4 精霊の願い
「【アス――】」
「【アストラル! 母の願いをっ】!!」
聞き慣れてしまった少女の叫び声が洞窟内に鳴り響いた。
不安にも、悲しみにも、苦しさにも溢れ。
でも、それでも暖かさを求める声色に、ミコトは目を見開き、信じたくないかのようにそちらへと振り帰った。
翠がかった髪にエメラルドのような瞳の彼女がその体を輝かせ。
霊剣もまた、彼女と同じように輝き出す。
「そんな……っ。ダメだ! やめろ! いやだ! やめてくれ!」
ミコトが剣を取り落してしまい、狼狽しながら少女の方へと這いずっていく。
「ミコト、ダメだよ。リナのことイジメちゃ。妹って設定、なんでしょ?」
リナは自分の目を疑った。
リュッカの姿が薄らいでいき、半透明へとなっていく。
「やめろ! やめるんだ! 今すぐ術を止めろ! ズィルカが……、お前が消えちまう!」
ミコトがリュッカに掴もうとするも、空を掴んでしまいその手を取ることはできない。
バランスを崩してミコトは倒れてしまう。
「いやだよ。私、自慢だったんだ。カッコよくて、いっつも自分を盾にしながらみんなを守って。私の母親はこんなにすごいんだぞって」
「すごくなんか、ない……っ! 全然、守れなかった。お前は、お前だけは……っ!」
「戦争、ちゃんと勝ったんだね。みんなを守ったんだね。それを聞けて、あたしすごくうれしかった」
薄らいだその手で、ミコトの頭を撫でていく。
「あたしの命は無駄じゃなかったんだって。しかも伝説にまで残してるし。あれ聞いたとき、ちょっと恥ずかしかったや」
そんな風に小さくはにかむ。
「お前……、最初っから……?」
リュッカが小さく頷く。
「魔族のリナを怯えて、ミコトに抱っこされたときから、ホントはわかってたんだ。嬉しかった。あたしは死んだはずなのに、大好きなミコトがすぐそばにいて、平和な世界でいっぱい遊べたんだもん。あたし、結構みんなの役にも立ったんだよ。被災した人たちの救助とか、回復とか、あとは鵺ともちょっと戦ったりできたし。まあ、勇者の娘としては及第点くらいでしょ」
元気に笑って来る。
「違う。もっと、もっとあるんだ! お前には、もっといろんな未来が……っ!」
これにリュッカが首を振って応える。
「あたしね、夢を見てたんだ。覚めることのない長ーい夢。そこであたしは学生をやってて平和に暮らしてたの。でも、どこを探しても自分のお母さんがいない。幸せだったのかもしれないけど、不安で、怖かった」
リュッカがミコトを抱きしめていく。
「きっとあれは、ズィルカが見せてくれた夢だと思うんだ。でも、覚めたらちゃんと迎えに来てくれた。すごく、嬉しかった」
でもね、とリュッカは立ち上がって、泣き崩れるミコトを覗き込む。
「もうこんなのおしまいにしないと。死んだ人は蘇らない。どこの世界でも、それは一緒だよ」
「いやだ! そんなのいやだ! お前だけは、絶対に、いやだ!」
「勇者なんだから、ちゃんとあたしにカッコいいとこを見せて? あたしが夢の世界でもみんなに自慢できるように」
霊剣はいつの間にか光の棒となり、リュッカはほとんど見えないほどの透明な姿となってしまう。
「最後の術式。唱えて? じゃなきゃ、あたしがやっちゃうよ?」
ミコトは涙にまみれながら、リュッカの体があるはずの空を何度も掴もうとする。
なのに、その手は何も手にすることができない。
こぼれて落ちるばかりの光りがあたりを舞うばかり。
「リナ、ミコトと仲良くしてね。けっこうツンデレだから」
「リュッカ、あなたは――」
「あたしは夢の世界に帰るね。大丈夫。そこでもうーんと遊んでるの。ちゃんと幸せだよ」
そう言って、改めてミコトの方へと向き直る。
「最後の私のお願い、聞いて? あなたが世界で一番かっこいい勇者なんだってところ、私に見せて? 前は最後まで見れなかったんだ。人族はちゃんと勝てたかなって、ずっと不安だった。でも今は信じられる。あなたならきっと、あれほど憎いと思った魔族たちの街を救ってくれるって」
首を必死に振るも、ミコトもわかっている。
ここで彼女の想いを踏みにじる行為もまた、ミコトには許されないことなのであろう。
やがて、決めきれない決意に唇を噛みしめ、痛める胸を押さえる彼女が、それでもと身体を引き起こす。
「ラナ……っ。あーしは……っ」
「ふふ、嬉しい。やっと名前、呼んでくれたね」
精霊ラナ。
精霊伝説の登場人物。
ミコトはやがて、光る棒へと変わってしまったズィルカを手に取り、彼女の方へと掲げる。
「ラナ……。本当に、ごめん」
「そうじゃないでしょ? 最後の言葉はごめんじゃない」
「……ラナ。愛してる」
「うん! あたしも大好き!」
「…………っ。【アストラル…………我が子の……願いを】」
本当は、我が子を生贄にしたくなかったがために用意しておいた術式。
この子の願いを聞き届けるために、ミコトは戦い続けてきた。
彼女が望めば、ミコトはいつでもズィルカと人族を諦める準備があった。
たとえ種が滅んでしまっても、この子さえ生きていれば。
なのに、ラナときたら自分が命を捧げることを誇らしげに思ってしまう始末。
母の願いは、我が子の願いとならなかったのだった。
光りが舞う。
ズィルカは見る見る輝きを失っていき、代わりにリュッカは輝いていった。
地揺れが始まり、目で見えるほどの濃密な魔力が溢れ出てくるのと同時に、その魔力が消え去っていく。
そして、声が聞こえてくるのだった。
『【ウィッシュ・ディ・ディスペル】』
その言葉と共に、ミコトの体も光り輝いていく。
『最後にあたしからプレゼント』
消えてしまったはずの彼女の声が響いてきた。
『ズィルカの魔力を全部使って封印を少しだけ解くね。本当は全部解きたかったけど、まだ力不足だったや。やっぱり勇者への道は険しいね』
「そんなこと、ない! お前は、間違いなく……っ、勇者だ。自分の命を捧げて、二度も人々を救って……っ!」
『そっか。嬉しいなぁ。あたしもなりたかったんだ。少しでも母親に近づけたんなら、それでいいや。それじゃあ――』
音が遠のいていく。
『またね。きっとどこかで会えるよ! あたし、それまで元気にしてるからっ!』
「ラナ……っ!」
『さようなら、あたしの大好きな――』
彼女の笑顔を残滓する。
『――お母さん』




