3 ミコトの願い
追いかけた先で、ミコトはすぐに見つけることができた。
逃げるわけでも隠れるわけでもなし。
リナがやってくるのを想定していたかのようだ。
「ミコト、剣を……渡して?」
そんな切り出し方で。
だがミコトの腕が動くことはない。
鞘に収まったズィルカはそのまま彼女の胸に抱かれたまま。
「ミコト?」
「いやだ」
間違ったことだと、わかってはいるのであろう。
それでも絶対に渡したくないという言葉。
彼女はきっと失い続けてきたのであろう。
誰かのために。
世界のために。
未来のために。
全てを無くしてしまった彼女だから、もう失いたくないんだ。
それが痛いほどわかってしまうからこそ、リナはもう一歩を彼女へと踏み込むことができない。
「リナ。てめぇの勇者に対する答え、出たか? 出たんなら――」
ミコトが霊剣を引き抜いていく。
剣を振る力なんてないだろうに、震えるその細い腕で剣を構えてきた。
「――あーしから剣を奪い取れ。あーしはもう、嫌なんだ。せっかくあの子が帰って来たのにまた失うなんて、残酷過ぎる。そんなの認められない」
「私だって、剣を壊そうとなんて思ってないよ。リュッカを失うのが正しいなんて言わない。でも、このままじゃレレムが破壊されるわ。まずはそれを何とかして、その後みんなで――」
「そんなんじゃうまくいかねぇってわかってんだろ!!」
響き渡る彼女の叫び声を苦痛にまみれており。
その色は悲哀にも満ちている。
リナの心もまた同じ色。
なぜなら、ミコトが今言ったことが本当だからだ。
レレムを守る方法は剣を壊すことに他ならず。
だがそれは同時にリュッカの消失を意味している。
おまけに考える時間もあまり残されてはいない。
今この瞬間にもレレムはマグマと火砕流に襲われているのだ。
レイナを含むレレムの警備隊がどれほど耐えられるかはわからないが、そう遠くない未来に限界は来る。
ミコトがはじめて私に敵意を向けてくる。
「リナ、たしかにあーしは今、封印で剣を振るうことも難しい。けど、ズィルカは無限の力を秘めている。剣を振れないあーしにすらてめぇを倒すだけの力を与えてくれる」
「だから引けって言いたいの? それともここで私を殺す? そんなことをして、どんな顔をしてリュッカに会うつもりなの?!」
「あいつに会わせる顔なんて最初からねぇ!!」
涙ながらに叫んでくる。
「どうして? 七百年前、リュッカは、たぶん、死んじゃったんでしょう? あなたは守れなかったんでしょう? でも今度はあの子を救える可能性がまだあるのよ! だったら正しく解決するべきよ!」
「救うだって!? 違う! 全然違う!」
「なにが違うの! 死者であろうと、意思がそこに宿っているんなら生きているも一緒だわ! 間違えたやり方をするミコトを、リュッカが受け入れるわけがない!」
「そうじゃねぇ! てめぇは何にもわかってねぇ! あーしは最初から、間違えている!」
「七百年前の戦争で負け続けたこと!? そんなの仕方ないじゃない。それはあなただけのせいじゃ――」
「違う!」
涙で崩れ落ちそうになるのを必死に堪えるミコトは、年相応の幼い少女にも見え。
その一方で、七百年を生きる強き意思がその身体をしっかりと支えていた。
「ズィルカは、そういう剣じゃねぇ……」
「そういう……? どういうこと? 死者の魂を使って力を生み出しているんじゃないの?」
「違う! そもそも人間に魂なんてねぇ。ズィルカの力の根源は魂なんてもんじゃねぇんだ」
ミコトはそのまま剣を取り落してしまい、膝をついて泣き崩れてしまう。
重さや疲労から取り落したわけでも、ましてやリナに相対することを諦めたわけでもない。
その姿は、ただただ、悲しさと後悔に溺れたものだ。
瞳が髪に隠れ、曇るばかり。
やがて、力のない声がリナへと発される。
「ズィルカはな、生きた人間を使うんだ」
……ぇ。
「あーしは、生きているあの子を生贄にした」
彼女の言葉の意味がわからなくて、脳内でそれを何度も反芻してしまう。
「……ちょっと、ちょっと待って! だって、そんな……! そんなのおかしいよ! だってあなたはリュッカの――」
「母親だ」
薄々気付いていて、そして二人が幸せになるはずだった答え。
ミコトの口から聞きたかったはずの言葉なのに、なんでこんなにも――。
「人に魂なんてものは存在しない。それは宗教かおとぎ話に出てくる代物だ。生きた人の肉体をエネルギーへと変換する装置、それがズィルカの正体だ。あーしは魂なんて使っていない。魂だの精霊だのは、疲弊した人族を奮い立たせるために使ったあーしの方便だ」
すべて……嘘だった。
そうしなければならなかったから。
「もう一度言う。あーしが生きているあの子を生贄にすることで、ズィルカは魔族を皆殺しにできた。それが七百年前に起こったことの顛末だ」
「なんで、なんでよ……。なんで生きた人じゃなきゃダメなのよ! 死体でもいいじゃない! 生き物でなくたっていいじゃない! それなら――」
「ズィルカを使うためには、生贄側も特殊な魔法を発動させなければいけない。当時、人族にはもうまともな魔法を使える人間があーしとあの子しか残ってなかったんだ。最初は自分を生贄にすることも考えた。けど、あーしを生贄にしたらズィルカを扱える奴がいなくなっちまう」
そんな言葉を聞いてしまったものだから、強い吐き気を催し、視界が歪んでしまう。
生贄側も?
だって。
だとしたら――
「あの子も同意した」
リナも立っていられなくなって、そこの岩にしがみついてしまう。
「自分が死ぬことで人族の勝利に貢献できることを、あの子は誇りに感じていると言っていた。思い残すことはないと……口では言っていた。でもな――」
ミコトは上を向いて、こぼれてくる涙を必死に留めようとする。
「おまえらと四人で飯を食った時、あの子は戦争が終わったんならやりたいことがいっぱいあるって言っていやがった……っ! いっぱい遊びたいって。いっぱいやりたいがあるって! あーしは、……っ! 我が子のそんなささやかな願いすら叶えられない、愚かな勇者だったんだっ!」
再び剣を取り、ミコトが立ち上がる。
「だからあーしは戦う! 一度は人族と自分の子どもを天秤にかけて過ちを犯した! だからもう絶対にあーしは間違えたくない!」
「そんなの、おかしいよ。……じゃあなんで、リュッカは今ここに現れたの? 彼女はもう死んでいるはずなんでしょう? 魂なんて存在しないんでしょう? ならどうして彼女は今ここにいるの?」
「それを解明するためにあーしは精霊の祠に戻った。てめぇらにいろいろと嘘をついたのはただの時間稼ぎだが、時間切れだ。糸口すら見つかってねぇ。レレムの魔族たちには悪いが、剣の解明にはまだ時間がかかる」
「ふざけないで! そんなの認められるわけないでしょう!」
「別にてめぇに認めてもらうつもりなんてねぇ。あーしはもう、自分の命以外に何にもねぇんだ。やっと……やっと帰って来たんだ……っ! あーしが、後悔に後悔を塗りつぶしたあの子がっ! 是が非でも守ってみせる!」
「ダメだよ、ミコト」
「うるせぇ! あーしはそのためならてめぇを殺す! 【アストラル・断絶】」
刹那、怖気が走った。
リナは直感に従って即座に大きく跳躍してその場を離れる。
次の瞬間、洞窟ごと自分のいた場所が切断されていた。
収差演算は、この切断が山の外にまで達していたことを教えてくれる。
――これほどの威力……っ!
「やめて! ミコト! あなたと戦いたくない!」
「嫌だ! 邪魔をするてめぇはあーしの敵だ! 【アストラル・天刹】」
空間中に百や二百ではきかないほどの刃の雨が生成し、リナ目掛けて襲いくる。
逃げるも追尾。
光剣で払うも迂回して。
魔法シールドで受け止めるも跳ね返り。
対処不可能な魔法の刃は、リナを斬り刻むまで追いかけ続けてくる。
「……くっ! 【ホーリースキャッター】」
光りの粉が舞い、霊剣と飛び交う魔力のパスを断ち切っていく。
この刃はすべて魔的物質だ。
その大本が剣にあるのは言わずとも知れたこと。
ならばその力の供給パスを切断して行けば対応できる。
「勇者とはな、失うことだ。何かを得るわけでも、何かを達成できるわけでもない」
「じゃあ何だって言うの! 誰かを守ること、誰かを助けること、これによって何も得られないってあなたは言うの!?」
私が勇者になりたかったのはレイナのことを救いたかったからだ。
彼女のことを何とかしたいと思ったから勇者を目指すようになった。
「あーしも同じ考えだったさ。そうやって全部を守ろうとして、失って、失って、失って、それでも、諦めねぇと、死んだあの子に誓ってきた。けど、もう心が耐えられねぇよ」
震える手足に涙が滴るばかり。
彼女もまた、勇者としてこの世界で戦い続けてきたのであろう。
「だったらこんな結末間違っているわ! リュッカもレレムも、同時に救わないと意味がない! リュッカちゃんを救えたとして、レレムに住む何十万人もの人を見殺しにすることをあなたの心は何とも思わないの!?」
「ならてめぇにそれができんのか! あの子とレレムを天秤にかけずに済む方法がっ!」
「それは――」
「ねぇんだろ! 口先では何とでも言える! それとも綺麗ごとを言うのがてめぇの勇者か!」
「違うわ!」
「だったら選べ! 世界は待ってくれねぇ。考えてる間に次々と人を殺す。それがこの世界のあり様だ!」
「でも、だからってどちらかを見捨てるなんてできないわ!」
「それが現実だ。両者を救える真なる勇者はこの世界に存在しない。いつでも、だれかを選ばなきゃいけないんだ。それが愛する者であるかどうかの差しかねぇ!」
「そんなの、間違っている」
「そうだ。両方救える方が正しいなんてこと、あーしだってわかっている。だが、正しいことを選択できる力がねぇんなら仕方がねぇじゃねか」
霊剣へと視線が落とされる。
「ズィルカはあーしに無類の力を与えてくれたさ。何万、何百万と魔族を殺した! だが、それは果たして正しいことだったのか? あーしは、かけがえのないあいつらを守るために、我が子と魔族を生贄にしただけなんじゃねぇか?」
独り言ちるような、祈るような言葉。
「それは、あなたが人族だからでしょう?」
「そうさ。だが、現にてめぇのように勇者になりてぇっつー魔族だっている。逆だっているだろうさ。種の違いがなんだ。関係ねーだろ。人族だから? 友達だから? 家族だから? 結局それって、ただの差別だろ? 全てを救う勇者になるってことは、つまるところ、自分にとって大切なものを失うことと同義なんだよ」
「でも、それは――」
リナの目から意図もせず涙がこぼれてくる。
反論できないから?
自分の目指しているものに絶望したから?
――違う。
ミコトにここまで言わせてしまう世界が、悲しい色に見えてしまったからだ。
「わかんだろ、てめぇにだって。前にも聞いた、てめぇはレイナと世界を天秤にかけられたら、選べんのかよ?」
――そんなの、選べるわけがない。
でも、本当にどちらかを選ばなければならなくなったら?
私は未だにその答えを持っていない。
「あーしはもう、失いたくない……。勇者でなくたって構わない。あーしはもう、誰かのためになんて戦わない。【アストラル・空斬】」
肩を強く押された。
いや、そう言う風に感じただけで、実際には血しぶきをまき散らし。
肩口が大きく切り裂かれていた。
膝をついてしまうも、治療魔法をかけながら必死に剣を掲げる。
「断絶は追えても、空斬は追えねぇんだな。てめぇはやっぱりまだまだだ。鵺には勝ててもあーしの創った武器にすら及ばない。勇者っつーのは、そんなんじゃ戦えねぇぜ」
リナのことを傷つけたくないであろうに、悲しい笑みを浮かべながら、霊剣をこちらへと向けてくる。
「リナ、もう帰ってくれ。お前を殺したくはない」
「断るわ」
「【アストラル・空斬】」
次は太もも。
赤い液体がまき散る。
「帰ってくれ」
「……っ! ぃやよ」
「【アストラル・空斬】!」
左腕が裂ける。
「帰れって!」
それでもなお、強がる。
「絶対に、嫌よっ!」
「【アストラル・断絶】!」
地面へと倒れた。
左肩から下半に向かって大きく斬り裂かれ、血の気が引いていき。
血液を流し過ぎたせいで、寒気が漂ってくる。
山をも断絶する刃だというのに、自分の防御魔法も少しは役割を果たしているよう だが、その傷や致命的であり。
虫の息となって、意識が遠のく。
「リナ、最後だ。もうレレムは諦めてくれ」
その返答とばかりに不敵な笑みを返す。
否定の言葉はもう喉から出せない。
「そうか……また、あーしは失うのか。けど、今度は守るために失うんだ。けっして、失うことなんかじゃない」
自分を言い聞かせるようにその言葉を吐き出しながら、剣を構える。
「さようなら。リナ・レーベラ。今代の魔王」




