1 リュッカの想い
大急ぎでカナトの元へと駆け寄り、治療を開始する。
「カナトさん、しっかりして、大丈夫よ。私、体を治すのは得意なの。リュッカはそっちをやって!」
「それ、は……、うぅ……っ、嬉しい、情報、だな」
「喋らないで! 衰弱するわ!」
とにかく治療魔法を多重にかけて傷を修復していく。
カナトは失血により蒼白としており、冷や汗も酷い。
一歩間違えば死にいたってしまう。
そんなことを思っていたら、彼の呼吸が停止していくのを収差演算で知覚する。
急く気持ちが募る一方のところへ、女性の叫び声が響いた。
「動かないで! リナ・レーベラ!」
このくそ忙しいときになんなんだと思いながら、手は止めないで、視線だけチラとそちらへ送る。
そこにはイシュアと兎人の女性が武器を掲げて立っていた。
だがすぐさま兎人が、
「カナト!? お前! カナトに何をした!?」
兎人が殺意を剥き出しにしてくる。
「鵺にやられたの! 手を貸して! 瀕死状態なの!」
そう言うと、兎人の彼女は槍を捨ててこちらへと向かって来ようとするも、
「ダメよリーリア、罠かもしれない」
「カナトが死んじゃったら全部おしまいでしょ! 今すぐ助けないとっ!」
イシュアの制止を振り切って、リーリアと呼ばれた兎人も治療に加わる。
内臓までもが見えているカナト状態にリーリアの手は震えてしまう。
「回復魔法は?」
「全部使える。パーティの回復役を担当しているわ」
「出血が酷いから傷口を治していって」
「でも、肺が……見えて――。心臓も、呼吸も止まってるわっ……!」
涙ながらにそんなことを言ってくる。
「諦めないで! 私は心肺停止者を蘇生した経験がある! 最後まで諦めちゃダメよ!」
その言葉に涙を流しながらも、リーリアは必死に手を動かす。
大きな傷口を三人して次々に塞いでいき、あらかた出血箇所は塞げたであろうか。
「蘇生するわ! 離れて!」
雷系統の魔法をその手に出現させる。
「ダメよ! そんなことしたら死んじゃう」
「黙って見てなさい!」
彼に電気ショックを与えて、心臓を幾度も刺激していく。
「動け! カナト! 起きなさい! カナト!」
――こんな最期、絶対に認めない! 人族の勇者が魔族の街を守って死亡なんて、絶対にっ。
「動け! 動け! 動け!」
電気ショックに彼の体が反り返る。
「起きろ! カナト!!」
吐血。
「がはっ! ゲホッ、ゲホッ、かはっ、……はぁ…‥はぁ」
カナトが咳き込みを始め、心肺が回復する。
「カナトっ! カナト!」
「まだよ! 回復魔法を続けて! 血液が全然足りてないの!」
三人して必死に魔法を施していく。
しばらくその時間が続き、ようやく危機を脱したであろうか。
脈が回復してきて、リナたちは一息をつく。
「はぁ……。まだ予断は許さないけど、危機は脱したわ」
そんな彼女の首にあてがわれたのはイシュアに手に持つ短刀であった。
「動かないで。カナトの命を救ってくれたことには感謝するけど、だからと言ってあなたを仲間と見做したわけじゃないわ」
「命の恩人に対してずいぶんな扱いね。それともこれが普通なのかしら?」
「ええ。魔族に対する対応はだいたいこんな感じよ。その剣を渡してくれる?」
ズィルカを目で指しながら言ってくる。
「断ったら?」
「喉からすこーし血が出るだけよ」
「それは怖いわね」と鼻で笑いながら答える。
「言い忘れてたけど、返答が遅くなってもうっかり首を飛ばしてしまうかもしれないから。ほら、さっさと渡して」
やむを得ず剣に手を伸ばすと、かすかな声がそれを遮る。
「ダメだ、リナ、渡すな」
息も絶え絶えとなったカナトが、それでもここで意識を失うわけにはいかないと必死に唇を噛んでいる。
「カナト、あなたのお人好しも大概ね。できれば今は黙っててほしいわ。人族と魔族の未来に関わる問題よ」
「そうだ。人族と、魔族の未来、に関わる、問題だ。彼女を、殺さないでくれ、イシュア。友達に、なれたんだ」
イシュアはにべも無い様子。
「そう。よかったわね。さあ、リナ・レーベラ、早くなさい」
「そんなの間違ってるよ!」
リュッカの声が洞窟内に響き渡る。
「もう、戦争は終わったんでしょう? 何でこんなことしてるの? あなた、勇者のパーティメンバーなんでしょう?」
イシュアがリュッカの方に敵意を込めた視線を飛ばす。
「……何の話をしているのかよくわからないけど、戦争は終わってないわ。私たちは次の戦争に向けて準備をしている」
「なんでそんなに戦いたいのよ!」
叫ぶリュッカを依然として冷ややかな目で眺めるイシュア。
その瞳は氷のように冷たい。
「別に戦いたいわけじゃない。万が一戦いが起こったときのために備える。それだけよ。まさか魔族と仲良くしていれば戦争は起こらないとでも思っている? 冗談。世界はそんなに生易しくないわ」
イシュアがもう片方の手にある杖をリュッカに向けて掲げる。
「リナ・レーベラ、あなたはこちらの方が言う事を聞きそうかしら? 剣を渡しなさい。そうすればこの子の命を奪わないわ」
その光景を見て、思わず嘲笑を飛ばしてしまう。
「人族なのに、人族の人質をとるのね」
「関係ないわ。あなたがこの子どもに情があるのであれば利用する。それだけよ」
「卑劣ね」
「褒め言葉と受け取っておくわ。大切なものを守るために、私はどこまでも卑劣になる覚悟がある。たとえ勇者や魔王であったとしても、神にでもならない限りすべてを守ることなんてできない。なら卑劣になるしかないわ。さあ」
これ以上の時間稼ぎができないと観念して、リナは霊剣を彼女へと手渡す。
「これで目的達成ね。……さて、あなたの処遇をどうするべきかしらね。選択肢一、殺しておく。選択肢二、捕虜にする。選択肢三、やっぱり殺しておく」
「同じ選択肢があるじゃない」なんておどけてみせる。
「ええ。わかっているでしょう? あなたは魔族にとって重要人物よ」
「重要人物? ただの小隊長よ。他にいくらでも替えがいるわ」
「まだ嘘をつくつもり?」
何のことを言われているのかわからず、リナは顔をしかめてしまう。
「……? あなた、本当に自分が何者であるかを分かっていないの?」
「何者もなにも、ただの兵士よ」
こちらが訝し気な表情ばかり浮かべていると、向こうまでもが同じように顔となって。
「……。リーリア、こういう場合ってあるの?」
「事例がないわけじゃないけど……。このケースはたぶん、初めてだと思う」
リーリアも首をかしげながらの回答してくる。
「一体あなたたちは何の話をしているの?」
「あなたには関係ないわ。どうせこのあと殺すわけだし」
その言葉を聞くや、リュッカがリナの前に立ち塞がった。
「リナは殺させない」
「じゃあ、あなた共々ね」
「リュッカ、下がって。私の問題よ。あなたは関係ないわ」
「関係ないわけない!」
涙を溜めながら、リュッカが言い放つ。
「レームマリナで倒れているのを助けてもらって、美味しいご飯を一緒に食べて、冒険して、戦って! 遊んで! 話して! 全然関係なくなんかない!」
イシュアを睨みつける。
「世界が生易しくないだって? 違うでしょ! 生易しくないんじゃなくて、あなたがただ世界を悲しいものだと見ているだけだよ! お母さんが守った世界が、そんな悲しい世界なわけがない!」
「言い得て妙じゃない。悲しい世界、まさにそれが世界というものの正体だわ。私だって、何も考えずに仲間たちと仲良くしてたいわ。けど、そこの勇者様も、そっちの兎さんも、冷静さより情を優先するお馬鹿さんたちなの。誰かがちゃんと悲しさと見つめ合わないと、いつか足元をすくわれる」
言葉とは裏腹、イシュア自身の目も虚ろだった。
それはまるで本心ではないかのようで。
いや……、イシュアとて感情的にはこの行為が本心ではないのであろう。
だから問答無用で攻撃せずにこちらの会話にも付き合っているのだ。
その一方で、彼女の冷静な部分は常にその想いを殺して、自分たちの利益を最優先に考えている。
そうあらなければ、いつか大切なものを失ってしまう、と。
「違うよ。あなたはただ、世界がはじめから悲しいものだと決めつけている。私もリナも種が違うのに、お互い話せて、分かり合えて、仲良くなれる。あなたはその努力をしていない!」
「知ってるわ。けど、現実は様々なものによって支配を受けている。必ず何かを犠牲にしなければならなくなるわ」
「あなたは、それが辛くないの?」
リュッカが切なる願いを込めるように問うていく。
対するイシュアはそれを淀んだ瞳で見つめながら、やがて眼を伏せるのだった。
「……。辛いとか、辛くないとか、そう言う問題じゃないわ。必要ならやる。それだけよ」
静かに答えるイシュアにリュッカは両の手を握りしめていた。
「……やっぱり、辛いんだ。あなたはズィルカを持つべきじゃないわ。この剣は、そういう剣じゃない」
リュッカからそんな言葉が出て来てしまったものだから、リナはイシュアではなく彼女の方へと視線を送ってしまった。
今の言い様は、まるでリュッカがこの剣のことをよく知っているかのようだ。
だが、今までそんな素振りは一度も見せたことがない。
「そういう……? あなた、何を知っているの?」
「……あなたたちはもう知っているんでしょう。この剣は死者の魂を使う」
「死者の魂って何? リーリアから聞いたときも意味がわからなかったわ。魂なんて、実体のないものじゃない。ましてや死者なんて。あるいは――」
そう言いながらズィルカを引き抜いて、リュッカの胸元へとそれをあてがった。
「試してみればわかるかしら」
リナの背中に冷や汗が流れる。
イシュアは剣の持ち方から察するに、彼女は剣の扱いが得意とは思えない。
だが、それでもズィルカは岩をも容易く斬り裂ける業物だ。
彼女が腕を少し伸ばすだけで、リュッカは簡単に貫かれてしまうであろう。
「やめて。リュッカは関係ないわ。私が目的なんでしょう。巻き込まないで」
「この娘が邪魔しに来ている。だから排除するだけよ。その後あなたもちゃんと殺してあげるわ」
「っ! リュッカ、下がって! 彼女は本気よ!」
だがリュッカはなおも動かない。
ただ静かにその口を開く。
「リナ。あたしもね、世界はそんなに不自由じゃないと思う。七百年前はただただ悲しくて、辛くて、苦しいことばっかりだった。だからあたしは気丈に振る舞ったの。けど、今の世界はこんなにも幸せに満ちている。無理に笑顔をつくらなくたって、笑うことができる。だからね――」
振り返ってリュッカは万遍の笑顔を向けてきた。
そして彼女はそのまま体を後退させ――
剣を自らに突き立てた。




