなくそんなことを言っている。私の状況はよく分かっているはずなのに。どうやら二人は私の知らない何かに気付いているようだけれど、でもそれが何かは私にはまだ分からない。
それでも、いくらなんでもそこまで二人にしてもらうわけにはいかないことくらいは分かる。
「そんなの駄目だよ!」
「はい。だから、それをするのは確実にミノリさんが部屋から出られると判明してからですね」
「ちょっと待って……何で急に」
聞いたけれど二人はまた黙ったまま私を見つめているだけだ。普通にこの家から外へ出れば帰れると思っていた。だってここは異世界でも何でもない。でも、もしかしたらという思いが湧き上がり、私の掌にはじわじわと汗が滲んできた。
「……もしかして、携帯番号と関係あるの?」
私が聞いてもやっぱり二人とも何も答えてはくれなかった。けれどその無言という答えこそが、私の推測が合っていることを裏付けてしまっている。
こちらにはない番号と、太一さんは言った。こちらとはこの部屋だけのことを指しているわけではないはずだ。
こちら――こちら側の世界。
私のいた世界は、あちら側の世界。
扉の向こうは異世界だと、私も最初は思ったはずだ。太一さんを見たからてっきり同じ世界だと安心しきっていたけれど――けれど分りやすい違いのない世界だから、だから分からなかっただけだとしたら。
「こっちの世界には……ぬかぼんはいないの?」
二人は答えない。
「こっちの世界の携帯番号は、030と040と、060で、そして九桁?」
やっぱり二人とも答えてくれない。
「こっちの世界は……私のいた世界と違うの?」
「……まだはっきりそうだと決まった訳じゃありません」
「でも……!」
「落ち着け。これだけの符号じゃまだわかんねーよ」
今度は私の方が黙る番だった。確かにまだ分からない。ぬかぼんなんて知らない人は知らないだろうし、検索だって検索エンジンごとに表示の順番は違うし、同じだとしても電波の不具合などによってヒットしないこともある。
携帯番号のことは……よくわからないけれど使われている番号が違うだけで別の世界だなんて決めつけることは出来ない。私は世間の事情にうといから、知らない間に使われている携帯番号の桁数だって変わったかもしれない。
(そうだよ、ほら。今だって昔から比べると携帯番号の数字が増えたって、前にお父さん言ってたし……)
増えることがあるならば減ることだってあるかもしれない。
「……あと確認できることって何だ?」
「些細な事でも何でも、とりあえず俺たちとミノリさんが知っていることを照らし合わせてみるか。……まずは……ミノリさん。今は西暦何年ですか?」
「2025年!」
勢いよく私は答えた。これはさすがに間違わない。
「合ってますね……。じゃあ、元号は?」
「令和7年!」
私がそう言った瞬間、太一さんもお兄さんも表情を変えた。嫌な予感がする。
「……ここは平成です」
「平成終わったよ!」
「終わってません。今は平成37年です」
太一さんの口から出た言葉に、私は鯉みたいにただ口をパクパクとさせてしまう。お兄さんを見ると、お兄さんも真剣な表情で頷いていた。
「初っ端からこれか……」
「ふ、二人して私をからかっていたり……」
「しませんよ、そんなこと」
「そうだよね……ごめん」
俯いた私に、太一さんが「いえ」と小さな声で言った。
「……ていうことはだ。やっぱりこの世界はあんたのいた世界とは違うってことか」
「信じられない……」
「だろうな。俺だってまだ信じられねーよ。でもなあ……」
そう言ってお兄さんは壁に貼ってあったポスターを顎で指し示す。よく見ればそのポスターはカレンダーになっていて、小さく今年の年号が「平成37年」と記されていた。
カレンダーを間違うなんてことはそうそうあることじゃない。しかも年号だ。赤い日を間違うならまだ分かるけれど、年号はない。しかもお遊びでこんなものはつくらないだろう。
「現にあんな扉が出現しちまっってるしなあ。あそこ、本当なら扉の向こう側は何もない空中なんだぜ? 本当所かまわずだよな。そもそも、この扉は一体何なんだ? 迷い家なら聞いたことあるけど」
「扉の向こうに部屋があるわけだから、迷い家の亜種じゃないのか?」
「でも富をくれるわけでもねーし、むしろ呪われてんだろ」
お兄さんの言葉にやっぱり呪われていると思われているのかと、私は少しだけ落ち込んだ。
「考えようによっては富を得られるかもしれない」
太一さんがぽつりと零す。
「ああ?」
「扉のこちら側とあちら側で世界が違うとしたら、流行っているもの、技術、文化とかも多少なりとも違う可能性がある。この、ぬかぼんみたいに」
そう言って太一さんはぬかぼんのキーホルダーを私とお兄さんの前に掲げた。
「ならお互いの世界にないものを双方で提供できれば、そしてそれが多くの人間に受け入れられれば、商売としては成功だ」
「ああ……なるほどな。向こうでヒットした商品やエンタメなんかも、こっちになければ新しく自分が作ったものだと言って発表出来るよな。そう考えれば、使い道によってはかなり有効だな」
「まあ、一生元の世界に戻るつもりがなければだけどな」
どちらかの扉を閉ざしたら、その後もう一方の世界に行くことは出来ない。行けるのは部屋の中までだけだ。
太一さんの言葉にお兄さんが難しい顔をして呟いた。
「ただじゃあねえってことか」